第32回 蛇と狼
相手の武器は逆手に握った小刀二本。
毒を塗布してあると、まず考えて良いだろう。
二人が傷を負う前に割って入れたのは幸いだが、
(これで自分が喰らったら笑えないな)
男の連撃を避けつつヂェンリィは思った。
脇から肩へ走る右の刃。後ろへ下がり躱したなら。
男はすかさず、その刃を順手に持ち替え薙ぐ。
ヂェンリイは頭を低くして躱し、突き出された刃を握る左手首を爪でもって切り裂く。
「うぁっ!」
と相手が怯んだ。
そこで水月を前蹴り。男が左の小刀を落とした。
ヂェンリィは顔についた血糊を拭いながらそれを拾い、まだ馬駆る蛇徳教に投擲。
馬が腹の痛みに嘶いなないた。
小刀使いが向かってくる。
ヂェンリィは足で砂埃を巻き上げる。
目潰しにも構わず男は刀を振るう。
が、斬ったのは空くうのみ。
ヂェンリィは男の頭上を跳び越えたのだ。
男は当然、振り向きざまに斬り付けん。
その手を取って脇に挟んで拘束。するや否や足払い。
倒した背に圧し掛かりつつ、男の首を引っ裂いた。
今度は血飛沫を浴びぬように。
(ジィドゥは牙の中でも上だったのかもしれないな)
小刀を奪ったヂェンリィはショユエを探す。
不殺の構えでいる彼女のこと、まだ倒せていないはず。
と思いきや、両膝の皿を砕くことで制していた。
ヂェンリィは小刀を屋根の上で弓射る蛇に投げつけ、ショユエに駆け寄る。
「足手まとい、なってないよ!」
「みたいだな」
そこへハオもやってきた。
「妙なことになってる」
「なに?」
「挟み撃ち組が来たんだが、数が少ねえ」
「理由は? 聞いたんだろう?」
彼は頷き、
「蛇が四人ほど、山に入っていったらしい。それを追った」
「その山って」
「ああ。あの山だ」
ヂェンリィの顔色が変わる。
「でも」
とショユエ。
「偶然じゃないの?」
確かに、そんなにも早くに辿り着くとは思えない。
「だけど」
ヂェンリイは言った。
「わかっていて行ってるなら大変なことになる。あの文字を読めるやつがいないならいいけどね」
「最悪を考えようぜ。目――斥候が俺らを見ていた。巴蛇は賢珠語に精通している。このまま放ほっといたら」
「全てを体得するには年単位で掛かるはず。が、天下無双の噂が本当なら、その一端でも脅威。最も重要であろう内功の一節とかね。すぐに追うべきだ」
ショユエとフゥシィが賛成すると、四人は襲い来る連中をあしらいつつ村を出た。
山の中腹に近づくにつれて血の臭いが漂ってくる。
一人二人どころではない。
いや、それはもはや人とは呼べなかった。
肉塊。
牛や豚のそれのように、綺麗に処理されたのならまだしも。
皮は当然、服も毛も残り、臓物を撒いたような様は無惨の一語に尽きる。
目を覆ってしまっても無理ないところ――前方に男あり。
筋骨隆々にして両手にはそれぞれ、
略して青龍刀とも呼ばれるそれは、長い柄の先に、湾曲した幅広い刃を備えている。
刃の腹に龍の装飾あるため、その名がついた。
男がこれ見よがしに二刀を振り回す。
葉や枝が舞い上がっては刃に揉まれ木端微塵。
相応の重量を片手で、しかも止め処なくとは。
恐るべき
間違いない、この男だ。
彼らを肉塊と化したのは。
(蛇牙録には、らしき人物像は載っていなかったな)
ハオが一歩、前に出る。
「おいおい、肩に長城でも乗せてるみてえだな」
その意図を察し、ヂェンリィは森に入った。
「行くよ、二人とも!」
「う、うん! ハオさん、勝ってね!」
事ここに至って、蛇徳教が百合経の在処ありかを知っていることは疑いようがない。
でなければ、こうして待ち伏せをしてまで追手を排除、ないし時間稼ぎをする理由などないだろう。
道なき道を寺目指してひた走る三人。
田舎暮らしで山に慣れているからと、ショユエが先行。
彼女の辿った通りなら、確かに進みやすい。
そんなショユエが
「わーっ!?」
まさか、足括くくられて逆さに宙吊りぶらりん。
まさしく足元をすくわれてしまうとは。
「ショユエ!」
立ち止まるヂェンリィとフゥシイ。
ショユエが叫ぶ。
「二人とも後ろ!」
すかさずフゥシィ、拳を繰り出した。
直撃ならず。
逆さまの男は、フゥシィの手首を黒い紐で縛って止めた。
なぜ逆さまで宙に浮いているのか。
いや浮いているわけではない。
樹上より垂れ下がる紐を両足で掴んでいるのだ。
蜘蛛の如くに!
