最終章

百合の花は満天に咲く

第29回 北へ

 樹立キリツとは、連理町から見て北に位置する清水セイスイ湖の近く、山間にある小さな村である。

 畑や里山から恵みを受け、家畜を飼って、稀に町で売り買いをする。

 そんな慎ましい暮らしをしているようだった。


 村の入口で突然、ショユエが道端に腰を下ろした。

 ヂェンリィも見てみれば、膝小僧ほどの高さの、剣を手にして立つ像がある。


「仏像か」

 と言うと、ショユエは「妙見みょうけん菩薩ぼさつだよ」と返した。


「だから仏像だろ」


 ハオが言った。

「菩薩とは本来、悟りを求めるものの意。仏は、もう悟った後だ」


 ショユエが拍手する。

「おー、詳しい。そういうことだよ、ヂェンリィ」


 彼は「いや」と師弟フゥシィを指差す。

 どうやら知識の元は、そちらだったようだ。


「俺も、ひとまとめに仏像でいいだろ派だ」


 フゥシィは続けて、ハオの口を借り、

「タオ教の北斗七星信仰を、賢珠ケンズ国より伝えられたシャキヤ教が取り込んで生まれた菩薩です。ちなみに妙見は、目がとても良いという意味で、転じて善悪や真理を見通す者ということ」


「そこまでは知らなかった。じゃあ、悪い人が入ってこないように、見張ってるのかなぁ。剣持ってるし」

「北斗七星には破軍って星がある。それで軍神としての側面もあるんだ。ま、どっちにしろ、拝んでおいて損はねえな。俺らは悪者じゃねえし、この戦いにも勝たなきゃならんしな」


