五章

狼の涙

第23回 五岳のキョウ

 天を湿っぽい黒い雲がすっかり覆い尽くした頃、ヂェンリィらは村についた。

 運良く空き家があり、一晩、借りることができた。

 村長とその相談をしているうちに、雨はもう降り始めていた。


 寝床を作り、一息ついてハオ。

「濡れる前に着けて良かったぜ」


「だねー」

「追手は?」

「途中まではわかったんだがな。今はもうわからん。諦めたか」


「あるいは」

 とジェンリィ。

「上手く隠れているのか」


 ショユエも続けて、

「仲間を呼びに行ったのかも」


 なにはともあれ、警戒しておくに越したことはない。


「この先のことだが、俺たちは連理から朱嶺シュレイ山に向かおうと思う。向こうも二手に分かれてくれたら戦力的優位は変わらねえ、が……狙いが指輪じゃなく単純にお前らなら危険は増しちまう」


 ショユエが言った。

「いいよ、いいよ。南泉でのことは本当に助かったし。状況的にも、やっぱり指輪だと思う。わたしたち、そんな蛇徳教とかいうのと関わりないもん」


「止めはしないけど」

 とヂェンリィ。

「抜けた人間が大丈夫?」


「その点は大丈夫だ。派閥が違うしな」

「ふぅん」


 これは復讐の旅でもある。

 全くの部外者であるか彼らがいなくなることに、ヂェンリィは少しホッとしていた。


「相手の狙いが指輪なら」

 とハオがフゥシィの代弁。

「いっそのこと捨ててしまったほうが安全は安全です。本物ではないでしょうし」


 ショユエは少し困ったような顔をして、

「それは……すみません」


「わかってる。逆の立場なら俺もそうだ」


 ヂェンリィだって答えは同じだ。

 彼らには話していないが、本当のところ、好都合とさえ思っている。

 蛇徳教が父の指輪を持っているかもしれない。


(……ジィドゥは、彼らの仲間だったのか? いや、メイフォンの疑いは、まだ晴れていない)


 今宵最初の見張り役となったヂェンリィ以外は寝床で横になった。


 雨音が静かに屋根を打つ。

 パタパタ。パタパタ。


(朝には止むといいけれど)


 ヂェンリィがそう思っていると、ショユエが口を開いた。


「ねえ」

「なに?」

「朱嶺派と白峰ビャクホウ派って、どういう関係なの? どっちも五岳の名前だよね」


 五岳とは、この国、天元の東西南北中央にそれぞれ位置する、名高き五つの山の総称である。

 そのうち青崖セイガイ島だけは、東の海にある離れ小島だが。


 ヂェンリィはちらりと横目で男性陣を見た。

 目を閉じている。もう眠ったのだろうか。


 少しだけ声を落として、続けた。


「山というのは古来より、武術家や宗教家の修行地になっていることが多い。五岳にも、それぞれに武門があって名門と呼ばれている。まあ、黄頂コウテイ山は別だけど」

「黄帝の聖地だから?」

「ああ。だから黄頂派と言うときは、国軍を指す」


 ハオがふと口を開いた。

「護帝のための武術。武侠ならぬ武京、ってな。ま、個々人となら敗ける気しねえが」


 次にヂェンリィは白峰派の名を挙げる。


「天華五輪を決めるところだよね?」

「白峰派自体は百合宝樹ヒャクゴウホウジュより歴史が古いんだけど、かの者にあやかって始めたのが、白峰論剣。五大武術家の選考会だ。三十年に一度開かれるから、次は十年後だったかな、確か」

「へぇー。出てみたいかも」


 ヂェンリィは鼻で笑い飛ばした。

「それはさておき、だから与えられる称号には草花の名が入るんだ」


「そういえば」

 とショユエ。

「シツ先生は飃蘭ヒョウランとも呼ばれているんだっけ」


「そっちが天華五輪としての二つ名になる。飃は漂うの意。一所に定まらない人だからだろう。ちなみに付けられる花は決まっていて、牡丹、梅、菊、竹、蘭だ。牡丹が最も優れた人に与えられる号。他はそれに次いで同等」


「牡丹は花の王様って言うし、他は四君子だね!」

「そういうのは知っているんだな。……そうそう。天華五輪だからって、皆がシツ先生みたいじゃないから。あくまでも武術の力量で定められるのであって、為人ひととなりは関係ない」

