第21話 水曜日、先輩はちょろい?

「ふぁぁ……よく寝た」


 放課後、俺は一度体を伸ばしあくびをした。

 移動教室もないことも幸いしてか、今期最高によく眠れた。


 なぜかクラス中が妙に優しく、徹夜でふらふらだった俺を見て「いいからお前は寝ていろ。ここは俺たちが何とかする」と熱く語っていたのでお言葉に甘えてぐっすり眠らせてもらったのだ。


 更には教室を出る時、先生から「青春は代えがたいものだ。だが、辛い時こそ大人を頼れよ」となにかのドラマのパクリかと思うようなセリフをかけられたが、これも曖昧に笑って誤魔化した。


(あの時、涙ぐまれたのはなんだったのだろう)


 おそらく皆、なにか勘違いをしていたようだが、うん、気にしないでおこう。

 俺はそういうことにした。


「さてと」


 体調を取り戻した俺は、足取り軽く文芸部に到着しその扉に手をかけた。


「おはようご――……ひえっ?」

 

 だが、ガラガラと扉を開けた俺は何か圧を感じ、ご機嫌な挨拶を途中で止めた。


 恐る恐る部室の光景を確認すると、扇風機を独占した加美川先輩がノートパソコンを開き、なにかをしている。

 タイピングの音はない。カチカチとマウスクリックの音が響き、時にマウスを音を立てて動かし、先輩はノートパソコンの画面を睨み付けていた。


 特に圧を感じたのはその仕草。時々手を止めてはゆるい三つ編みをくるくるいじっている。あれはいけない兆候だ。回転数が多い。

 理由は分からないが先輩が過去最高にイラついているのはよく伝わって来た。


(よし、ここは空気に徹しよう)


 俺は力を抜き、気配を殺し、足音を立てないようにそっと部室に入る。

 たてつけの悪い扉も音を立てずに閉め、いつものパイプ椅子に必要最低限の音で腰をかけた。


 完璧に気配を消しきったと俺は確信する。

 俺はいま空気となったのだ。


「サク君、ちょっといいかしら?」


 だがしかし、俺の努力も虚しく、俺は先輩に捕捉された。


「後輩の健気な努力を無駄にしないでください」

「爆弾処理でもするのかと思ったわよ」

「ははは、まさ、――か」


 まさに今そんな心境です。

 そんな言葉が出かかり、俺は飲み込んだ。


(先輩は怒ると怖いからなあ……)


 時限爆弾の配線を確認するように、慎重に加美川先輩の様子を伺う。

 彼女はこちらを見ず、時折、髪を弄り、少し乱暴にマウスを弄っている。

 察するに内心の怒りに堪え、パソコン上の何かをすることでそれを発散させているのだろう。


 そうなれば手は一つ。

 当たり障りのない会話をして時間を引き伸ばそう。

 そのうち怒りが収まるはずだ。アンガーマネージメント万歳。


「それで、どうしたんですか?」


 今後の方針を固め、俺は意を決して先輩のイラついている訳を聞くべく、話を促した。

 どんとこい、今の俺は全ての言葉を当たり障りのない会話に変えてみせる!