 ヂェンリィとショユエは、流石に二人だけで蛇徳教と対決しようとは考えていなかった。

 かつてヨウオウがそうしたように、朱嶺派と手を組む。

 その伝手は彼女らの場合、ハオしかない。

 幸いにも別れ際、連絡を付けられるように仲介役となる知り合いの名を聞かされていた。


 再びハオ、フゥシィ組と連理で落ち合い、特にショユエがそう望んで、包み隠さず事情を話した。

 彼らは「とんでもねえことに巻き込んできたな」と言いつつ協力的で、朱嶺派の対蛇徳閥に連絡を取りつけてくれたのだった。


 ただしハオとヂェンリィの提案で、蛇徳教が村を襲おうとしていることにしてある。

 事実、彼らは一つの村を壊滅させている。

 それについても添えておいたおかげか、ひとまず信用してもらえたらしい。


 ここまでに、およそ三ヵ月が掛かっていた。


 敵の目下の狙いが百合経だと知っている以上、朱嶺派も、関係する村だとは感づくだろう。

 だが、せいぜい有力な手掛かりとなる指輪があって、それが狙われている程度と考えるに違いない。

 まさか、そこにあるなどとは思うまい。


 知らせずにおくのは、彼らの動きが予測できないからだ。


 優先順位の違いから派閥はあれど朱嶺派の根底にあるのは悪を許さぬ心。

 天下無双に至れるという伝説が真ならば、邪派に渡せぬはもちろん、自らが占有したいと考えても当然である。

 優先順位、人手不足も埋め得るのだから。


 派閥を越えて一丸となって獲りにくるなら蛇徳教の殲滅にも助かるけれど、他勢力にも情報を流し、共倒れや漁夫の利を狙われでもしたら……。

 いや、彼らが意図的にそうせずとも、人の口に戸は立てられないと言う。

 厄介なものまで引き寄せるはめになったら目も当てられない。


 朱嶺派がこちらへ向かうより一足先に、四人は村を偵察することにした。


 すでに壊滅済みという悪夢も思い描いていたが、村人たちは無事な様子。

 ホッとした。


 蛇はまだ、ここがそうとは知らぬのか。

 はたまた彼らも向かっている途中か。


 ショユエが言った。

「戦場になるかもしれないし、村人たちも逃がさないとね」


「そう、だな」

 ヂェンリィは頷きながら、その考えに至らなかった自分を苦々しく思った。

 視野狭窄。もう少し冷静にならなくては。


 ハオが言った。


「ま、百合経を俺らが先に確保すりゃあ、そんなことにはならねえ。させねえよ。ひとまずは情報収集しようぜ」

「うん!」


 ヂェンリィとハオ、ショユエとフゥシィに分かれ、村人たちを訪ねて回る。

 およそ二十戸から三十戸ほどの集落だ。

 そう時間は掛からないだろう。


「しっかし、ヂェンリィ。この組み分けはどうかと思うぜ。仏頂面と大男。誰が話してくれるかね?」

「怖くて逆に話してくれるかもよ」

「本当のところ、俺らが万が一にも、持ち逃げでもしねえようにって考えてんだろ?」

「こちとら信用していた奴に裏切られたばかりなんでね」


 彼は案外、不愉快には思っていないようだった。


「ショユエみたいなほうが気ぃ引けちまう」

「ああ、それはわかる。すれてないから――眩しいよ」


 ヂェンリィたちの情報収集はやはり上手くいかなかった。

 もっとも、思ったより村人たちは冷たくなかった。

 二人の強面に恐れたというわけではないだろう。


 ヨウオウ・シツが、当然と言えば当然だが、何度か村に滞在したことがあったらしい。

 彼の弟子と名乗ったのが功を奏したに違いない。きっと、おそらく。

 多少ビクつく者もいたが忘れよう。


 聞けたのは百合宝樹が一時いっとき、村で過ごしていたらしいというだけ。

 そのような話は、この国では五万と聞ける。

 ヨウオウのこともあるからホラではないとしても、直接、百合経に繋がるものではない。


 一方、ショユエ組。


 彼女は胸を張って言った。

「あの菩薩さまを作ったのが、百合宝樹だって話は聞けたよ。村長さんが言うんだから間違いないと思う!」


 その理屈はどうだろう。

 とは言え、貴重な情報だ。


「与太話だろうとなんだろうと、今は、ね」


 ヂェンリィらが改めて菩薩像を調べてみると、その背中に、百合の花を模した小さな刻印があることに気付いた。

 また、ふちの赤い鏡が埋め込まれていた。

 すっかり薄汚れて曇りきっている。


 ショユエが首をひねった。

「んー? なんで鏡?」


 ヂェンリィも眉間に皺を作った。

「百合宝樹が継安帝のもとから去るときに、鏡を頂いたという話は読んだことあるけど……」


「これが、それ?」

「そんな風にはしないんじゃない?」


 ハオ、ではなくフゥシィが言った。

「鏡はしばしば、真実を照らす象徴となります。シャキヤ教でも、地獄の閻魔は業鏡によって生前の所業を映し出すという話があります。妙見菩薩の背に鏡があるのは、ただ、その関係と考えることもできるかと思います」


「なるほど」

 とヂェンリィ。

「在処を示すという点では、妙見菩薩が北斗七星の神格化であることのほうが可能性あるかもな」


 四人は一斉に北を見た。

 それは仏像が見つめる先でもある。

 視線の先にはあるのは、里山だ。


「行ってみよ!」

 ショユエの言葉に一行は駆け出した。


 また菩薩を見つけたのは、山の中腹あたりでのこと。

 村の入口にあったものより大きい。人並みだ。

 ひとまず、その視線の先へ進んでいく。


 木々の狭間より、にわかに小さな寺が現れた。

 綺麗な外観。村人たちがお参りしているのかもしれない。


 中には、これまた菩薩が一尊。

 それからのこぎりや斧、山仕事に使う道具が隅に置かれていた。


 菩薩の背には、なにもなし。

 行き止まり、なのだろうか。


 四人は手分けして床や天井を調べて回る。


「ショユエ、そっちは?」

「なにもなーい。ハオさん?」

「印もなにもねえな。フゥシィはどうだ? ……ねえか」


 ヂェンリィは言った。

「的外れ、か? なにか見落としている?」


 ハオが鼻を鳴らす。

「最初の菩薩を調べ直すか? それとも、そもそもヨウオウ・シツが嘘を」


 そのとき、ズズズ……と重たいものを引き摺るような音が聞こえた。


 驚き、三人はそちらを見る。

 フゥシィが菩薩像を押していた。


「妙見菩薩の瞳が、よく見たら下を向いていたから、もしかしてと思って……だそうだ」


 果たして、その勘は正しかった。

 菩薩の足元にポッカリ穴が開いていて、階段が地の底へと続いている。


「フゥシィこそ、真実を見通す者ね」

 ヂェンリィたちが口々に褒めると、彼は照れ臭そうに口元を歪めるのだった。


「降りてみるか?」

あかりがいるな」

「わたし、村から貰ってくる!」


 階段は狭く、一人がようやく通れるくらい。

 ハオ、ヂェンリィ、ショユエ、フゥシィの順に、ハオとショユエがそれぞれ手提灯籠を手に降りていく。

 十数段ほどの距離だった。


 次いで真っ直ぐな一本道。

 途中、壁の作りが明らかに変わった。

 自然の洞穴に繋がったようだ。


 間もなく、開けた空間に出た。


 ぐるりと見回し、ヂェンリィは言う。

「分かれ道が四つか」


「手分けして進む?」

 とショユエ。


 ハオが手をひらひら振った。

「ハズレの道に罠でも仕掛けてあったって不思議じゃないぜ」


「私は全部でもおかしくないと思うがな。なにせ、天下無双の武術書が待っているんだ」


 四人は一つの道を選び、よりいっそう慎重に歩を進めた。

 そんな思いを笑い飛ばすかのように通路は全くの安全を誇り、とうとう一行は大きな広場へ辿り着いた。


 あちこちに岩が立ち並んでいる。

 明かりでよくよく照らしてみれば、それらには文字が見て取れた。

 やや古式ばった文章ではあるが、ヂェンリィらにも読み取れそうだった。


 軽身功、硬身功のような基本的なものから、排毒功、火氣功、鰓功、籠留功……。


 文字が刻まれているのは岩だけではない。

 壁や果てには天井にまで!


 その威容に圧倒され、この空間へ四つの道が繋がっていることには遅れて気付く有様だった。

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