第14話 月曜日
放課後の文芸部の部室、俺はガバッと勢いよく扉を開けた。
「サク君、いきなりどうしたの?」
部室奥、長机の向こう側で本を読んでいた先輩がこちらをジト目で振り向く。
パイプ椅子に座り、扇風機の風で緩い三つ編みをふんわりと揺らしながら文庫本の ページをめくる様はまさに文学少女だ。
俺は無言のままおもむろに駆け出し、長机に足を掛け、飛び上がった。
自分の肩ほどは飛んだだろうか、一、二回空中を走るように足を回し、長机を飛び越えたのち、床に着地、と同時に膝を折り、正座の形をとる。
そのまま体を前に下り、額を床にこすりつけた。
俗に言うジャンピング土下座だ。
俺はそれを先輩の目の前で実行した。
「先輩! 付き合ってください!」
何かを思ってか、これが完璧な告白だと思った。
先輩はきっと承諾してくれるだろう。
「何をいっているの?」
先輩は慌てることなく、本を畳み、椅子から下り、俺の肩をつかんで顔を上げた。
俺の正面に先輩の顔が――近い、滅茶苦茶近い。
無駄な肉のない綺麗な肌、整った鼻、普段は活字を摂取することが目的の瞳がやや潤み俺をじっと見ている。
俺はどこを見ればいいのか分からず、先輩を見つめ返した。
先輩は穏やかに微笑み、唇が開いた。
「
「え……」
胃がキュッと痛んだ。
先輩と俺が付き合っている?
あの、先輩と?
俺よりも全然才能と努力を重ねた先輩と?
未来あるこの人と、俺が?
それがどんな感情になのだろうか。たぶん劣等感ではない。
ただ、この結末は彼女の進めるはずだった選択肢を俺が奪ってしまうのではないか。
邪魔になりたくない、邪魔をしたくない。
それなのにもう俺は先輩と付き合ってしまっている――。
キリキリと音が聞こえそうなほど胃が締め上がり、俺は苦痛に目を閉じだ。
そして再び目を開いた時、俺は自室の漫画の海に埋もれていた。
「――ひでぇ夢」
ほっと胸を撫で下ろし、俺は布団がわりになっていた本を避け、体を伸ばす。
しかし、なんという夢を見たのだろうか。
俺は苦笑いしながら身支度を始めた。
俺の家から高校までは自転車で15分ちょっとの距離にある。
寝ぼけ気味の意識のまま、事故だけはしないように最低限気を配り、夏の熱気を吸い蜃気楼のように揺れるアスファルトの道のりを俺は自転車を転がし進んでいく。
ややあって、俺が通っている高校が見えてきた。
俺の通う高校は、金がないのか、足りなかったのか塗装のされていないコンクリート剥き出だしの三階建て二棟(ふたむね)の建物。
塗装代わりのつもりかやたらめったらガラスを張り付けた奇天烈なデザインをしている。
そんなデザイナーズマンションのような外見の通り、校内も一階から三階がのぞけるショッピングモールのようなデザイナーズな作りになっており、もはや説明をすれば、するだけ高校なのか怪しくなっていく。
そんな高校だ。
ぼんやりしながら校門を抜ける。
時刻は8時少し過ぎ、この時間ならさすがに遅刻なることはないだろう。
校舎の端にある駐輪場に自転車を止め、鍵をかけた。
自転車を置いて、夏の日差しから逃げるように昇降口へ向かう途中、俺は見知った姿を見かけた。
(あの姿は――)
昇降口のそば。俺が見たのは、とことこと歩いていく綺麗に切りそろえられた黒髪ロングの女子生徒。
先日のゴシックロリータではなく、今日は学校指定の白いブラウスと長めのスカートだ。
「黒木さん、おはよう」
「……!!」
俺はおもむろに手を上げ彼女に挨拶をした。
それに反応し、振り向いた彼女はこちらを見ると何か口をパクパクさせ慌てて俺から逃げていった。
「えー……」
周囲がじろっと俺を見てくる。
バツが悪い、慣れ慣れしすぎただろうか。
俺は言い知れぬ悲しみを感じつつ、上げた手をそっと戻した。
その後、朝礼前のチャイムが鳴り響き、俺は気持ちを切り替え、遅刻してはいけないと自身の教室へと向かうことにした。
そして特に事件もなく一通りの授業を終え、その放課後、文芸部。
俺はシティアドベンチャのシナリオ作りのヒントをつかむため、授業中片時も手放さなかったリプレイを読み返していた。
これで今日3週目だ。昨日と合わせると累計5週目。
だんだん文章を読むというより、勝手に流れていくようになっていく。
新しい発見もない文章の羅列、連続3週目それはもはや味のないガムを噛んでいるような苦行の域であった。
そんな俺の背後で、ガラガラと部室の引き戸が開く音。
「あらサク君、今日は早いのね」
振り返ると、緩くまとめた三つ編みを揺らし加美川先輩が部室に入ってきた。
俺はいったんリプレイ本を閉じた。
「先輩、お勤め、ご苦労様です」
「……任侠映画でもみたのかしら?」
「いえ。さすがにこのリプレイ五週も読んだらちょっと頭が混乱してきまして」
「珍しいわね。サク君が同じ本を読み返すなんて」
先輩の言う通り、俺は基本一度読んだ本はよほどのことでない限り読み返そうとは思わない。
読み返すと新発見もあるとはよく聞くが、どちらかというと未知の展開を楽しみたい派なのだ。
一度読んだところはスキップ機能は神だと思う、考えた人マジ偉大。
ただ、今回はシナリオの作り方のヒントを探しているので細部を、もっと細かい部分を感じたくて読み返している。
「まあ、次のシナリオのヒントになればいいかなって」
「なるほど」
そういって先輩は、カバンを置き、長机の向こう側で、パイプ椅子に腰かけ文庫本を読み始めた。