「ん、わかった」


 白峰派の話は、もう少しだけ続いた。

「あそこはタオ教の聖地でもある。彼らは武術を通じて心身を鍛え、不老不死を目指している、らしい」

「へぇー! 不老不死って、なんか、すごいね。本当にできるのかな?」


 ハオがまた口を開いた。

「正確には不老不死そのものが目的じゃない。それ自体も道とやらと一体になるための手段だ」


「道?」

 首を傾げるショユエ。


「宇宙の真理、らしいが、俺も詳しくは知らねえ。不老不死になれば時間がたくさん使える。そうすれば道に至る可能性もあがる、ってわけだ。武経と言ったところか。経には通り道って意味がある」


 ショユエとヂェンリィは感心するように頷いた。

 話は、ハオ主導のもと朱嶺シュレイ山に移る。


「武術は強きを挫き、弱きを助けるってのを信条としている」


 ショユエが「おぉっ」と声を漏らした。

「まさに武侠! あれだ、ヂェンリィの言ってた、正派ってやつ」


「白峰派も正派だぜ」


 ハオが言えば、ヂェンリィは、

「朱嶺派は、その白峰派を邪派としていたな。私の記憶が正しければ」


 ショユエが跳ねるように半身を起こした。

「え? え? どういうことなの? そういうのがあるってのは前に聞いたけど」


 答えたのはハオだ。

「自分たち以外を認めてねえのさ。とは言え白峰派を優先組織としている派閥は、少ないがな」


「派閥って? さっきも、ちょこっと言ってたよね」


 ショユエだけでなく、ヂェンリィもその辺り、内部の事情までは知らない。

 ハオの言葉に耳を傾けていた。


「最初のうちは違ったらしいがな。今の朱嶺派は、どの組織を潰すかでたくさんの派閥がある。邪教を潰したい連中もいれば、盗賊団を潰したい連中もいる。だが、じゃあまずは邪教、次は盗賊団なんて話にはならねえのさ」


「どうして?」


「復讐者が半分なんだ。まずは自分の恨みを誰もが晴らしたくてしょうがねえ。でもバラバラで人手不足だから、それもままならない。一個の組織というよりも、複数の組織が同じとこに居を構えてるって感じだ。まぁ、情報共有くらいは、一応してるがな」


 ヂェンリィが言った。

「縦割り組織って感じなのね」


「俺は拾われたって話をしたと思うが、これは対黄帝派閥に、だな。今の掌門しょうもん――全体の指導者の派閥で、最も影響力が大きい」


 ショユエが驚いた声をあげる。

「反乱でも起こすの?」


「時が来たら、な。その時ってのはつまり、暴君が帝の座に就いたときだ。その時のために、武器や兵を集め、技を磨いている。今の龍雲リュウウン帝の評価は悪くねえから、まぁ安泰だろう。俺が抜けた理由は派閥派閥に嫌気がさしたのと、拾われもんにゃ崇高な志なんざ理解できなかったからだな。ちょっとした人助けくらいならするけどよ」


 ヂェンリィはふと百合宝樹の逸話――時の暴君・賢陽ケンヨウ帝を、その妹にして後の継安ケイアン帝と共に討ち倒した話――を思い出していた。

 もしかしたら影響を受けているのかもしれない。


 次にヂェンリィは青崖セイガイ派について、こう話す。

「武術家と言うより、武術研究家って感じね。話を聞く限り」


 ハオも頷き、

「世界武術大全って言われてんな」


「古今東西の武にまつわる書物を収集、編纂しているんだってね。武術の記録や体得のため、島に引きこもっている者と、まだ見ぬ武術や失伝しつつある武術を追い求めて島外にいる者の二派に別れると、たまたま飯屋で相席した青崖派から聞いたわ」


「武術に熱狂した連中だ。いわば武狂。技を誰かに試したくて外に出る奴もいると聞くぜ」


 最後に黒岫コクシュウ派。


「邪派」

 とヂェンリィ。

「十人中十人がそう言う」


「そんなに?」


 ハオが答えた。

「武術は自分の欲望を叶えるためにある、って連中の集まり。武侠ならぬ武叶とでも言おうか。欲望それ自体には良し悪しある。が、あそこの大半は悪い欲望の持ち主と思って良いだろうな。治安も悪ぃらしい。だから蛇も北上したんだと思うぜ」


「力のあるやつにはいいところだけど、意気揚々と向かった腕に覚えのあるやつが返り討ちにあって、舎弟にさせられるのも黒岫あるある話だ。イン州出身の門人が言っていたよ」

「へぇー」



   *   *   *



 流行り病で壊滅したという村を迂回し、遂にヂェンリィとショユエは連理町に辿り着いた。

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