第28回 目指すはキリツ
ヨウオウは額の皺を深くして、苦々しく首を横に振る。
「許せとは、言わぬ。とうてい……許せるわけがない……。だが、今なら、引き返せる。それでもまだ、引き返せるのだ、生きている以上は」
ヂェンリィは深く頭を下げた。
彼の最期を、きっと悔いあるものにさせてしまったことに心から謝りたかった。
ヨウオウの視線がショユエに移る。
お前はどうなのだ、と。
あるいはヂェンリィを説得する期待を込めて。
ショユエは、ヂェンリィの手をそっと握った。
「わたしも、許せないよ。母に濡れ衣を着せ、ヂェンリィたちを苦しませた一味を、どうして許せるの。それに彼らのもとには母の思い出の指輪がある。そんなの、わたしはイヤ。だから気持ちはわかるよ。わかるけど……」
ヂェンリィは鼻で笑った。
彼女の手からかすかな震えを感じ取ったのだ。
「なら、お前は帰ればいい。指輪は私が貰う」
「ちがう! ヂェンリィが心配なの!」
涙ながらの言葉に、ヨウオウはふっと息をつく。
それは諦念の吐息だった。
もはや、このふたりの歩みを止めることなど出来はしない。
若かりし頃の自分も持っていた無謀さ。
抑えきれぬ衝動。
それと同じものを瞳に宿している。
ならば、出来ることはなんだろう。
あとは死ぬだけの己の、最期の使命は。
立ち上がろうとする彼に、ショユエが肩を貸す。
それを断り、彼はゆっくり庭へと降りていく。
「指輪は……保険なのだ。もしも口伝の絶えたときのため。……キリツだ。そこに蛇はいずれ、辿り着く、だろう。知れば、危険は、避けられる」
庭の中央でヨウオウは、二人に向き直って構えた。
今にも死にそうな老人とは思えぬ鬼気を彼は、天華五輪が一華は、飃蘭は放っていた。
ショユエとヂェンリィも思わず構えを取る。
彼はか細いながら、芯のある声で、
「逃げることは、恥では、ない」
その言葉の刹那、疾風が二人の間を駆け抜ける。
かと思えば、それぞれに吹っ飛ばされる。
まさか、としか言いようがない。
まだ、ここまでの力を発揮できるものなのか。
鬼が唸り声をあげる。
「命、あっての、物種。死すれば……恨みも、晴らせぬと知れ!」
尋常じゃない殺気を滾らせる彼と、少女たちの戦いはおよそ一時間も続いた。
ヂェンリィとショユエは地に伏していた。
息も絶え絶え、全身が軋んでいる。
いや、戦いとは言えないかもしれない。
避け、守り、躱しの連続だった。
この少女たちを止められぬのなら、せめて、生き延びるための
彼の指導は、それに徹底していた。
二人を、光を失った目で見下ろすヨウオウ。
その、幾度かの吐血によって、すっかり黒ずんだ口元を開いた。
「……ここまで、か。思いの、ほか、もった……な」
これがきっと最期の言葉になるだろう。
ヂェンリィらは、涙を堪えて耳を傾ける。
「儂の生は、殺しにまみれていた。間違ったことをしたとは、思わぬ、が……。ヂェンリィよ。せめて、その報いが軽くなるよう、あの世で祈ろうぞ」
「ありがとうございます。でも私は、天罰なんか、信じていません。だから……村の人たちが殺されてしまったのも、シツ先生のしてきたこととは、関係ない。関係ないんです」
ヨウオウは一瞬だけ目を見開き、安らかな声で答えた。
「そうか。そうだったか」
次いでショユエに呼びかける。
「は、はいっ、シツ先生!」
「二人の、母を悲しませるようなことだけは、するでないぞ」
「はいっ!」
彼は満足気に頷くと、深く深く息を吐いた。
「生きろよ、お前たち」
そして立ったまま、生涯を終えたのだった。
最期に、
「なんだの、存外……悪く、な、い」
と呟いて。
* * *
蛇徳教が擁する拠点。
その一室で、ふたりの男が差し向かいに腰掛けていた。
一方は無論、巴蛇のシュウ。
もう一方は部下である。
ふたりの間にある机には百合の指輪が、占めて九つ、並べられている。
どうやら、この部下はだいぶ信頼された立場にあるらしい。
でなければ、こうして指輪を前に話など出来まい。
「巴蛇様。わたくしが思うに百合の両脇にある
シュウは、仮面のような笑みに、ほのかに真実味を滲ませた。
二つの本物の指輪から、およそ手掛かりらしきものを、彼は掴んでいた。
指輪は百合の花を模した飾りから、葉と茎を思わせる二本の腕が伸び円を作っている。
その結び目とでも言おうか。
それがシャキヤ教の経典に用いられる字と酷似しているのだ。
これまでに入手した十三の真贋不確かな指輪のうち、七つに同様の意匠が見られた。
合わせて九つの文字から三つを選んで出来る文字列は五百四通り。
この広い天元国で
地名でないことも考えられる。
手詰まりを感じていたところに、この部下の閃きだ。
シュウは二つの本物を脇に置き、部下に問う。
「この黒と白。どちらが先と?」
「白、次いで黒ではないかと推測いたします。つまりリツ。本物の指輪の可能性が高いのは、黄色、または青色の玉ではないでしょうか」
「なるほど。五行の
万物は五つの元素からなる、とする思想がある。
五行には色や方位、季節など様々なものが割り当てられている。
例えば土行に対応する色は黄であり、金行は白、水行は黒、木行は青、火行は赤である。
また相生とは五行の関係性を示す言葉の一つ。
土は金を生み、金はその表面に水を生じさせ、水は木を育む……といった、順繰りに相手を生む陽の関係を言う。
「その通りです、巴蛇様。どうでしょう、わたくしの推察は」
「しかし五行ならば、指輪も五つあるのが筋では?」
「それを言われると弱いのですが……」
「ま、そうも都合よく五文字の、隠し場所に最適な地名もなかったのかもしれませんからね。なにはともあれ、硬い岩盤に少しばかり穴が開いたような気持ちにはなりました」
言いつつシュウは、七つの指輪のうち黄色のものを二つ、青色のものを一つ、取りあげた。
それぞれの文字を本物と組み合わせると、キリツ、ネリツ、リツギととなる。
部下に、百合宝樹に関する資料を持ってくるよう命じる。
とある書の、とある
それは、かの者が訪れたことのある、と表明している村の一覧だ。
もっとも、そういう村や町は国内に五万とあるし、その大半は饅頭に百合とでも焼き印して売っているだけで本当に訪れたかなんてわかりゃあしない。
(
それでも可能性は低いほうだが、駄目で元々。
「まずは樹立から調べましょうか」
シュウは別の部下を呼び出し、各地の兵隊――牙を呼び寄せる命を下した。
それと入れ替わる形で、また別の部下が早足で入ってくる。
「目より伝令! 朱嶺派は対蛇徳閥に動きありとのことです」
「ほう。バレましたか?」
「いえ、それが、どこかへ向かっているようなのです」
「行き先がわかったら、すぐに報告するよう伝えてください」
「ははっ!」
蘭が散り、ふたつの種子を最期に残してから早
季節は初夏に傾きつつあった。
江湖最強の秘宝、百合宝樹が遺したとされる武術書――
それを手中に収めるための戦いは、すぐそこまで迫っている。
勝つのは正か邪か、悪鬼か善神か。
あるいは、その、どちらでもないのか。
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