第#’話
丸一日のバンド練習を終えて、皆の演奏がイノの満足を得る程度までになった。
颯としては、自分のドラムを聞きなおすとリズムのよじれが気になるので少し不満はあったものの、今日のうちにサプライズしたいという幸人の娘の嘆願に逆らおうとも思えなかった。
「んで、計画は?」
「里奈にはいったかもしれないけど、父は今日の夜に帰ってくるので」
「そのときにサプライズってことでいいのか?」
「そうしようと思ってる。ただ、演奏だけだとちょっと心もとないからなんかないかなと思ってるんだけど」
計画を立てるにあたっていつもより饒舌になっているイノ。
サプライズを立てることが好きなのか、それとも父親に感謝を伝えられるのがうれしいのか。普段の生活を見る限りでは後者だろうなと思いつつ。
「感謝の言葉でも述べる時間を作れば」
「急ごしらえになるけど……。それもいいかもね」
「と、なるだろうと思ったので
「………里奈が仕事ができる、だと!?」
冗談とも取れないような驚き方をした海斗が里奈の一撃に無事沈む。
里奈が用意したのは、誰か一人が前置きの少し長めの文章を述べて、最後にみんなで声をそろえて感謝の言葉を言おうというもの。律義に印刷してきたらしく、プリントを配られた。
そこに書いてあったのは、『幸人さん(とイノ)サプライズ会』という文字。慌ててイノの紙を遠くから見つめると、括弧とその内部は書いてなかった。ちらりと里奈を伺うと、小さく笑う。
「そういう計画になってるから、全体の指示はよろしく」と小声で里奈に言われ、頭を抱えたくなりつつも了承した。
里奈の悪い癖だ。計画は途中までするくせに最後までやり切らない。いいとこどりをさせられている身としては少し後ろめたい気持ちがある。
ちなみに、顔に出そうな叶と大樹にはイノと同じプリントが配られていた。そのことに若干の安堵を抱きつつも、どうするかと思慮するのだった。
「ここまでするのであれば、何かプレゼントがあった方がいいかもな」
「それも用意したから。……あとで集金させてもろて」
「あぁ、ありがとう。今払う」
里奈に指示されて海斗がプレゼントを取り出す。少し大き目の花束には『Thanks a lot to you‼』と書かれたメッセージカードが添えられていた。
実用的なものとしては、ブックカバーをプレゼントするようだ。透明の袋にラッピングされた青とオレンジの皮のブックカバーが添えてある。
里奈に提示された金額を皆律義に差し出し、レシートと照らし合わせてちょうどよいことを確認した。
ちなみに、里奈のバッグからはさらにプレゼントが小さく覗いている。イノの方向からは角度的に見えないのでいいが、あれはきっとイノへのプレゼントだろう。
「りなりな、ありがと。私なんも考えてなかった」
「大丈夫。歌を頑張ってくれれば」
「……うん。がんばる」
自分が何もできていないことに少し落ち込んだ様子の叶。見ていられなくなって優しく頭を撫でる。
「歌の歌詞を伝えるのは
「……励ましてくれてありがと。がんばってみる」
「おう」
機嫌が若干戻ったらしい叶が、ソファに座った颯にすり寄ってくる。プリントの中身を見せると失言をしそうなのでやんわりと見せないようにしつつ、叶を愛でた。
「じゃあ、最後に合わせる?」
イノの掛けた声に、皆が賛同して立ち上がる。
言葉の部分も一応やってみようということで話がまとまった。
まだまだ夜は遠い。
───がちゃり、と扉が開く。
帰ってきた幸人の服をいつも通り田島さんが受け取った。
颯らは、それを陰から眺めている。
「あれ、イノは?」
「音楽室に居ますよ。またギターの練習をしていると思います」
「あの子も頑張るね。……あんまり無理してないといいけどね」
「無理してそうであれば私が止めますので」
「あはは、そりゃあ安心だ」
仕事終わりで少し疲れていそうな幸人を見て飛び出しそうなイノを抑えつつ、バンドの部屋までそろそろと移動した。
帰ってきたのを確認したので、あとは田島さんに案内された幸人が来るのを待つだけだ。演奏の用意はとうに済ませてあって、さっき急いで買ってきたクラッカーの類も置いてある。
「めっちゃくちゃ緊張するんだが?」
「海斗は緊張しすぎ。手が震えてるじゃん」
