第30話 演劇夏の全国大会 お礼と涙

「はぁぁぁ」


 本の海から体を起こし、俺は体を伸ばした。

 どうにもまた床で寝落ちしていたらしい。


 夏休みに入って二週間が経った。

 俺はその間をびっくりするほど、無為に過ごした。

 学校が用意した各課題は多少進めたものの、進捗は思わしくないのが目下の懸念点だ。


 スマホの通知が鳴る。

 確認すると、スマホの画面は以前入れた予定を表示した。


『演劇部 予選』


 そう、今日は黒木さん達、演劇部の全国大会地区予選の日だ。

 俺はニ、三回体を伸ばし、寝ぼけた顔を洗って覚まし、身支度を整え、会場へと向かうことにした。


 電車に乗り、Y字に広がる歩道橋を歩き、コンビニで飲み物を仕入れ、もうちょい歩く。

 八月ではあったが、かなり早い時間なので思いの外、空気が暑くない。


 そうして家を出て一時間かかったか、かからないか移動をし、俺は目的地に到着した。


(最近、ここにくる機会が増えたよな)


 俺は一度建物を見上げた。演劇部の地区予選の会場はTRPGでも利用していた公民館だった。


(八時過ぎでもう開いているのか、だったら中に入っていよう)


 見れば正面のガラス門はもう解放されている。

 俺は夏の本格的な暑さがやってくる前に、そそくさと公民館に入った。


 正面門から入ると冷房がほどよく効いた冷たい空気が肌を撫でる。

 公民館の中の雰囲気はいつも通りだ。最近二度利用しているが大きな変化は感じられない。


 いや、ちらほらと他の学校の生徒が見える。

 妙に女子生徒の比率が高いような気もするが、演劇ってそういうものなのだろうか。


 チケットで会場を確認する。どうやら三階でやるようだ。

 俺は早速階段を上ることにした。


 公民館の三階にたどり着くと、すぐそばにエントランスと、少し古い大きな扉があり、ここが大会の会場だということを示す『高校演劇全国大会地区予選』と達筆な筆文字で書かれた貼り紙がその扉に貼られていた。


 どうやらここであっているようだ。

 だが少し早いようで、俺以外には観客らしい姿はない。


 受付に女子生徒が二人いるが、暇なのだろうこちらを見向きもせず二人で楽しくおしゃべり中だ。


 手持無沙汰な俺は受付からそっと今日の大会のパンフレットを抜き取った。

 暇になるとつい活字を摂取したくなってしまう。最近癖になってきている気がするから気を付けないと。


 俺は受付から少し離れ、邪魔にならない場所か確認し、パンフレットを開いた。


 なんでも、この公民館の三階、俺が今いる場所のすぐそばに演劇用のステージがあるそうで、今日はそこを利用し地区予選を行うそうだ。


 大まかなルールとしては全国大会に行くには県大会の最優秀校に選ばれなければならず、その県大会に出るにはこの地区予選の最優秀校にならなければならないらしい。


 テッペンを目指すには甲子園レベルでシビアなシステムだ。


(なるほどな)


 俺はとパンフレットを閉じた。

 俺は改めて周りを見渡す。スマホを開くと時刻は8時中頃、まだまだ時間はある。


(ん、なんだあの二人は……)


 パンフレットも読み終わってしまい一度顔を上げると、受付の女子生徒二人がなんかジトっと俺を見てくるのに気がついた。


(俺、なんかしたのか……視線が痛い)


 スマホを取り出し、画面を見ながら、視線を避けつつ、チラチラと彼女らを見ると俺と同じ高校の制服を着ている。よく知らない人だがどうやら俺が通っている学校の生徒だ。


 睨まれているわけでなく、ジトっと値踏みされるような視線は居心地が悪く、なるべく彼女らと目を合わせないようにしていると、階段から見慣れた黒髪ロングヘアが現れた。


 黒木さんだ。

 彼女は俺を見つけ、パタパタとこっちにやってくる。


「……佐々倉先輩、来てくれてありがとう」

「約束だし、俺も舞台演劇ってどんなのか興味あったしな」

「……私たちの舞台、ちゃんと見ていってください」

「わかった」

「……うん、そうしたら、また後で」


 簡単に挨拶をし、黒木さんはまだ用意が残っていると言い、大扉を開け劇場の中へと入っていく。


 閉まる扉越しに、ちらりと劇場を覗いたが、かなりの人数が板やら台やらを持ち込み、置き場を争い、台本を片手に叫び声を上げるなど、かなりカオスな状況だった。


(随分本格的なんだな)


 高校の部活動だから、なんか文化祭に毛が生えたレベルなのかと思ったらだいぶ雰囲気が違うので、俺はワクワクしてきた。


(これはどんな話が飛び出してくるのか期待が増すな。先輩も最初の劇から来れれば良かったのに)


 今回は予備校の都合で加美川先輩は午後の部から、須山さんと城戸は前々から予約していた件があるとのことで今回は不参加、宇和島先輩は行けたらいくとだけ言っていた。


「あの、あなたが佐々倉さんですか?」


 突然名前を呼ばれて思わず肩が上がる。


(びっくりした)


 声をかけられた方を見れば受付の女子生徒二人がこちらに近寄ってきていた。

同い年か、年下だろうか?

