第22回 正邪交交

「……蛇徳ジャトク教、か?」


 ショユエが首を傾げ、上擦った声で、

「な、なにそれ?」


「蛇神に祈りたまえ、さすれば徳を授けん、ってな。徳は毒の意。暗殺集団だ。十七年くらい前に北上したって聞いたが、戻ってきたのか」


 その名はヂェンリィも知るところだった。

 最初の黄帝、泰平帝タイヘイテイを暗殺するための異国の組織が源流とも、黄帝こそが組織したとも。

 ほとんどが噂の域を出ない話ばかりだが。

 この男は謎多き暗殺者たちの動向を、どこで見聞きしたのだろう。


「詳しいな」


 彼は少し迷って、

「あー……俺たちは朱嶺シュレイ派だ。元、だがな」


 ひとまず納得できる答えだった。

 かの武門は暗殺集団や邪教団、盗賊団などを目の仇にしている。

 対抗すべく情報収集くらいしているだろう。


「って、たち?」


 ヂェンリィは聞き返してから、戸口に現れた人影に合点がいった。

 ショユエも彼に気付いた。


「フゥシィ君!」

「兄弟? にしては似てないな」


「師弟だ」

 兄弟子のことを師兄と呼ぶように、ここで言う師弟とは弟弟子の意である。

「二人とも親無しのところを拾われたんだが、あいつらにゃ付いていけなくてな」


 フゥシィはハオの腕を取り、その掌を指でなぞっていく。

「こいつ、口が利けねえんだ。……おう、良くやった」


「彼はなんて?」

「宿の主人が来たから銭握らせて追っ払ったとさ。この有様を見られたら面倒だったぜ」

「ありがとう、フゥシィ。あとハオも」


 不意にショユエが死体のもとへ。

「ねえ、これなにかな?」


 見てみれば首筋や腕に黒い斑紋が浮き上がっている。

 まるでじゃのような。


 ハオが眉根を寄せた。

「すぐに出たほうがいいかもしんねえな」


 なぜ、と問う二人。


「この毒は、連中が自分の仕業と誇示するためのもの。他には聞いたことがねえ、特別製だ」


 ショユエが「なるほど」と手を叩く。

「今の状況、わたしたちが蛇徳教の一員に見えるね。で、この人たちを殺した」


「そんな毒のことを知らなかった私たちは、無実を訴えながら役人に拘束される。その間に、没収された指輪を盗るなんて簡単な話ってわけか」


 ハオが哀れむような声音で、

「こいつらはハメられたんだな。毒を喰わされ、解毒剤と引き換えに指輪を奪ってくるように言われてたんだろう。成功すれば御の字くらいには思っていたかもしれねえが、期待はなし。お前たちとの戦闘中にでも毒で死ぬことこそが役目。ひでえ話だ」


「でも待って?」

 とヂェンリィ。

「もしも毒のことを知ってたら脱出。いや、そうじゃなくても、この状況、捕まらないために逃げるのが筋だろう。そこを襲うのが本命じゃない?」


 しばしの沈黙の後、まずはハオの意見。

「戦闘になれば毒を喰らう可能性もある。捕まるほうが生存率は高い。脱獄と指輪なら俺らが助けられる」


「あんたを、そこまで信じる理由がない」

「だろうな」


 次にショユエ。

「でも無実なのは無実なんだし、逃げるのは良くないよ。宿帳の名前と、人相書きかなんかで手配されちゃうだろうし」


「宿帳は出るときに盗る。人相書きくらいなら、ここらに一年も近づかなければ大丈夫だろう」

 でも、とヂェンリィ。

「確かに毒は怖い。ここは一旦、捕まるほうが良いかもしれない。ハオたちの助けは期待できないけど、それでいい? ショユエ」


「うん。わたしは助けてくれると思ってるし」

「ま、結果で示すさ」


 フゥシィが手を挙げた。


 ハオを通じて言うには、

「ぼくも本命は、逃げたところを襲う作戦だと思います。没収された指輪を狙うなら、彼らが死んだところで役人が来るはずですが、まだ来ていない。蛇徳は毒の効果が出る時間を調合で操れると聞きます。二の矢でしょう。また、お二人に余裕で勝てるくらいの戦力があるのなら、そもそも彼らを使わないと思います」


「なるほど」

 とヂェンリィ。

「慌てて逃げた私たちの隙を突くのが一の矢ね」


「はい。だから――ぼくらがいれば逃走は、まず成功すると思います」


 役人が宿に踏み込んだのは、四人が去ってから数分後のことだった。



   *   *   *



 警戒しながらも、そそくさと宿から立ち去る四人組を、女は猫のような目で見下ろしていた。

 女は町で最も高い、役所の屋根の上にいた。

 その左右には頭巾姿が従者の如く。


 右頭巾が、左頭巾ヒ・コウに視線を遣りながら、

「お前はどう思う? 先代の血を継ぐお前は、目の中で一位だろう」


「厳しいですね、あの決勝戦を見るに。個々の力量では、ジィドゥと俺のほうが僅かに上だと思いますが、それでは実質二対四は覆せません。ひとまず見張る方針が良いでしょう」