「りなりなは何でそんな平気そうなの………」
「私も結構緊張してる」
「完璧に緊張してるな。イノも」
「……ん。僕も緊張してる」
俺自身も、こうしてサプライズ会などをたくらむことはなかなか無くて、さらにはイノへのサプライズも重なっていることがあって若干緊張している。
叶と大樹と海斗への説明も既にしてあって、イノの方をちらちら見ながら叶がにやにやしている。彼女は、完全にサプライズができないタイプの人間だ。
今にも計画が露見してしまいそうで焦る。
会話もなくなって、ただただ幸人を待つ。
里奈が「プレゼントは私が渡すから」と言ってくれたおかげで、幸人へのプレゼントとイノへのプレゼントが同じ場所に置けていた。
田島さんと幸人が談笑する声、そして足音が聞こえてくる。
扉が、───開いた。
クラッカーを鳴らす。
驚いた顔の幸人と、笑顔でカメラを構える田島さんの姿が其処にはあった。
「えっと、これは……?」
混乱した様子の幸人を用意していた椅子に座らせ『今日の主役です』と書かれた
「今日の幸人さんへのサプライズ会の、司会を務めさせていただきます有間颯です。よろしくお願いします」
ちゃっかり照明を使いこなして雰囲気を作っている海斗が、視線で確認を求めた颯に対して盛大なサムズアップを送る。こんな感じの雰囲気でいいかと安心しつつも、聞きやすいような声を意識して話す。
「本日の会は、普段お世話になっている幸人さんへの感謝を伝える会として計画されました。まず初めに、未成年組からのバンド演奏のプレゼントがあります。担当の人たちは準備をしてください」
司会席でスポットライトが当てられている幸人の方を見ると、嬉しそうににこにこ笑っていた。
「お、楽しみだなぁ」
未成年組、と称された子供らがバンドの演奏準備で各々の場所に着く。
海斗の照明の仕事は、早々と田島さんに奪われていた。あのノリノリな恰好にはいつ着替えたのだろうか。
演奏はドラムから入る。
周りを見渡すと、小さな首肯が返ってきた。
クラッシュシンバルを切るように叩く。
刻み始めたドラムのリズムに、ベースとギターが乱入した。バンドをしているとき特有の高揚感が全身を包む。
そんな一見収集のつかないような一体感のある演奏の後ろから、だんだんと歌声が響いてくる。叶の綺麗な声ではなく、海斗の静かな柔らかい声が。
ピアノの流暢な音で満たされる。
歌詞は、ありがちなものだ。
今までありがとうだとか、これからもよろしくだとか。そんな単純明快な内容のはずなのに、人の歌声として耳に入ってくるとすべてが違って聞こえてくる。
叶の声が聞こえた。
ラスサビの直前、ドラムを一瞬止める。
静かに、静かに声だけが聞こえる。ゆったりとしたベースがスラップも何もせずに、ただただ優しく響いた。
曲が最後に差し掛かる。
歌声が止んで、ドラムもギターもピアノも止まって。ぱちぱちと拍手をしたのは田島さんだけではなかった。
イノを、幸人の隣に連れて行った。「何をしている?」と問われても笑顔で無言を返す。
幸人へと、イノへの言葉。
最初は颯からだ。「今までの普段の感謝を伝えたいと思います。幸人さんと、イノさんへの」と言うと、イノが驚いたような顔をする。
「幸人さんには本当にいろいろお世話になってます。遊びに来たときはいつも笑顔で迎えてくれて、ここに来るのが本当に楽しみでした」
対して話していないというのに、幸人は早くも涙目だ。
イノはこうした計画を立てることがあまりなかったようだから経験も薄いのだろう。いまはそのイノも、サプライズを受ける側なのだが。
「バンドでも、ドラムを直接教えていただいてありがとうございました。幸人さんは褒めるのが上手くて、教えてもらっていて本当に楽しかったです」
もっともっと語りたいことはあるのだが、一人に時間を取ると長くなってしまう。
「そしてイノ。初めて一緒に遊んだときは『こいつ無表情だな』としか思えなかったのですが、今ではそれもいい思い出です」
「おい」というイノの突っ込みが入ったが、あえて無視して話をつづけた。
「前よりも表情が豊かになって、仲間想いのいい友人だということが分かってきました。たまにふざけが過ぎる時もありますが、そういうところも含めてイノらしい気がします。いつも本当にありがとう」
