第3話:あなたの、からだの、その美しさと、その幼さを、暴きたい。

「ねえ、……」


夜、リビングで雑誌を見ているお母さんに話しかける。テレビは点けているが、そっちは見ていない。いつもそうだ。


「お父さんって、優しかったよね?」


私は訊いた。お父さんのことを、なんだか誰かと、すごく話したい気分だったのだ。でも、やや眠そうな表情でくつろいでいたお母さんの表情が、ハッとして、少しだけ硬くなった。


りん、……どうしたの急に?」


「急にじゃないよ、……だって、優しかったじゃん」


「……そうだった?」


お母さんは私から眼を反らし、雑誌に視線を落とす。ガーデニングか何か、園芸関係の特集をしているページを開いている。でもきっと、今は読んでないと思う。視線を落としているだけ。私から、視線を反らしたかっただけ。


「そうだよ、優しかったもん、……」


私も、何となくお母さんから眼を反らして床の上に視線を落とした。しょんぼりした気分だった。この話題、お母さんには失敗だったかも、……でも、そしたら誰と話せばいいの? お父さんのこと。


「優しかったもん、……私には、すごく」


パタンッ、——


雑誌を膝の上で閉じると、お母さんはすぐに立ち上がった。怒ってる感じじゃなかったけど、「この話はもうおしまい」……そう、顔に書いてあった。


「もう寝るわよ、……凜も、早く休みなさい」


リビングから静かに出て行くお母さんの姿を、私は無言で見送る。いつもそうだ。お父さんのことを訊いて、ちゃんと答えてもらったことなんか無い。寝室のある2階へと続く階段の、その踏みしめる足音を確かめると、私はため息とともに、小さな声でひとり呟いてみる。


「どうしてお父さんと離婚したの? ……」


これも、いつもと同じ。面と向かって、お母さんに訊いたことは無い。いや、訊けたことは無い。いつもそうだ。お父さんのことを話題にすると、すぐに不機嫌になって席を立ち、どこかに行ってしまうのだ。


そもそも、お父さんとお母さんは仲が良かった、ハズだった。なのに、本当に、急に別れてしまったのだ。


*******


人を愛する行為の本質は、あばくということだ。


優しくなんかない。

慈しむ気持ちなんて無い。

でもよく言う攻撃的な衝動、というのとも違う。


暴きたいんだと思う。

でも暴けない。


だから人は、愛する対象を無限に暴き続ける。

暴こうとし続ける。

それが人を愛するという行為の本質なのだ、と最近知った。

美月みずきと知り合ってから、——


そして、この場合の「愛する」は、

もちろん性的な意味で、だ。


私は、

美月の、

薄く脂肪が乗ってすべすべした腹部に頬ずりして、

そのまま可愛いおへそにくちびるを強く押し付ける。


あなたを、暴きたい。


あなたの、からだの、その美しさと、その幼さを、暴きたい。


興奮に息を弾ませて、

動物じみた唸り声を上げながら、

舌とくちびるで、

歯と、唾液とで、あなたを汚してゆく。

まだ成長し切らない、

なだらかな曲線を描く双丘の、

その控えめな、淡い色の突起に、

私は歯を立てる。


んっ、——!


私はあなたの胸を吸いながら、

でもあなたの表情を少しも見逃すまいと、

眼を、見開き続ける。


あなたの痛みを、暴きたい。

あなたの、苦痛と官能の、その境界を見極めたい。


*******


お父さんは、とても忙しい人だった。

小さい頃、一緒に過ごした記憶はほとんど無い。


毎日深夜に帰宅し、早朝に出勤していたせいで、顔を合わせることすらほぼ無く、同じ家に住んでいる、というイメージすら私の中には無かった。


休みの日も、家にいなかった。


そんなお父さんは、当然というか身体を壊し、結果として、仕事を変えざるを得なくなった。そして、身体が良くなっても、お父さんは以前のような仕事一辺倒の日常に戻ることは無かった。お父さんは毎日、晩ごはん時には家に帰ってきて、私やお母さんと食卓を囲み、休日も、一緒に過ごすようになった。私が小学三年生の時だ。


うっとうしい? ——

ううん、そんなことないよ。


私はとても嬉しかった。

それまでの小さな頃、お父さんがいつもいなくて、きっと、寂しかったんだと思う。

お父さんは、私のことをとても可愛がってくれた。

それまでの、空白の年月を埋めるように。


可愛いね、

きれいだよ、

背が高くてかっこいい、

色が白いから何着ても似合う。


私は、お父さんのことが大好きになった。

私を見る時のお父さんの眼が、忘れられない。

だって分かるもん、

お父さんも私のことが、すごく好きだったんだよ。

ううん、……ゼッタイだよ。


私、大人になったら、お父さんのお嫁さんになるね——


そんな冗談を言ったりもした。えっと、冗談、……でも無かったかも。ちょっと本気だったかも。子どもだったんだよ、まだ。


顔を赤くして、何だかちょっと恥ずかしくて、涙ぐんじゃった私のおでこに、お父さんは、そっとキスしてくれた。


凛、

可愛い、

たからもの、

父さんだけの、——


お父さんは、そう囁くように言った。

低い声。

私、たぶん、泣いちゃった、

と思う。


*******


美月の、

肌の白さに酔い、

甘い声に浮かされて、

彼女のくちびるに、私は口を押し付ける。

こぼれる蜜を舌の先で掬い取り、

それを彼女のくちびるに、その突端に、塗り付ける。

美月は、

白い腕で顔を隠しながら泣いて、

汗に濡れて光るウェストを波打たせている。


あなたをもっと、暴きたい。


暴いて、暴いて、暴いて、私はあなたを暴き尽くし、


そのもっと奥にあるもの、


その向こう側にあるものが見たいのだ。


それが何なのか、私は知っているような気がする。


だけど、


それは暴風にはためく文字のように、


答えは確かに、


確かにそこに書いてあるのに読むことが出来ないのだ。


美月、美月、美月、——


うわ言のように、あなたの名を呼ぶ。

夢中になり過ぎて、

なんだか目が回るようで、

今にもどうにかなってしまいそうなのは、

私の方なのに違いない。


あなたのからだが、

わなわなと震え始める。

そして私は、

あらん限りの集中力と想像力とで、

あなたを、

理性の限界へと追い詰めてゆく。


やがてあなたは、

脚を真っすぐに突っ張らせてシーツを蹴り、

華奢な背中を弓なりに反らせて、

全身を硬直させた。


息が止まり、

とても苦しそうだった。


そして、

あなたは、

すすり泣くような微かな声で、

みずからの愛と、羞恥と、欲望の中心にあるものを告白した。


「お兄ちゃん、……」


暴いた、

そう思った。

私は美月の性愛の核心と、その狂気とを暴いた。


今なら、

見えるような気がした。

眼を凝らせば、

読めるような気がした。

風にはためくそれは、

その答えは、

今は、手の届くところに静かに横たわっていた。


「美月、愛してる、……」


でも私は、

きつく眼を閉じた。


、——


そして泣き始めた美月の、

その白いうなじと柔らかな髪に、

頬をうずめた。






























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