「やはり、か」


 彼は猫目の女を窺った。

「どうしますか?」


 彼女は舌打ちして、

「なぁんでハオってのが一緒なのよ。あいつ嫌い」


「予選で、くそビビッてましたよね」

「あ?」

「すみません。……たまたま宿が一緒だったんですかね。悪運の強い奴らです。それで?」


「決まってんでしょうが。あたしにはねぇ、指輪を献上したところを巴蛇様に見初められて、あれよあれよと蛇夫人にまでなって毎日お気楽に暮らすって偉大な夢があんのよ。見張り継続。……はぁ~あ」


 左頭巾ヒ・コウは、その背をじっとめ上げるように見つめていた。



   *   *   *



 南泉ナンセン町と連理レンリ町を繋ぐ最短経路には、いくつかの村落がある。

 連理に近い村の一つに、飃蘭ヒョウランのヨウオウ・シツはいた。


 普段は人懐っこい笑顔をした、丸禿げた頭のご老人。

 しかし今、彼は月明かりの下、彼よりだいぶ若い男の前に跪いていた。


 目元からは悔恨の涙を、両の手首からは鮮血を滴らせていた。

 両手を失ったにしては少ない血量。

 すぐに筋肉と内功で止血したようだが、その消耗度合は、想像するに難くない。


 ヨウオウは脂汗を浮かべながら眼前の男に唸り声をあげた。

「解毒剤を渡すんだ、シュウ」


 シュウ――そう呼ばれた男は穏やかな笑みを浮かべている。

 花畑の中にでもいるようだった。


 手にした刀を地に振るえば血の花が咲く。

 その背後には数人の部下と縄で縛られた村人の姿があった。

 村人たちは震え、涙を流しながら口々に助命を懇願していた。


「指輪と腕は、くれてやったではないか……。先代も、得にならぬ殺しは、せんかった」


 シュウが部下に顎を使う。

 すると彼らは村人の縄を解いてやり、一人一人に丸薬らしきものを含ませていった。


 ヨウオウがホッと胸を撫でおろしたのも束の間、シュウは笑った。


「その先代巴蛇ハダは殺されましたがね」

「……貴様、まさか」


 彼はヨウオウに背を向け、村人たちに優しい声音で「皆さん」と語り掛ける。

 それはまるで、人の心の隙間にぬるりと入り込むような。


「恨むならばシツ・オウヨウを。あのとき、十七年前に渡すべきものを渡さなかった彼を」


 突然、村人のひとりが血泡を噴き出した。

 続けて二人、三人……男は無論、女子供も次々と!


 悲鳴と苦悶の協奏が暗い天に響き渡る。

 解毒剤と思われた丸薬を飲もうが飲むまいが関係なし。

 死は山となりて血は川となる。


「シュウ、貴様――!」


 ヨウオウの咆哮が夜闇を切り裂く。

 両手を失おうとも彼は飃蘭ヒョウラン――天華五輪が一人。


 その口から血が噴き出した。

 彼もまた、腕を斬られた際に毒を受けていたのだ。


(儂が無効化できん……!? 回りも早い!)


 それでも彼は脚に渾身の力を込める。

 大地がひび割れる。


 矢と化したヨウオウを、シュウはひらりと躱して足を引っかけ転がした。


「流石です、師父。部下たち程度なら今ので殺せていたでしょう。そして、毒に犯されていなければ私を殺せていた。老いてなお、恐ろしいことです。だから百合経ヒャクゴウキョウが欲しいのですよ」


 地に伏したまま微動だにしないヨウオウを見下ろすシュウに、部下が問う。


とどめはよろしいので? 巴蛇ハダ様」

「散らぬ花はありません。むしろ、今日こんにちまで良くぞ咲き続けた。その最期。摘むべき害虫に喰い殺される最期。短くない人生を振り返る、良い時間ではありませんか」


「江湖の英雄を殺したとなれば、我らの悪名は天下に轟きますな」

「それは百合経を手にするときまで待ちましょう。だから、この村に近づく者がないように流行り病の噂を広めてください」


 巴蛇ことシュウは踵を返し、

「行きましょう。残すところは一つ。そのときは、近い」


 彼らが去ると、ヨウオウの肩が微かに震えた。

 まだ辛うじて生きていた。

 これも卓越した内功の為せる技と言えよう。


(シュウ・ユよ、お前の言う通り……。十七年前! 貴様を殺すべきだった! いや、もっと早く、弟子であった頃に……わしが貴様を、蛇徳ジャトク教の手の者だと見抜いておれば!)


 血涙流れる首をどうにかもたげ、亡き村人たちを見る。

(すまなかった……。皆、すまなかった……!)


 ヂェンリィ一行が南泉に着く、前夜のことだった。

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