小さく頭を下げる。
「次は叶さんと海斗さんと里奈ですが………」と二人に話を振ると、堂々とした笑顔で手紙をもって前に歩み出てくれた。
「私たちはうまく話せる自信がなかったので手紙です」
「俺もー。んで、これです」
「読んでねー」
三人とも手紙を手に持って、今日の主役とその娘に手紙を渡す。イノは普段の印象に合わず、軽く泣きそうになっている。ごまかすように目を拭いたのは、見間違いでないだろう。
幸人は涙がこぼれているが。本当にいい笑顔だ。
大樹の方を見ると、いつもの無表情のまま一歩前に出た。
「大樹です。初めまして」
イノが噴き出す。それを見た大樹は、小さく微笑んだ。イノの前ですら、表情を見せることは少なかったのに。
「幸人さんには小さい頃からたくさん助けていただきました。僕の両親は放浪癖があって義務教育がある僕は置いてかれることが多く。そういう時はいつも快く迎え入れてくださって本当に助かりました」
うんうんと幸人がうなずいている。
大樹の両親は学者で、調べなければならないことがあると海外にまで出てしまうのだ。大樹に対して申し訳なさは感じているようだが、当の大樹から許しが出たため海外で仕事をしていることが多い。
「いろいろめんどくさかった僕ですが、本当の親のように優しく接していただいて、本当に助かりました。一応は自立できたのかな、と思っています。……これ以上は少し無理そうですが」
大樹は大樹で、いろいろと苦労しているのだった。彼は、イノの方を向く。
「んで、イノ。いつもありがとうね。僕が落ち込んでるときは真っ先に気が付いてくれるし、暇そうにしてても何にしても一番に気が付いてくれる。それが本当に嬉しかった。イノのお母さんが亡くなっちゃったときも、僕の方を気にかけてくれて。一番つらかったのはイノのはずなのに」
イノの母親、幸人の妻は病気だった。娘を生んだ直後から衰弱し始めて、彼女が中学一年生の時に亡くなった。
そんな一番辛い時も、大樹と一緒に居たのだ。
「僕はあんまり言葉に出せるほうじゃなくて、感謝を思っていても伝えられないことが多かった。ああ、でも。ごめんって何回言ったかな……。ありがとうよりも多い気がする」
前に大樹から、表情がなくなった理由を聞いたことがある。
イノの母親が亡くなって、上手く笑えなかった彼女を見たら自分だけ表情を作るなんてできなかったと。
「だから今、ありがとうってたくさん伝えたいと思います。幸人さんにも」
里奈の方を見ると、彼女はプレゼントを用意して手に持っていた。
「僕と仲良くしてくれてありがとう。僕のことも心配してくれてありがとう。僕のことをいつも見てくれてありがとう。僕のことを……」
たくさん、伝えたい感謝があると、前に言っていた。
「本当に、ありがとう」
大樹がにこりと笑った。
里奈たちと顔を見合わせる。「せーの」と小さく言ってから。
───ありがとう。
五人分の、あんまりたいそうな感謝はできないけど。手渡されたプレゼントを嬉しそうに眺める二人。
「もうちょっと大事な話があります」と大樹が言った。
イノと幸人の方をまっすぐと見て。
「イノ。貴女のことが好きです」
事前に知らされていたのは颯だけだったようで、叶と里奈と海斗は息を呑んでいる。もちろん、幸人も。
ただ、幸人の表情は嬉しそうだった。もとより、イノの相手は大樹しかいないと思っていたのだろう。
「幸人さん。娘さんをください」
「ちょっと大変だよ。僕の大切な一人娘だからね」
「頑張ります。必ずもらうんで」
「……はは。そうだね」
イノはと言えば、ちゃんと涙を流していて。
初めて会ったときよりも格段に明るく、表情が豊かになった彼女が。
ぺしぺしと大樹の腕を優しく叩く。「遅い」と、すこし嬉しそうに言った。
「私も、大好き」
イノが、大樹に抱き着いた。
フェードアウトすることもできずに、友人たちの幸せそうな様子を眺める。いつの間にか普段の恰好に戻っていた田島さんと並んで。
幸せそうな彼らの様子が、……少しだけ羨ましくて。
楽しそうに笑う叶の横顔を見つめた。
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