第42話 賽の目ブルースプリング
八月も、もう終わろうとしていた。
――同じく俺が加美川先輩と過ごせる夏も。
時刻は8時手前。
最終回のセッションに熱が入りすぎて、借りた時間を大幅にオーバーしてしまった俺たちは管理人さんに怒られて、謝罪してから、公民館を出た。
「それじゃな、セッション楽しかったぜ」
「……楽しかった。また」
「お疲れさんー、いやー楽しんだわ」
「うん、ありがとう。お疲れ様」
時間も時間だったので、黒木さんは宇和島先輩に送られて、城戸と須山さんは夕食を食べていく二人でマクドナに向かっていた。
「だいぶ、涼しくなってきましたね」
「ええ、そうね」
残った俺は加美川先輩と二人、駅に向かい歩いていた。
ファミレスやコンビニの灯りが街灯替わりになり、道を照らしている。
演劇を観た帰りに同じように歩いたことを思い出し、俺はあの時の自分の気持ちを振り返っていた。
宇和島先輩と自分を比較した。
おそらくはあの時の俺は不安だったのだろう。
どうしてなのか、今なら分かる。
今日の穴だらけのセッションでも分かっていた。
自分では加美川先輩については行けない。
己の限界とか、そんなもの気にしている訳ではない。
単純に努力の量がちがうのだ。
そんな俺が、唯一できるのは自分の気持ちを隠して身を引くこと。
それが正解だと思うし、最適解の筈だ。
煩わせては行けない。
邪魔をしてはいけない。
(けれども、わかってはいるのだけれども)
セッションの熱がまだ残っているのだろう。
小説を一本書き上げた高揚感に似た何かが胸でくすぶっている。
駅に着いたらこのロスタイムじみたこの時間も終わりだ。
学校で会うことも稀にあるだろうが、それで先輩と話ができるなんて保証はどこにもない。
先輩と話をするには今しかなかった。
『先輩。どうでしたか? 俺のシナリオ』
そう言おうとして声が出なかった。
いつもの調子が出てこなくて、胸で声がつっかえる。
代わりに隣を歩く加美川先輩がこちらを見て口を開いた。
「サク君。今日は、いいえ、これまでセッションお疲れ様。楽しかったわ」
加美川先輩が楽しそうに笑っていた。
その笑顔を見て、ああ、やっぱりそうだと俺は自分の気持ちを確かめた。
俺なら大丈夫。そういう顔をすればいい。
「そう言ってもらえると、徹夜しまくった甲斐があります」
笑えただろうか。嬉しいと表情に出ているだろうか。
その奥底にある気持ちを隠せただろうか。
――俺は、彼女を好きであってはいけないのだから。
「なに? なにか含みのある言葉ね」
「そんなことないですよ」
「本当かしら」
「俺、先輩には嘘偽りなくいたいので」
俺は先輩に嘘をついた。
自分に嘘をついた。ついていた。
加美川ミサトの小説に泣かされた時から、フィクションを共に作ろうと誘われた時から――
――俺は先輩のことが好きだったんだ。
好きだからこそ、彼女が先に進む姿を見ていたかった。
できることなら隣で。それが無理ならガラスの手前側で。
いや、それは卑怯だ。
単純に、俺は賽を振るう勇気がないだけではないか。
結局、それっぽっちの想いなのだ。
けれども、それっぽっちだから。
賭けることができない、大切なものなんだ。
(と、全部言い訳じゃないか、まったく……)
「そういえば先輩、どうしてセッション中ミュールを気にかけてくれたんですか?」
俺は自分の心を誤魔化すように、セッションの話に話題を戻した。
「笑わないでよ」
「笑いません」
俺の言葉に、一度言葉を探すような間を置き加美川先輩は笑いながら俺に言った。
「なんだかね。あのミュールってキャラクター、サク君ぽくてほっとけなかったのよ」
「俺は世界を滅ぼす魔王か何かですか」
「案外期待しているかも――」
ふと、思いついた。
とても時間のかかることだが、それだけさぼったのだから仕方がないだろうという自分に対する提案。
ミュールはなぜマティーニを追い出し、一人で戦いを始めたのか。
マティーニが好きで殺すことが出来ず、王都から追い出したと簡単に思っていた。
でも、もしかしたらミュールは好きな人がそばに居ることで、前に進めないと思ったのではないだろうか?
自分を推し進めるため、研鑽するため、あえてマティーニを追放し、道を外してしまうも、その精霊術を極めたのではないか?
(なに、自分の作ったキャラの設定を今更追いかけているんだか。でも――)
でも、それは少なくとも前向きな話ではないか。
いつの間にかY字の歩道橋を登り、その先に直結している改札口にたどり着いていた。
「それじゃあね、サク君」
「はい、今日はありがとうございました」
俺と先輩はそれぞれの電車に乗るために上りのホームと下りのホームに別れる。
これで最後かもしれない。
そう思うと、胸に燻(くすぶ)っている何かが、想いを伝えようと暴れだす。
(せめてもう一言だけ)
自分の気持ちに押され、ホームへの階段を上がる前に振り返るともうそこには彼女の姿はなかった。
これでおしまいなのか。
これで、いやーー
俺は走った。
階段を一段飛ばしで駆け上がった。
線路を挟んだホームの対岸、その先で先輩を見つけた。
ホームのアナウンスが聞こえてくる。
先輩が乗る電車がもうすぐあっちに来てしまう。
時間がない。人目なんて気にしていられなかった。
俺は叫んだ。
「先輩! 俺、ゲームクリエイターになります。そうしたら、シナリオお願いしてもいいですか?」
遠い未来にまた会う約束を。
「ええ! いいわよ! 待っているからね」
対岸の先輩は突然の俺の言葉に驚いていたが、喜色満面の笑顔で言葉を返してきた。
俺は心の中でサイコロを振った――だが、賽の目の答えはまだ見えなかった。
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