第31回 開戦
来たる決戦に備えて、いかに英気を養うかは人による。
早々に休む者もあれば、酒をかっ喰らう者もあり。
殺気立った様子はない。
どこか朗らかな雰囲気さえ漂っている。
しかし、その下では深い悲しみと憎しみとが、ない交ぜになっている。
今は秘すべきとき。未だ遠くの蛇に気取られることがないように。
ヂェンリィとショユエは森の中にいた。
壁作りは途中だが、間に合わぬと判断した。
ならばせめて、拳を交わし、最後の調整を図ることにしたのだ。
ショユエが顔に放った掌底を払い除け、蹴りを返しつつヂェンリィは言った。
「あんたはさ」
ショユエは腕で防御すると高く跳びあがり、宙で一回転。
「なぁに? ヂェンリィ」
踵を落としに掛かる。
ヂェンリィは横に避け、掌底放つも、彼女の蹴りに阻まれた。
舌打ちして言葉を返す。
「殺せるの?」
再び間を詰めて拳――ではなく足で木の葉を舞い上げる。
目くらましだ。その隙に背後へと回って裏拳。
ショユエは答えず、右手で顔を守り、左手をヂェンリィに突き出した。
ヂェンリィは後ろへ跳んで躱す。少しだけ鼻先に触れていた。
惜しいなと、ヂェンリィは思う。
力量は申し分ない。でも甘い。
「殺し合いになるんだ、ショユエ」
「……わかってるよ」
「許せないって言っただろ、あんただって」
「うん。でも、殺したいとか、そういうのは……ない、のかな、たぶん」
「じゃあ、どうするの? 役人にでも突き出す?」
「ボッコボコにして、もう二度と悪いことしないって約束させて役人に突き出す。あと指輪は返してもらう」
ヂェンリィは深く溜息をついた。
ショユエは苦笑い。
「冗談。無理なのは、わかってるよ」
「そんなんじゃ死ぬぞ。人の心もなにもない奴らに、そんな姿勢、弱点でしかないわ。人質を取るまでもない」
「ヂェンリィは? 本当に殺せるの?」
「もう、一人殺してるんだ。今更、なんてことない。自分の心配をしたほうがいい」
「だけど後悔してるでしょう? マーマや、オウヨウ先生と同じように。これ以上、苦しんでほしくないよ」
言葉に詰まった。
彼女の言う通りだった。
でもそれは、相手を間違えたからだ。
あの二人は正しかった。
が、お人好しだった。
「私なら――後悔なんて絶対にしない。生きるため、人のため。正しいことをしたんだ」
「人を殺すのは、とても恐ろしいことだよ。どんなに正しいことでも後悔する。苦しみ続ける」
「でも蛇はそうじゃない。殺さなきゃならない。今度は間違いじゃない」
彼らがいなければ、起きなかったはずの不幸は多い。
この先においても、きっと。
ただ、それを正義とは言わない。
あくまでもヂェンリィは、己の復讐心のため、母に報いるために彼らを、少なくとも巴蛇とやらを殺してやりたいのだ。
改めてショユエに言い放った。
「覚悟がないのなら足手まといだ」
彼女は目を伏せ、拳をぎゅっと握りしめた。
ややあって、顔をあげたなら、
「わたしは殺さない。マーマもオウヨウ先生も望んでないと思うから」
真っ直ぐにヂェンリィを見つめて、そう答えた。
「あなたにも、それを望んでいるはず。ううん。朱嶺派にも、蛇徳教にだって……」
誰もが誰も殺さないでいられたら。
それはきっと一番良い世の中だ。
けれど、それは――、
「ショユエ」
「わかってる。わかってるよ。こんなの夢物語だよ。誰かが誰かを殺した時点で、もう」
近づけども、近づけども、決して辿り着くことはない。
だから彼女は言わないのだ。
ヂェンリィや朱嶺派に、殺すなとは、決して。
「わたしは殺さない。ヂェンリィたちにも死んで欲しくない。足手まといにはならないようにする。絶対に」
ヂェンリィは奥歯を噛みしめ、踵を返した。
「勝手にしろ。言っておくけど私は、あんたを見捨てて蛇の頭を潰せるなら、そうするからな」
山を降りていくヂェンリィ。
ショユエの追ってくる気配はなかった。
どうせ仮宿は同じだ。
このまま顔を合わせて寝られる気はしないから、それならそれでありがたい。
