第17回 仇の娘と旅立ち

 二人が家へ戻る頃にはショユエも起きてきていた。

 まだ寝ぼけ眼だったが。

 ヂェンリィが同行する旨を告げたら、ばっちり目が覚めたようだ。


「ヂェンリィも来てくれると助かるよー。そんなに遠出したことないし、真犯人がわかったら、すぐに教えられるでしょ」

「私はまだメイフォンたちがやったと思ってる。勘違いするな」

「ぶぅー」むくれるショユエだった。


 さて、朝食を済ませ、いよいよ出立の時は来たかと思いきや。

 インから改めて話さなくてはならないことがあると告げられた。


 今度はいったいなんだ。

 怪訝な顔でヂェンリイは、ショユエと並んでインの対面に座る。


 近所から貰った使い古しの机に、湯呑が三つ。

 食後のお茶が湯気を立ち昇らせていた。


 インが一口啜り、まずヂェンリィに向かって、

「あなたは、ショユエが本当は誰の子だと思う?」

 と切り出した。


 ヂェンリィは突然の質問に驚き、固まった。

 メイフォンとインファの子でないことは、まず間違いないだろう。

 女同士なのだ。

 どんなに愛し合っても、子を授かることは出来ない。


 養子だろう。

 貰ったのか、拾ったのかはわからないが。


(それとも、どっちかが男と……?)


 ヂェンリィがどう答えるべきか悩んでいたら、インが悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「正真正銘。わたしと、メイフォンの子よ」

「はっ!? いや、え? そんな馬鹿な。冗談でしょう?」

「冗談みたいなのは、内功よ。解毒したり、逆に毒氣を出したりできるどころか、魚みたいに水中で生活できたり、蛇みたいに脱皮して傷を治せるんでしょう?」

「そういう噂は耳にしたことがあるけど、実際に見たことは」


 ましてや同性で子を為すすべなど、聞いたことすらない。

 江湖ではなにが起きても不思議ではない、と嘯く者も世にはいるが……。


「じゃあ、ヨウオウ・シツという武術家は?」

摘蟲撒水テキチュウサンスイ! 飃蘭ヒョウランのヨウオウ・シツですか!? お会いしたことはありませんが、もちろん。武林において、ご高名を耳にしたことがない者がいるでしょうか」


 害虫を摘み正義の水を撒く。弱きを助け強きを挫く。

 悪鬼善神の蔓延る江湖に彼ほどの善神はいないと謳われる、侠客中の侠客だ。

 また、天華五輪テンゲゴリン――五大武術家の一人に名を連ねる宿老である。


「あれは駆け落ちして一年が過ぎた、冬の頃だったわ。怪我したシツ先生が村にやって来てね。怪我自体は大したことなかったけど、ずぶ濡れで、いたく消耗されていたわね」


「あのヨウオウ・シツに小傷でも負わせるだなんて……」

 相応の手練れであったに違いない。

 ヂェンリィは思わず固唾を飲んだ。


「そのときはまだ先生だなんて知らなくて、村長のところで介抱をして何日かした頃、刺客が追いついたのよ。それをメイフォンが撃退して、実は……ってね。また来るといけないから、だいぶ回復もしたしと、翌日には発ってしまわれたわ。お礼として村には茶の木に良い肥料の作り方を教えてくださったわ」

「そしてメイフォンには、そのすべを教えてくださった、と?」


 インが「その通り」と頷く。

「もっとも、秘中の秘だそうで。それによって子を為したことも、方法も口外してはならない。また一度だけ行い、宿らなければ天命と諦めるよう仰せつかったわ。わたしが武術家じゃないから今回は特別なんだって」


 その言葉にヂェンリイは、もしかして、と想像を巡らせた。

(内功を用いた子作り……二人分の内功を継がせたり、掛け合わせたりも出来るのか? その子がまた同様に子を為したら、どうなっていくか。影響が計り知れないとなれば、秘中の秘となるのも頷ける)


「だからユアンさん以外には旅先で――いわゆる出産旅行ね――産まれて間もなく捨てられた子を拾ってきたことになっているのよ。ヂェンリィも内緒にしてね?」

「はあ。でも、どうして、その話を?」


 口外禁止の約束を破ってまで、することだろうか。


「そう。ここまではショユエも知っている話。ここからが、あなたたちが知っておいたほうが良いであろう話よ」


 ヂェンリイとショユエは思わず顔を見合わせた。


「シツ先生も、百合ヒャクゴウの指輪を持っているわ」


「なっ!?」

 ヂェンリィが勢いよく立ち上がる。

「じゃあ、ヨウオウ・シツが父上を」


 倒れそうになった湯呑をショユエが支えた。


「待って、待って。そうじゃないわ。わたしたちも驚いて見せてもらったけど、ほとんど同じではあったけど別物だったわ。指輪には小さな宝石がついているんだけどね? 色が違ったの。わたしたちのは黄色。でもシツ先生のは黒色だったのよ」


「ははぁ」

 とショユエが納得した風に、

「うちのは偽物ってことだ! もともと土産物って言ってたもんねー」


「いえ、それはわからないわ。これもシツ先生が、特別に話してくれたんだけど」


 ヂェンリィは

(実はヨウオウ・シツって口が軽いのか?)

 と思いつつ、座り直した。


「ヒャクゴウの指輪は、三つあるそうなの。百合宝樹の弟子三人に与えられ、それぞれが守ることになった……けど二百年も経ってしまえばね。シツ先生と、そのご友人のは確かな筋から引き継いだものだそうだけれど、偽物が出回っているのも事実。うちのも結局どちらなのかは、わからないわ」


「なるほどー」

 と、ショユエが茶を啜る。


 ヂェンリィも湯呑に手を伸ばして、

「指輪は複数ある……。ありがとうございます。もしも知らずにいたら、百合の指輪の持ち主というだけで誤解してしまっていたかもしれません」


 こうして二人は、ようやく村を発つことになった。

 風呂敷を背負い、村の入口まで向かえば、ショユエは随分と愛されているらしい。

 村中の人が仕事の手を休め、見送りに来たのではないだろうか。口々に別れの言葉を交わしていく。


 この数日でヂェンリィと見知った人は、ヂェンリィにも同じようにしてくれた。

 本当に暖かい村だと思った。


「ショユエ様。どうかお気をつけて」

 インファの元付き人だという女が、ショユエの手を取り言った。


「もー、様はやめてって。ユアンさんも体に気をつけてね」


 次いでヂェンリィの手を取る。

「お嬢様をよろしくお願いいたします、ヂェンリィ様」


 元はと言えばメイフォンを殺しに来たというのに、今はその娘と旅に出る。

 不思議なものだ。しかも『よろしく』されてしまった。

 妙に気恥ずかしくなってヂェンリィは、ただコクコクと頷いた。


「二人とも、無茶はしないでね。いつ帰ってきても良いんだからね」

 最後にインから、そんな言葉を掛けられた。


 ――と思ったら。


 村を出て、しばらく行ったところで、一人の少年が追いかけてきた。

 歳はショユエと同じくらいか。


「セイ君? どうしたの?」

「ショユエ! その、絶対に帰ってくるよな?」

「うんっ! もちろんだよー」

「ん。なら、いいんだ。帰ってきたら、よ。話したいことがあるんだ」

「え? 今じゃダメなの? 長い話?」

「ま、まあ。……そんなとこだ!」


 そして彼は元来た道を勢いよく駆けていった。

 その顔は仄かに赤みをさしていたが、ショユエには気にならなかったようだ。


「なんの話だろ?」

 首を傾げながらヂェンリィの傍へ。


 ヂェンリィは空気を読んで少しだけ先に行っていたが、会話はバッチリ聞こえていた。


「今の、どういう仲なの?」

「え? どうって……一個上のお兄ちゃんみたいな」


 少年を気の毒に思うヂェンリィだった。


(というか、ショユエもまだまだ子供ね。口達者なくせして)

 復讐に生きてきた女にもわかる少年の機微を、わからないとは。


(……いや、近いとかえってわらからないものかもな)


「ヂェンリィ? 変な顔になってるー」

「貴女には敗けるよ。……で、どこへ行く?」

「決まってるでしょおー」


 ショユエは前に向かって拳を突き出した。


「――連理!」

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