第#&話

あんなたいそうな決意もそこそこに。

颯が叶の部屋の床でごろごろし、彼女はそれを楽しそうに眺めていたそのときに。


ピロン、という音と共にスマホにメッセージが届いた。


颯のスマホではなく、叶のそれだった。彼女はスマホに手を伸ばして、そのままベッドに倒れ込む。


「誰から?」

「イノからだねー。明日遊びませんかっていうお誘いが来たよー」

「なるほどな。で、どうする?」

「そうだね……」


予定があるかと言われれば明日予定があるわけではない。まあ、決めていないだけなので、何もなかったのであれば叶と出かけていただろうが。


「いこっか」

「そうだな。少し久しぶりになるか」

「そうだねー。幸人さんへのバンド演奏の話も残ってるし」

「確かに」


ということで、明日はイノ宅へ行かせてもらうことになった。






翌日。

夏らしく無駄に暑い日だった。


「お邪魔します」

「お邪魔しまーす」


二人並んでイノ宅へ入っていく。中から大樹が顔を出した。


「いらっしゃい」

「……いや、お前が言うことじゃないだろ」


冷静に突っ込みを入れると、大樹が部屋の中に引きずり込まれる。代わりに姿を現したのはイノだ。


「入って」

「おはよー」

「おはよう」


今日の颯と叶の服装は、さすがにペアルックではない。互いに選んでもらったものを着ているので、僅かな気恥ずかしさは否めないが。


さすがはイノの家で、部屋の中に入った瞬間に冷たい空気が頬を撫でた。冷房が効いているその部屋に感動しつつ、荷物をほっぽりだす。


「今日父はいないから」

「だから曲の練習ってことでいいのか?」

「そ」


先に練習しててもいい、ということだったので、差し入れの袋をイノに差し出してから練習室に向かった。叶が後ろからとことこついてくる。


「曲何やるかは決まってるんだっけ?」

「前グループ通話で話したやつ」

「あれか」


有名なバンドグループの曲で、卒業式や結婚式などの感謝を伝えたい場面で使われる曲だ。幸人への感謝のための演奏なので、ちょうどよいのではないかという結論に至ったのだ。


バンド用の楽譜はイノが用意してくれた。歌詞や音程などは動画投稿サイトに出ている本家を聞いてみるしかないのだが。


「とりあえずドラムやってるから合わせてみたら。難しいかもしれないけど」

「頑張ってみるー」


最初からドラムだけで演奏できるわけではないので、本家の音楽をゆっくりにしたものを掛けつつ、ゆっくりとドラムを叩いていく。


其処に叶の柔らかな声が乗せられていった。今回は幸人への感謝の歌ということもあってか、普段よりも気合が入っているようだ。


曲が終わって、楽譜の中で上手くいかなかった部分に丸を付ける。叶はにこにことこちらを見ていた。


「どした?」

「いや、頑張ってるなーって」

「そうだな。幸人さんにはいつもお世話になってるし」

「だよねー」


そんなことを言っていた彼女も、音程を確認するために声を出し始めた。

叶の声は、本当に綺麗だ。透き通っていて、音程から少しも外れない。


「やっぱ上手いな」

「ありがとー」


んじゃ気合を入れますか、と楽譜を確認していたところにイノが無言で入ってきた。その後ろから眠そうな大樹が引きずられてくる。


「里奈たちは?」

「さっき家に来たから、もうちょっとでこの部屋に来ると思う」

「了解」


大樹とイノはギターを用意し、試しに弾いて感触を確かめている。


ガチャリと扉が開かれ、「やっほー」と楽しそうな海斗が入ってきた。後ろから里奈が付いてくる。「まだ遅刻じゃないよね?」と問われたので首肯した。


イノが、彼らに無言で楽譜を差し出す。


「幸人さんへの感謝の歌ってことであってる?」

「そう。練習あるのみ」

「了解した。がんばろ」


ピアノの里奈は経験者だからと難しい内容になっているらしい。

まだドラムを弾きこなせていない自分からしたら、これ以上難しい譜面になると厳しい部分があるのだが、それでも悔しい思いはある。自分ももっと上達すれば。


……練習あるのみ、その通りだ。


「じゃ、各自弾けるようにして。そうしたら全体で合わせるから」


イノらしい宣言の後に、各々が練習を始める。


海斗にしても叶にしても真剣に取り組んでいて、イノも珍しく丹念に確認していた。いつの間にか現れた田島さんには少し焦ったものの、何をしているのか理解したらしい彼から「頑張ってくださいね。応援してます」と笑顔で激励される。海斗はそんな田島さんに師事を乞うていて、いつもと真剣みが違うことが見て取れた。


なるべく早く曲を完成させたい。

夏休みが終わる前には。


フロアタムからの反発で腕が振るえる。

汗が頬を伝った。

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