そう思いながらヂェンリィは下っていった。
その姿が見えなくなってから、ショユエは呟く。
「心配してくれて、ありがとう。あなたは優しい人だよ。朱嶺派の人たちだって。優しいから、復讐したいと思うんでしょう。過ちを後悔するんでしょう」
きっと本当なら、誰も殺さずに生きられた人たち。
彼らを尋常ならざる殺意に走らせた蛇徳教。
とうてい許せるものではない。
「人を殺しても平気な人たちのために、どうして、苦しまなくちゃならないんだろう」
思いは募れども、やはり殺意とまではならないのだった。
自身が彼らのように大切な人を殺されたことがないからなのか。
それとも、彼らのように優しくないからなのか。
「……マーマの言うように、天罰があれば、きっと良かった」
夜は更ける。
それぞれの思いも関係なく、時は勝手気ままに過ぎゆくのみ。
* * *
配置はこうだ。
三分の二人が村人になりすまし待つ。
残る三分の一は道中にて潜む。
蛇が全て村内に這入りこんだところで挟み討つ、という算段だ。
ヂェンリィとショユエは家の中、微かに開けた戸口から外の様子を今か今かと窺っていた。
ハオらも別の民家で同様に待機している。
西日に馬蹄の音が、にわかに聞こえた。
黒い群れが次々に村内へと入ってくる。
まだだ。まだ開戦のときではない。
ひっそりと息をひそめる。
先頭馬を駆る男が声を張り上げた。
「おい、誰もおらんのか!」
四十代かそこらの髭面。
巴蛇ではあるまい。
朱嶺派の者が村人然として、恐る恐るといった様子で表に出る。
突然の来訪者に怯え、隠れる村人たち――それが急に牙を剥いたときの、奴らの驚きようを想像すれば朱嶺派でなくとも、笑みが零れそうになるというものだ。
「貴様が村長か?」
「へェ。旅のお方。見ての通り小さな村ですじゃ。満足な歓待ができますかは」
「構わん」
髭の男が背中の
これを偽村長、ひらりと舞って躱す。
その身軽さ、まるで猿の如し。
「貴様のような村人がいるか!」
正体バレたかと覚悟し、潜んでいた者たちも一斉に躍り出た。
ヂェンリィらも、それに続く。
髭の男が高笑い。
「揃っているな!? 朱嶺山の雑兵どもよ!
シン・エンが気炎をあげる。
「今こそ積年の恨みを晴らすとき! 親や子の死にざま思い出せ! 毒蛇を磨り潰すのだ!」
二人の発した鋭い号令に応えて、二つの鯨波が重なり合う。
うねるうねる波うねる。
荒れ狂う
ヨウオウいわく、若い優男。
常に笑みを絶やさぬような。
ヂェンリィの右から急襲。
彼女は敵の顔を爪で切り裂き、それが若い女と認めると舌打ちした。
「お呼びじゃないっての」
その背後から男が襲い掛からん。
ショユエが蹴り飛ばす。
「真逆だった!」
例えるなら顔面凶器。
それにしても、とヂェンリィ思う。
(シン・エンの想定と、どっこいの数。だが、質はというと北方の猛者とは呼べないほどだ)
少なくとも、今しがた撃退した二人は雑魚も雑魚。
(恐らく半分は数合わせ。お互いに見張り合ってたみたいだけど、蛇が上手だったか?)
朱嶺派が倍の数でも、やや不利というのが事前の評価。
雑魚と言えども数の利を埋められた、その影響はどれほどか。
頭を探るまでは戦況を維持したいところ。
ショユエと視線を交わす。
互いに頷き、それぞれ牙らしき相手に向かっていく。
ヂェンリィは苦戦していた朱嶺派二人を下がらせ言った。
「邪魔になる。向こうに行け」
「く……恩にきる!」
その牙は若い優男だった。
「あんたが巴蛇?」
ほくそ笑んで答える男。
「さて、どうだろうね?」
(ま、違うな)
この男は先の雑魚よりも強いが、恐ろしさがない。
暗殺集団、蛇徳教の頭目。
そいつは底知れぬ恐ろしさを、笑みの下に秘めても秘めきれぬ恐ろしさを、宿しているに違いないのだ。
この牙となら
傍目から、そう判断すればこその割り込みだった。
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