第20回 南泉論剣・決勝
境内の中央に戻れば闘技場は一つだけになっていた。
その前に本選進出を決めた四人は立たされ、観客たちへ面通す。
男二人に女二人だった。
僧侶がくじを引く。
まず呼び上げられた番号は壱。
次いで四。
これが準決勝一回戦目の組み合わせ。
ヂェンリィは思わず隣を見た。
次の対戦相手――ショユエもヂェンリィを見ていた。
指輪狙いで参加した二人である。これは不運のはず。
しかし、ヂェンリィもショユエも微笑を浮かべ、前へと向き直った。
静かに氣を全身に巡らせていく。
それは二人だけではなかった。
四人の闘志が伝播したのか。
西に傾きつつある太陽は、熱かった。
闘技場の中央で、改めてヂェンリィはショユエと向き合う。
構えらしい構えを取る様子はない。
自然体。常在戦場。
いついかなるとき、どのような体勢であろうと対応すべし。
ヂェンリィはジィドゥら門人から、ショユエはメイフォンから、そのように武を教わった。
その根底に流れるのはツァオ・ラングが
これが実は、祖を同じくする義理従姉妹対決と知れば、観客はさぞ大いに盛り上がったことだろう。
「準備はよろしいか!?」
僧侶の確認を経て
先に仕掛けたのは――ショユエ。
軽やかな足取りで間を詰めて右掌を繰り出す。
その指先、鉤爪の如し。
それに己の左鉤爪を合わせてヂェンリィ、いなす。
次いでショユエの後ろ回し蹴り。中段。
跳んで
助走なくとも背丈の高さに達するは、これまた内功――軽身功のおかげ。
そうして可愛い顔を踏み付け宙返り。
「むぎゃっ!」
とショユエが鳴いた。
ヂェンリィに、彼女に勝るものがある、と確信を持って言えることがあるとすれば。
それは実戦経験の多さだろう。
女一人旅、ごろつきに絡まれることも、ままあった。
それに、没落した一門で充分な路銀を用意できるはずがなし。
なけなしのそれは、すぐ底をついた。
小さいながらも賞金の出る武術大会は一つの稼ぎの手段ではあるが、そうそう滅多に催されるものではない。
道端で銭束を賭けた果し合いを求める者、辻立ちを相手にすることが多かった。
これも相手がいなければ、自らが辻立ちになった。
女子供と見て油断する輩からは、実によく稼げた。
倒した相手の身ぐるみ剥いで、見物人からの投げ銭もあったら言うことなし。
(大会はともかく。辻立ちでは敗けたことない。もしも敗けようものならきっと、今ここに、いなかった)
その緊張感、経験に裏打ちされた自信がヂェンリィにはある。
だが敗け知らずで来られたのは、相手をしっかり選ぶことと、運が大きな要因の一つだとも理解している。
決して驕りはしない。
実際、初対面の攻防での印象から、ショユエとの差は、ほとんどないように思う。
ショユエが攻める。
さっきよりもキレのいい掌底だ。
(
ジェンリィは、にわかに頭を下げて懐に。
左の掌底見舞おうとすれば相手の左が合わさって、力が真横に加わるのを感じた。
あえて逆らわず、ヂェンリィは独楽の如くに一回り。
(さっきの意趣返しか!? だったら!)
勢いままに上段を狙った蹴り。
ショユエがいない!
しゃがむかと思いきや、もっと高くに跳んでいた。
ヂェンリィは落とした踵を地に擦りつつ振り返る。
背後に着地したところを足払いで転がしてやるつもりだったのだが……。
先に、脇腹を蹴っ飛ばされる。
「くっ……!」
臓腑にじんと響く一撃だった。
(ぽやっとした顔……読みにくいやつ)
膝をついたが、まだ戦える。
立ち上がる前に顔へ足の裏が迫る。
躱して軸足に蹴り放つ。
ショユエがふわっと宙返り。
今度こそ着地の瞬間に、立ち上がる勢いを乗せて渾身の右掌底!
目元を驚愕の色に染めるは――ヂェンリィ。
手の甲で受け止められ、すかさず腕を掴まれる。
頭に過ぎる初対面のとき。
来るか内功。
(不意打ちならまだしも!)
ヂェンリィ、氣の奔流に備える。
だから見えていなかった。
ショユエの左膝があがったのを。
無防備な側頭部を、衝撃が貫いた。
倒れるヂェンリィをショユエは依然として離さない。
「……参りました」
決着を報せる銅鑼が鳴り、ようやく腕が自由になった。
ショユエが「えへん」と胸を反らせる。
「言っておくけど」
とヂェンリィ。
「殺し合いならこうはいかないから」
「負けず嫌い~」
「お互いさま」
「ま、指輪はわたしに任せてっ! ばっちし優勝してくるよ」
「左は?」
最後の掌底を受けたほうのことだ。
ショユエは、その手を挙げた。
「ちょびっと痺れてる。でも次まで時間あるし、大丈夫だよ」
「手、貸して。私も内功で回復を助けるから」
続けて準決勝二回戦。
勝ち残ったのは片目が前髪に隠れている少年だった。
名をフゥシィと言うらしい。
闘技場の外から、ヂェンリィは中央の二人を見つめる。
間もなく決勝戦が始まるだろう。
「どっちが勝つと思う?」
気付けば隣にハオがいた。
「ショユエ」
即答するも実際のところは難しい。
彼女が勝つのが、ではない。
どちらが勝つのか予測するのが、である。
「フゥシィ、だ」
とハオが言った瞬間――荘厳なる銅鑼の
少年は先の試合と全く同じように動き始める。
軽く作った握り拳二つを胸の高さまで挙げて、その場で緩やかな
対するショユエは構えを取った。
五指を鉤爪の如く曲げた両の手を、およそ顔の高さにまで挙げる。
右のほうが少しだけ前にある。
ヂェンリィは頷いた。
自分も同じようにするだろう。
(相手の攻撃に対応せんとするならば。でも、それが正解なのか? ……わからない)
パンッと渇いた音が鳴った。
フゥシィの拳が彼女の鼻っ柱を叩いたのだ。
少年は、すかさず元の位置に戻る。
一撃離脱。
それが先の試合でも見た、彼の戦法だった。
一部の見物客が不思議そうに首を傾げるのも、先の試合で見た光景。
速いと言えば速いが、防御できないほどではないだろう。
彼らはそう見ていた。
一方、ヂェンリィは違った。
(あの跳躍が鍵。真上に跳ね続ける。戦いの場でそれは、一見、間抜けなようにも映る。けど厄介なことに彼は、同じような調子で前に跳ぶ。縦か? 横か? 直前までわかりにくい)
上半身のブレも、ほとんどない。
(ショユエなんかはもしかしたら、急に相手が目の前に現れたように見えているかもしれない。上に跳ぶはずなのに、って)
だいたいショユエと同い年くらいに見えるフゥシィが、ここまでの練度を見せている。
よほどの才能があるのか、あるいは……と、ヂェンリィは隣のハオ――愚直が服を着ているような男をチラ見した。
(ひたすら、あれ一つを研鑽してきたか)
さっきの試合では、事実あの戦法だけで勝っていた。
ショユエとは、そこまで楽勝ではなさそうだ。
(癖を見抜いたか? 勘を働かせたか? それとも純粋に反射か?)
ヂェンリィは彼の右手首に、じっと視線を注ぐ。
微かなれど二本の赤い線が縦に走っていた。
鼻を殴られた瞬間、しっかり引っ掻いたのだ。
顔に近いところに置いていた左でやったことを考えれば、あえて防御しなかったのか。
二撃目が放たれる。
ショユエの鼻から血がたらり。
袖で拭ってまた構える。
その口元には、確かに、笑みが見て取れた。
ハオが言った。
「やるな」
「そうね」
二人が見るのは、フゥシィの手首。
二本の赤い線が濃くなっている。
さっきとまるで同じ展開だったのだ。
ショユエが引っ掻いた位置さえも。
(あれが出来る自信は、正直、ないな)
ヂェンリィは思わず二の腕を擦った。
夏だというのに肌寒かった。
挑発を受けてか、フゥシィの
跳躍低くなって、トントントンと、小刻み。
それに合わせるようにショユエも肩を微かに揺らす。
「――はっくしょんっ!」
と誰かのくしゃみ。
フゥシィが前に出た。
また右、いや左の拳を繰り出すかと思いきや、ショユエの左に回り込む。
(ここに来て曲線!)
彼の右拳を、彼女は体の向きを変えず左腕で受けた。
「ショユエ!」
思わずヂェンリイは声をあげた。
フゥシィの本命はそれではない。
防御のために挙げた腕の影から、左拳が顔を打つ。
ここでもまた曲線軌道。
乾いた音が小さく聞こえた。
もしや骨が折れたのかもしれない。
――フゥシィの、指の。
ヂェンリィは生唾飲んだ。
(額で受けた!)
しかも、その腕を掴んだ。
よく見れば足も。爪先を踏んづけている。
これではもう、元の位置に戻るのは難しかろう。
ならばとフゥシィ、右拳の連打。
先の堅実捨て去り必死。
ショユエは怯まず相手の胸倉掴むと背負い投げ。
石畳に背中から落とす。
もちろん、加減はしてのことだろう。
最後に手刀を顔に突きつけてやれば、彼もとうとう負けを認めるほかない。
晴れて優勝したショユエに、観客たちが惜しみない拍手を送る。
ハオが言った。
「腹のほうが良かったかもなぁ」
「あんたなら重いしね」
「顔顔ときて、また顔だろってとこに腹食らったら、拳が軽かろうと、そこそこ効いたさ」
「なるほど」
「ショユエって言ったか。顔に固執させるため、わざと顔に喰らい続けたんなら、面白い」
「まさか、そんなこと」
本物の指輪なら、ともかく。
どちらかはっきりしない代物のため、不殺の武術大会と言えども、そんな危険な真似。
ただ戦い慣れていないからだと思いたい。
だから、そんな無茶をしてしまっただけなのだと。
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