「私ってそんなに押しに弱そうかしら?」


 ノートパソコンから顔を上げ、俺に視線を向けた先輩は、爆弾のごとき台詞を秒速約340mのスピードでパスして来た。


「え、な、んですって?」

「だから、付き合ってくださいと何度も言われたら断りきれなくて、付き合っちゃうような女に見えるのかって聞いてるの!」

「あ、いえー……」


 顔を赤くしながら叫ぶ先輩。

 いかんこれはおこよりのちょいおこだ。誰だ先輩にそんなことを言ったやつは。

 でもまだまだリカバリーはできるはず、助けて俺の脳内サポートセンター。


 俺は眉間にシワを寄せ考えるフリをしつつ時間を稼いだ。

 押しに弱そう……確かに見えるような気もする。

 だがそれを素直に伝えれば、俺は心が死ぬまで説教をされるだろう。

 当たり障りなくだ、当たり障りなく。


「先輩は、俺が頼むと文の書き方教えてくれたり、なんだかんだ面倒見がいいじゃないですか。その辺が押しに弱そうだと勘違いされたんじゃないんですか?」

「……そうかしら」


 腑に落ちていないのか、少し疑問符が残る返事だ。

 しかし、追求がないところをみると、とりあえずはセーフ。

 怒りという名の爆弾の爆発は避けれたようだ。

 あとはこのまま導火線に火をつけないように話題を逸らせば――。


「そんなこと気にするなんて、なんかあったんですか?」


 自分の理屈に反して、俺はうっかり聞いてしまった。

 先輩がこういう悩みを漏らすのが珍しく、少し興味が湧いてしまったのだ。


「今日ね。野球部の人に告白されたの」

「ほう、それ、どうしたんですか?」


 思わず足を組んだ。

 身を乗り出しそうな自分を抑えるためだ。


 先輩の態度から見れば先読みできそうだが、念のため、話が混乱しないように、俺は慎重に先輩の話を促した。


「それで、お付き合いを断ったら、『ちえ、押せばいけると思ったのに』ですって」


 その光景を思い出してか、不機嫌に拍車がかかる加美川先輩。

 なんで男だ。ホラー映画なら速攻で死ぬ役割だろうな。


 って、いかんいかん、このままでは怒りが沈静化しない。

 ここは燃え続けない怒りに誘導するべきだろう。


「でも先輩のことだから、小説の参考になるから付き合うのとか、そういう選択肢もあったんじゃないですか?」

「私は悪魔か!」


 なにをおっしゃいますか。と俺はツッコミを堪えた。

 先輩のパソコンのそばに分厚い類語辞典が置いてあるからだ。

 白熱して投げつけられるとあれは凶器に足り得る。

 俺の沈黙に先輩は仕切り直しと、咳払いを一つし、話を続けた。


「それは確かに、恋愛への興味はあるわよ。小説の参考にもなるし」


 そう言って一区切りを置いた。扇風機の風が先輩の髪を揺(ゆ)らす、先輩はその髪をおさえながら、ふっと柔らかく微笑んだ。


「でも、いまは恋より夢の方が大切なの」


 俺は目を離せなかった。


 強い人だと思った。

 今まであった人の中で、一番強く感じた。

 きっと彼女は、これまでの人生も、これからの人生も文章とともに生き、死ぬのだろう。


 俺にはできない、深いところで戦い続けるのだろう。


「それに、彼も私と付き合いたいわけじゃなくて、彼女が欲しいから確率の高そうな私を選んだって感じだし」


 だが先輩の優しい微笑みは、一瞬で悪魔の形相へと変わった。

 まさに、ザ☆不機嫌である。せっかく話がそれて来ていたのに……うぐぐ。


 そりゃ、ちょろいといわれれば誰だって嫌な気持ちになるものだ。根に持つ人だっているだろう。

 しかし俺は先輩には不機嫌で合ってほしくはない。

 仕方ない、本当になんで知らない男のしりぬぐいをしないといけないのか、本当に分からないが、ここは俺がフォローするべきだ。


「先輩。先輩が本当に押しに弱いのかちょっと試してもいいですか?」

「サク君も私が押しに弱そうに見えるわけ?」


 ムッと俺を睨みつけてくる加美川先輩。

 強烈な圧に胃が痛むが、いまは無視、無視。


「そういうわけじゃないんですけど。先輩自分が押しに弱いんじゃないかって煮え切らないみたいですしね。――あー、それとも俺に押し切られそうで怖いんですか?」

「わかったわ。壁ドンでも、顎クイでも押し切れるものならやってみなさいよ」


 うまく乗ってきた。俺はニヤリと意識的に笑い先輩を煽る。

 先輩はじっとこっちを注目し、来るべき告白に心のガードを高めているようだ。


 この俺の技は注目されればされるほど効果が高まるとも知らずに。


 俺は、傍に置いたカバンにスマホをしまい、ゆらりと立ち上がった。


「いきますよ」

「ええ」


 大きく息を吐いて吸う、そしてもう一度吐く。

 よし、覚悟を決めた!


「先輩!」


 俺は全力で後方に飛び上がり、パイプ椅子に飛び乗る。


「俺と!」


 そして、さらなる全力を持ってパイプ椅子からジャンピング!

 古い戦隊ヒーローよろしく手を伸ばし――天井に指をぶつけた。痛い。


「付き合って――痛てええええ」


 着地、そして、手の痛みから俺は膝から崩れるように倒れた。


「……ください」


 なんとか土下座のポーズに持ち込み、両手中指を犠牲に俺はジャンピング土下座を完成させる。

 まじ指痛い。


「……ちょ、まって、息でき、な、ふふ」


 体を起こし、先輩をみると、身を丸め、笑いを堪えているようだ。

 プルプルと震え、時に笑い声が漏れてくる。


「どうですか! 先輩! 俺のジャンピング土下座告白は! 押し切られましたか!」

「……む、無理ぃ、お、おか、しくって、もう……!」


 笑いのツボをグイグイ押した手応えを感じ、俺は心の中でガッツポーズをとった。

 その後、俺はもちろんフラれた。

 類語辞典でチョップもされた。

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