この様子では今日は読書の日になりそうだ。
アウトプットも大切だが、インプットも大切。
この部に入って初めに先輩に教えてもらった教訓だ。
試しに本を読んだ後に小説を書いてみたが、文章の表現が増えていてすらすらと文字が打てたことには衝撃だった。
俺も先輩に倣(なら)って、読み止めていた文庫本を手に取り、もう一度ページを開く。
ただ、集中ができない。さすがに累計5週目はきつい。
目の前の苦行から逃げようと、無意識に耳が勝手に外の音を拾ってくる。
野球部だろうか、雄たけびのような絶叫、奇声の類(たぐい)が聞こえてくる。
夏の大会の予選が順調との噂なので、かなり熱が入っているのだろう。
「ころせーーー」とか最近の奇声は殺意マシマシ青春汗アブラカラメだ。
そんな感じで意識がよそに行っていたからだろう。俺は完全に油断していた。
ガラっと大きな音を立てて開く部室の扉。
俺と先輩以外開けることの無い扉が前触れもなく動いたことで、何事かと思わず俺はそちらを向いた。
「……お願い、私と付き合って」
綺麗な黒髪の女生徒――黒木スズネこと、ソウルネームブラックラックさんが、俺の目の前で土下座していた。
それはもう見事なスライディング土下座であった。
「はい?」
俺ののどから搾り出た言葉は、これが精いっぱいだった。
バサリと、本が手元から落ちた。
俺は目をパチクリさせ、床に鎮座する黒木スズネさんこと、
「付き合うって、その、ラブとかライクとか、け、っこんを前提に的な、あれ」
「……それ」
ギクシャクとした俺の言葉に、黒木さんはたった一言で肯定。
俺は助けを求めるように先輩の方を向いた。
あ、ダメだ。澄ました顔で文庫本を逆さ読みしている。
しかも聞き耳を立てているのかちょっと体勢がこちらよりだ。
完全なツッコミ待ちか、置物に徹しようという腹づもりか。
「先輩、文庫本逆さまです。助けてください」
絶対巻き込んでやるとの決意を胸に俺は先輩にツッコミを入れた。
声をかけられるとは思わなかったのか先輩は、びくりと体を震わせ、ジト目でこちらを見てきた。
どうやら置物に徹するつもりだったらしい。
「……とりあえず、扉は閉めた方がいいわよ」
「へ?」
そう言われて黒木さんが扉を開けたままだということに気がついた。
遠巻きにいろんな生徒がこちらを見ている。
「お騒がせしました!」
俺は叫びながら全力で扉を閉めた。
後輩に土下座をさせたとか変な噂を立てられたら、俺の学校社会での立場がなくなってしまう。
――閑話休題、仕切り直し。
俺は、新しいパイプ椅子を用意し、黒木さんに椅子を進めて、お茶を買って、さしだした。
対面する様に俺は黒木さんの前に座り、先輩は俺の後ろで、ことの様子を伺っている。
「えー、俺と付き合う? 嬉しいけど、俺たちあって二日目だし、何故?」
「……」
俯(うつむ)いて言葉を返してくれない黒木さん。
なんというかかけた言葉に反応がないと空気が重くなっていく感覚に襲われる。
レベル的にはサスペンスドラマの尋問シーンレベルような空気の重さだ。
だがよく見ると彼女は口をパクパク動かし、何か言葉を探しているようだった。けっして黙秘権を行使するつもりではなさそうだ。
ふと、ツイッターてみた彼女のツイートを思い出した。
(もしかして)
俺は試しに心の底に沈めていた特殊能力
痛い、胸が痛い、心情的に!
「
「……!」
ハッと顔を上げる黒木さん。
あぁ、うん、食いつくよね。
たぶんこれが正解のようだ。
「俺は
「
とたん黒木さんは饒舌(じょうぜつ)にことの次第を話し始め、一度言葉を切りこちら様子を伺ってくる。
言葉が分かっているのか気になるのだろう。
まこと残念なことに俺は彼女の言葉をおおかた理解できた。
もうね、理解するたび、己の過去を思い出し、胸が切り裂かれる思いだ。
「
「
「
「
状況は何となく理解でした。
朝、俺が黒木さんに声をかけた場面を見た彼女のクラスメイトがクラス総出で黒木さんを質問攻め、結果追及を避けるために俺と付き合っていると黒木さんは嘘をついてしまったわけだ。
で、何もアクションを起こさないとクラス全員に嘘をついたことになってしまい悪評が立つので、俺に頼んできたわけか。
「……一体なにを話しているの?」
完全に二人の会話に入ってこれなかった先輩が困惑気味にこちらに声をかけてきた。
「そうか、先輩はこっち側の人間じゃないんですね」
「……残念」
「え、ちょっとまってどっち?」
「とりあえず状況を説明しますね。えっとーー」
俺は加美川先輩にも黒木さんがなぜこんなことをしたのか、かみ砕いて伝えた。
ややあって、「なるほど」と先輩は状況を飲み込み、ニンマリとステキな笑顔を浮かべた。
悪魔の尻尾がひょっこり見える。
俺には見えた。
「なら、二人とも付き合えばいいじゃない」
俺の人生をなんだと思ってらっしゃるあなた様。
「……不束者(ふつつかもの)ですが」
ペコリと頭を下げる黒木さん。
俺は逃げる言葉が思いつかなかった。
「ハイハイ、ヨロシクオネガイシマスネ」
よくわからないけど俺は泣きそうな声で、了承した。
おっとさん、おっかさん、ワタクシ、佐々倉サク、17歳、初めて彼女ができました。
虚飾に飾られたイミテーションのようなサムシングですが。
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