 右の子は髪が短い、左の子は適当に長い髪を後頭部で一纏めにしている。


どちらも本当に知らない。誰だ? いや、俺もしかしてここに立ってちゃいけないとかそういう話か? だとするとなんで俺の名前を?


「そうですけど。なんか俺、まずいことでもしちゃっています?」


 俺の疑問に右の子が答えた。


「違うんです! その、私たちお礼が言いたくて!」

「お礼?」


 まったく心当たりがない。

 見ず知らずの女子生徒からお礼を言われるなんて、昨今使い古された迷惑メールのテンプレートのような展開だ。


 正直俺は身構えた。

 目的は金か、それとも俺の命か?


 流石に命が狙われるような恨みは先輩以外誰にも売っていないと信じ、俺はいつでも逃げ出せるように出入りの階段を確認してから彼女たちの話を聞くことにした。


 突然いいことが起こると、この後の展開を疑うべきだろう。

 美人のNPCにいいことしたら実はこの地を統べるボスだったという展開はゲームだったらよくある話。うん、ゲームは俺に生きるための教訓を教えてくれる。


 そう現実から目をそらしている間に、今度は左の子が口を開いた。


「スズネちゃん、あ、いや、黒木さんがあなたをフッてから、よく喋ってくれるようになったんです。最初は不思議だったんですけど話を聞いてみたら、やっぱり佐々倉先輩をフッたからだって」

「お、おう……?」


 日本語がおかしい。

 まあ、黒木さんが喋ることに前向きになったのは良いことか。

 俺はいろいろスルーできることはスルーすることにした。

 まだスルーできる範囲だ。


 俺の様子を見てどう思ったのか、女子生徒二人はぺこりと息を合わせたように同時に頭を下げた。


「「黒木さんにフられてくださり、ありがとうございます!」」

「がは」


 自分の肺から変な声が漏れた。

 古傷にナイフを突き立てられたような気がして、俺は心の中でもんどり打った。空中きりもみ回転した後、頭から地面に落ちた気分だ。


「それで、その、実は先輩にお願いが」


 恥ずかしそうに頬を染めながら、女子生徒二人はさらに声を重ねて言ってきた。


「「私たちも、佐々倉さんのことフらせてください!!」」

「死んでも断るッ!!」


 俺は泣いた。

 心の中でさめざめと泣いた。

 泣いたっていいだろ、俺だって人間だ。


「ふぅ……」


 そのあと一度その場を離れた俺は公民館の自販機で缶コーヒーを買い、口を付け、一息をつき、なんとか俺は開演時間までに心を取り戻し立ち直った。

フられたことにお礼を言われ、あまつさえ付き合ってもいない女子にフりたいと言われるなんて、どんな拷問なのだろう。


 死ぬかと思った。主に心が。


 自分を立て直すために心の中で独り言を呟き続けていると、いつしか大会の開演時間になり、俺は扉を開け、会場に入ることにした。


 少し重い扉を引き、中の様子を伺う。

 古い大きな扉の先は、少なからず俺が初めて見る光景が広がっていた。


 まず右手には舞台、高さは1メートルちょっとだろうか、体育館の舞台と同じかもう少し高い。今は幕が降りており、時々中幕の向こうから指示の声が聞こえてくる。


 上を見れば三列に並んだ大量のライト。天井から吊るされた棒に取り付けられ、そのすべてが舞台を狙っている。


 左手には観客席、映画館のような階段状の配置で、背もたれのない簡単なプラスチック製の椅子が、四人分一組になって横四つ、縦四段、通路を確保できるように隙間を開けながら配置されている。


 観客席席の少し前には長机とパイプ椅子が用意されているが、あれはおそらく審査員の席だろう。それっぽい紙が机の上に置いてある。


 年末のテレビで見るような大きな劇場ではないが、アマチュアバンドが演奏したりする時に使うようなライブハウスのようだと、俺はキョロキョロ辺りを見渡しながら席の確保に動いた。


(この辺りなら全体が見やすいかな)


 俺は最上段の少し左側の席と加美川先輩が来たときのために隣の席を確保しした。


 ややあって、まばらだが各校の生徒やよくわかない大学生風の人や、保護者、教員など、かなり身内感溢れるラインナップの人たちが席をとりはじめる。どうやら大盛況とは行かないようだ。