さっきの男とは対照的だ。
細長い手足に、地につくほど長い髪。
ヂェンリィが追撃に動けば男はフゥシィの腕を解放し、紐をしゅるしゅると登り木の葉に隠れてしまう。
ショユエは足を縛る紐に爪を立て、
「意外と固……うわ、よく見たら髪で出来てるっ。気色悪きしょいなぁ、もう!」
どうにか切り裂くと言った。
「よしっ。二人は先に行って!」
ヂェンリィは迷わなかった。
一見した限り、相性が良いのは彼女か自分。
ショユエが買って出るというのなら断る理由は、ない。
気がかりなのは、恐らく向こうの思惑通りに戦力を分散してしまったこと。
一刻も早く巴蛇の邪魔をしなくては。
その一心ゆえ、だが早計だったのではないか。
肝心の巴蛇の実力がわからぬまま。
自分とフゥシィ。
どちらかが先に、あるいは二人で彼と対面したとして仲間が追いつくまで持つだろうか。
ヂェンリィは頭を振った。
今更だ。かなうかわからぬ。
それでもかなえてみせると、この道を歩んできたではないか。
母の手紙も、オウヨウの言葉も振り切って。
そのときが来たなら決死で臨むのみ、だ。
二人は寺の前に辿り着いた。
山に入ったという蛇は四人。
巴蛇を除けば、あと一人いるはず。
森や山道に待ち伏せていて運良くやり過ごせていたら……それは高望みというものか。
ヂェンリィとフゥシィは、それぞれ扉の左右に立つ。
開けた瞬間、矢が飛んできても当たることないように。
その警戒は正解だった。
もっとも、飛んできたのは矢ではなく、緑色の霧。
それ放った本人は標的なきに「あら」と呟く。
女の声だった。
虚をつくつもりでヂェンリィは中に飛びいる。
しかし、女はすでに下がった後だった。
女の爪が緑色しているのを見て、もしや、と思った。
フゥシィもわかってはいるだろうが口に出す。
「
「あらあら。そんなに有名? 美しいものねぇ」
その手から放たれる
感覚のなくなった手足を切り刻み、色々と吐かすのを趣味にしているとも。
「フゥシィ、あんたは右から」
言って左に回ろうとするヂェンリィを、彼は袖を引いて止める。
背中に字を書く。
「隙を見て先に行ってください」
小声で返すヂェンリィ。
「いや、ここは二人掛かりで」
「二人とも麻痺したら大変です。会得妨害優先」
「……わかった」
ヂェンリィは改めて左側へ。フゥシィは右側へ。
じわりじわりと歩を進める。
まず攻め込んだのはヂェンリィ。
いや、そうと見せかけて菩薩像へ向かう。
スイの意識が一瞬、彼女へ取られたところをフゥシィが打つ。
反撃に毒氣を放つも、すでに離脱済み。
より近いのは(いちいち元に戻すなよ!)と菩薩像を押すヂェンリィか。
だが当然、ヂェンリィへ攻撃の意を見せれば、フゥシィの一撃離脱の拳が炸裂する。
彼はスイに小指を立ててみせた。
この国でそれは――取るに足らない小者、無能を意味する。
とうとうスイは本腰入れで彼と向き合うことにしたようだ。
こめかみがひくついている。
菩薩像の足元が口を開けた。
ヂェンリィは目で彼の勝利を応援し、地下洞窟へ降りていく。
例の壁を作るため、階段の終わり辺りに手提灯籠を置き去りにしてあるから灯りに困ることはない。
彼らの山入りから逆算するに巴蛇はすでに最奥へ辿り着いているだろうから、光のため気付かれる危険性は低いだろう。
四つの通りがある広間に着いたところで、ヂェンリィは灯りを消した。
壁に手を遣り転ばぬよう慎重に足を運ぶ。
やがて奥から、ほのかな光がちらちら覗いた。
入口の影に隠れ、じっと目を凝らす。
人影は空間のだいぶ奥にいる。
ヂェンリィは点々と立ち並ぶ岩を利用し、距離を縮めていく。
男は壁に向かって立ち、踊りでも舞うかのように手足をゆるゆるりと動かしている。
内功の鍛錬は呼吸法によるものが有名であり、おおむねそうではあるが、時に動物の生き血、毒や薬、動作を伴うものもある。
(やはり、あれからか。いわば百合経における内功の基礎、百合功ヒャクゴウコウ。……その修得を前提とした内功も多々あると、前文には書かれていた。全て読めるのか?)
彼が巴蛇――シュウ・ユであることは、状況から疑いようはないだろう。
ふと男が舞いをやめて振り返る。
なるほど、優男らしい風貌だ。
「――そこにいるのは誰ですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます