四章

百合の指輪と蛇の目

第18回 南泉町の指輪

 事件当夜のことを知るジトン・ジンインに会えば、メイフォン無実の証言を引き出せるかもしれない。

 彼はインファと違ってメイフォンとは敵対関係にあったから、信憑性もより高い。


 それが、ショユエが目的地に連理町を提案した理由だった。

 ヂェンリィも彼と話したことはなかったため、異論はなかった。


「ねえねえ、ヂェンリィ」

「なに? 食べられる草でも見つけた?」


 黙って歩くのが退屈なのだろう。

 道すがらに話を振ることは、ヂェンリィよりもショユエのほうが多かった。


「どくだみ! ってそうじゃなくて、わたしも武林ぶりんのこと、少しは知っておいたほうがいいのかなーって」

「ま、この先、関わることもあるかもしれないしね。軽く話そうか」

「やった」

「じゃあ、まずは江湖。このくらいは知ってる?」


 ショユエが頷く。

「大きな川と湖! 特に長江チョウコウ清水湖セイスイコのことだよね」


「そこから転じて世間、民間、在野を指すこともある。まつりごとの中心たる一京四府――中原が黄河流域、江湖以北に位置するから。つまり長江と清水湖は地方の象徴なのね」


黄帝コウテイの威光が充分に届いてなくて、良くも悪くも暴力にまみれているから、悪鬼善神蔓延る、なんて枕詞がつくんだよね」


「中央が清廉潔白なわけないけどね。それで武林、すなわち武術社会は、中原から遠く江湖に近い暴力の世界ってところかな。文人たちの世界、文林の対義語として作られたと聞いた」


「へぇー。誰が?」

「……さあ? 武術界の言葉なんだから武術家だろう、きっと」

「ヂェンリィにも知らないことあるんだねぇ」

「当たり前だ」


 ヂェンリィは「で」と続ける。

「悪鬼善神の蔓延る江湖と、ほとんど重なる武林にも、邪派と正派という区別がある」


「どういうのが正派で邪派なの?」


「邪派は、いくらかわかりやすい基準がある。武を悪事に使う連中、私利私欲のために動く者。盗賊や暗殺集団、邪教など。用心棒が主たるラングも、どちらかと言えば邪派になるかな」


「じゃあ、正派は……世のため人のため、みたいな?」


「それも一つの基準だけど、有名な正派の一つである白峰ビャクホウ派のように、自己を高める方法の一つとしているところもある」


「悪いことしてなければ正派ってとこだ」

「そんな白峰派を邪派と見なすところもある」

「えぇー……ふくざつ」

「武林は恩も怨もこもごも、ではないけれど、正邪善悪もこもごもってことなんだろう」


 立場が違えば見方も違う。

 まるで自分たちのようだ。


 そんな考えが頭をよぎったヂェンリィは、ちょうど丘を越えたこともあり、

「町が見えてきたな」

 と言うのだった。


 彼女たちが南泉ナンセン町についたのは昼頃のことだった。


 連理町までは、あと二日ほどかかるだろうか。

 その間には村落がいくつかあるだけ。

 今日はここで一晩を過ごすことになった。


 町は祭りの真っただ中にあった。


 通りに立ち並ぶ屋台から、美味しそうな匂いがしてくる。

 人波から垣間見えたのは大食い大会か。

 ひたすらに饅頭を口に詰め込む豊満な連中に感化され、ふたりの腹の虫はどちらともなく鳴いた。


 屋台で串饅頭を買った。

 この辺りでは具がないのが一般的で、表面に塗って焼かれた甘辛いじゃんの香ばしさが食欲をそそる。


 太鼓や笛のに合わせ、竹の龍が舞い踊る。

 子供は歓喜の声をあげて爆竹が弾ける。

 皿回しや剪紙せんしといった大道芸に、腕相撲、葉子戯カードゲーム、なにかしらの賭場等々が通りのあちこちで催されている。


 宿を探していると、寺の門前のお立ち台にあがる若僧にゃくそうの声が耳に入ってきた。


「さあさあ、江湖の達人よ! これこそが御仏の思し召し! その力を、技を、遂に示すときが来たのだ! 南泉ナンセン論剣ろんけんのときが来た!」


 ショユエが首を傾げる。


「ねえねえ、論剣ってなに?」

「武術の大会」

「へー。ちょっと興味あるかも」

「見るくらいならいいけど」


 などと遠巻きに話していたら、若僧の次の一言。

「優勝者は、百合宝樹ヒャクゴウホウジュを受け継ぐことになるだろう!」


 ショユエがヂェンリィの袖を引っ張った。


「ねえ、今!」

「ただの誘い文句だって……」

「だけど!」


 彼女に引きずられるようにしてヂェンリィも聴衆に加わった。


 かの武術家の嘘か真か怪しい伝説を仰々しく語った後、若僧が己の右手を高く掲げる。

 その人差し指の根元では銀色が煌めていていた。


「見よ! これこそ百合宝樹ヒャクゴウホウジュが秘伝を受け継ぐ者の証だああっ! 貴殿らも此度こたびの論剣を勝ち抜け、江湖に偉大なる伝説を打ち立てようではないか!」


 彼の熱量に対して、場は冷ややかだ。

 周囲の猛者らしき連中は呆れた様子で呟いている。


「ま、偽物だな」

「ろくに賞金も出せねェってか」

「簡単な話。境内の屋台か賭場で儲けようって魂胆」


 ヂェンリィも、かの指輪がまさか本物の一つとは思えなかった。


(賞金なら参加もやぶさかではなかったな。この旅がいつまで続くかわからない以上、いずれ路銀は自分たちで稼ぐ必要があるし)


 一方、ショユエは参加する気満々だった。


「わたしたちも参加しようよー」

「どうせ偽物だ」

「そうかもだけど、持ってたら向こうから来てくれるかも?」


「……なるほど」もしも真犯人がいるとして、指輪は三つあると知っていて、なおかつ本物をまだ揃えていないとすれば、だが「一理ある」


 ショユエが胸を張った。

「でっしょー?」


 その直後だ。

 冷めた空気を少しでも熱するべく、若僧が大きく咳払いをした。


「指輪が本物か否か。疑う気持ちは、ようくわかる。我々は本物と確信しているが、容易くは信じてもらえぬだろう。ならば! どうだ、この宝石は!」


 そう言って彼は、前列の男に指輪を渡す。


 男が「おぉっ」と驚愕の声をあげた。

「これは、なんと美しい! 金剛石ダイヤモンドが脇を飾っているではないかぁ!」


「その通り! 例え百合宝樹と無関係であろうとも、この指輪には拳をかける価値があるとは思わぬか!?」


 なんとも芝居掛かったやり取りだが、聴衆の雰囲気は少しだけ変わった。


「酒代くらいにゃなりそうだな」

「昨日、嫁と喧嘩しちまったんだよなァ」

「物は試しと言うもの」


 寺の門をぞろぞろくぐる連中にショユエも付いていこうとする。

 ヂェンリィは彼女の肩に手を置き、止めた。


「わざわざ参加することないでしょ。優勝者から奪えばいい」


 先ほどまでの雰囲気なら対戦相手は大したことない奴らばかりだったろうが、今は幾人かの猛者が紛れているようだ。

 それらを打ち倒すよりかは、ただ一人を二人で狙うほうが、面倒がないだろう。


 そう考えての助言だったのだが、ショユエは、むすっと頬を膨らませた。


「ずるっこは良くないよ!」

「指輪が先決。違う?」


 すると一転、彼女はニンマリと意地悪い笑みを浮かべる。


「自信ないんだ?」

「なにを馬鹿なことを。私に敗けた、あなたの身を案じているんだけど?」

「敗けてないけど?」


 ショユエは、なに言ってるんだろう、この子、みたいな顔して答えた。

 ヂェンリィも同じような顔をしていた。


「まぁ」

 とショユエ。

「それはどっちでもいいや。さくっと優勝してきちゃうから待ってて」


 小走りで行く彼女の後を、ヂェンリィは肩をすくめて、ゆっくり追い掛けた。


(こうなったら一人より二人だ。勝てばいいというのは確かだし)

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