 俺が周りの様子を伺っていると、開演のブザーがなり、最初の舞台が始まった。


 そう、それは、始まってしまったのだった。


「ごめ、んね、ヨシオくん、私の分まで生きて……ね」

「ミチコおおおぉぉぉ!」


 感動的な音楽が大音量で流れて幕が閉じた。

 一幕目は伏線とかそういうの一時間でまとまらんかった。ごめんね、あ、ヒロイン死んだから泣けるでしょって話だった。


「がはぁぁ、オイラもうだ……め……」

「ヤスウウウウウゥゥゥ!」


 感動的な音楽が大音量で流れて幕が閉じた。

 二幕目はコメディしていたらヤスが死んだ。突然の心臓病だった。心筋梗塞は怖いって話だったのだろうか。


「危ない! シンデレラ!」


――バキューン!


「王子いいいいぃぃ」


 感動的な音楽が大音量で流れて幕が閉じた。

 三幕目はシンデレラだった。

 結果を不服とした継母(ままはは)が突然スナイパーライフルを肩に担ぎシンデレラを狙撃しようとしたところ、王子に当たってしまったようだ。


(なぜ、こうも死体が増えるのか)


 感動路線への解釈の違いに、俺は胃もたれを起こしていた。

 大会のルールで一つの劇は一時間程度で終わるものと定めているのが悪いのか、それともとりあえずオチをつけたかったのか、とにかく今のところ死亡率100パーセントだ。


(これは酷い。が、経験にもなるな)


 人が死ぬ話は確かに涙を誘うには有効な手法だと言える。

 だが、同じ展開の話が何度も続くと人は胃もたれを起こす。少なくとも俺は起きた。

 というか、泣いたからってそれは感動したってわけじゃないぞ。

 次の小説は簡単にキャラを殺さないように気を付けようと、俺は心に誓った。


『このあと、一時間のお昼休憩になります』


 アナウンスが流れ、俺は文字通り惨劇の会場から外へ出た。

 会場前のエントランスでスマホを取り出してラインを確認する。


 加美川先輩から、予備校が終わったと連絡が入っていた。

 だとすれば、もうすぐこちらに来るだろう。


 俺は二階に降り、コンビニのご飯などが販売している自販機を見つけ、おにぎりを三つ買い、近くのベンチに腰掛け、おにぎり二つを腹に収めて、会場に戻ることにした。

 少し物足りなかったが、炭水化物を取り過ぎて黒木さん達の劇で眠ったしまったら申し訳ないし。


「あ、サク君! どこ行ってたの!」


 会場に戻るなり、四段目の席から加美川先輩がこちらに向かってやったきた。どうやら入れ違いになったようだ。


 今日の先輩はすっきりとした白いシャツに薄緑の透けたサマーパーカーを羽織り、下にはデニムのパンツを合わせている。予備校から直接きたのだろうか少し大きめのトートバッグを肩にかけていた。


「じろじろ見てどうしたの。サク君?」


 うっかり、じっと服を見てしまっていのだろう。

 俺は慌てて、視線を先輩の顔に戻して言った。


「あ、いや、先輩のズボン姿珍しいなと、すみませんでした」

「そういえばそうかもしれないわね」


 先輩がクスリと笑う。

 何が面白かったのかよくわからないが、笑ってもらえたならそれでよかった。


「席取ってるんで、そっちに移動しましょう」

「分かったわ」


 そうして俺と加美川先輩は事前に取っておいた四段目の席に二人肩を並べて座る。

 制汗剤だろうか、先輩が席に座ったとき微かな柑橘系の匂いが、ふわりと鼻をくすぐる。

 『制汗剤、柑橘系なんですね』とか話題に出したら絶対なんか言われそうなので、俺は何かを誤魔化すように先輩に話しかけた。


「午前の部、各学校の劇を見たんですけど、どの劇もオチで人が死ぬんですよ」

「ふふ、昔のサク君の小説みたいね」


 懐かしそうにニコリと笑う加美川先輩。

 確かに、俺も昔はそういう感じで死ねば感動するとか勘違いをしている時期もあった。

 だが、人は無常を感じた時に涙を流すが、決してそれは感動で胸を打つわけではないのだと加美川先輩の小説を読み、心情的にはガツンと頭を殴られ、考えを変えた次第だ。


「それはひどい。いくら俺でもスナイパーライフルでシンデレラの王子を射殺するなんて思いつきませんよ」

「どうかしら、この間書いた短編、銀髪の女の子がレーザー銃で撃たれていたじゃない」

「……いや、でもあれ悲劇がテーマだったからで――」


 俺が自作品の弁明をしようとしたところでちょうど開演のブザーが鳴る。

 どうやら午後の部が始まるようだ。

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