第15話 容疑者
「擁護するわけじゃないけれど」
そう手を挙げたのはインだった。
「あの指輪を、お
「なぜ?」
とヂェンリィ。
「高値で売れるだろう、武林相手には」
「そうね。けれど武林の中には、あー……たちの悪い方々もいる。喉から手が出るほど欲しいものなら、殺してでも奪い取れば良いなんて考える人とか、ね。それに真贋も不明だったから」
「もしも偽物だったら、たちの悪い連中は、騙されたと怒り狂うか」
「そういうこと。だったら武林の友にでもくれてやって恩を売るほうが良い、って言ってたわ、あの人」
ショユエが「わたしも」と口を開く。
「可能性は低いと思う。まさかマーマたちを殺せなかったからってヤーを殺したりしないよね」
「そういう人ではないわね。わたしの知る限り、ラングに殺しを命じたのは、あれが初めて。基本そこまでしない人が、自分の手なんか汚すわけない。腹いせだとしても別の方法を採ると思う。得になるようなことをね。……ごめんなさい、ヂェンリィさん」
「別に。仕事上の失敗を理由に、雇用関係を解消されたのは、しょうがない」
そんなことよりも、とヂェンリィは怪訝な顔をした。
「動機は指輪を盗るためでしょ?」
「それだけなら殺す必要がないと思うんだ。気絶してるんだし。わざわざヤーだけを殺すのは、ヤーを殺したかったらなんじゃないかな」
なるほど。
ヂェンリィは大いに関心したように頷き、鼻で笑った。
「指輪を盗る動機と、ヤーを殺す動機。この二つがある奴、もしくは奴らが犯人ってわけだ」
それなら簡単だ。
「まずはリウ。祖父ツァオを殺したことで投獄された。武術家なんだ、指輪を欲しがっても、おかしくない。そもそもが、そのために祖父を手に掛けたんじゃないのか」
「それは」
インが言いかけて口を噤んだ。
「なに? 言い忘れたことでもあった?」
ヂェンリィは睨みつける。
彼女は迷いながらも話した。
ヤーの罪――親殺しについて。
(……また、か。また私の知らない父)
ヂェンリィは拳を、硬く握りしめた。
そもそも自分はどこまで知っているのか。
生まれたときにはもういなかった。
母、それと高弟たちから聞いたものが全てだ。
母の願い。
母の無念。
母の憎悪。
拳をゆっくり開き、ヂェンリィは静かに息を吸う。
父がどういう人間であったかなんて、その前には無意味だ。
問題は、果たしてそこに、誰かの陰謀が介在していたのか、どうか。
その可能性は極めて低いと言わざるを得ない。
「父上が
メイフォンにとっては義理の父を殺した仇だ。
その義理の父にも複雑な思いを抱いていたのだろうが、機会が巡ってきたのなら乗じたとして不可思議ではない。
また、指輪はヒャクゴウ関係なく思い出の品だと言う。
リウにとっては義理の父を殺し、恋人を奪った仇だ。
指輪に関心はなかったかもしれないが、それはメイフォンと共謀するにあたって都合が良い。
当初は嘘と思った話を事実とすれば、極めて筋道の通った真実が見えてくる。
やはり二人が犯人であることに、疑いようはなかったのだ。
ヂェンリィは、ほう、と溜息ついて言葉を紡ぐ。
「殺そうとして殺されたのなら、私はしょうがないと思う。母には知らされていなかったのか、あるいは、それでも復讐を望んでいたのか。今となっては……わからないが」
ただ後者としても、誰が責められよう。
夫を殺されたのだ。
例え世間が正当と評しても、許せないものは許せない。
そんな気持ちになったとして誰が責められよう。
「なんにせよ、もう済んだ。父も母も死んだ。メイフォンもリウも。こうして話を聞いてみて、ショユエも充分わかったろう? 真犯人なんてものは、いない」
しょんぼりするインの手を、ショユエがそっと握る。
「ラング一門が怪しいまま。五分五分だよ」
「ない。理由がない」
「
「そんなの!」どちらとも言える。
口には出せなかった。
喉が詰まるようだった。
幽鬼の如く、疑念という名の靄が、あんなにも堂々と歩んでいた道に、立ち込めていく。
それは刻々と濃くなるようで、
(いや、まさか)
気持ちを静めようと湯呑に手を伸ばすが、空なのだった。
(気絶させられた者たちが先に目覚めていたのでもなければ、彼には機会がある)
ラングでも例の指輪について、その存在を知っている者は少ない。
武林に身を置く者ならば百合宝樹との関連を疑うに違いないからだ。
横取りや盗難の可能性を減らすため、一部の高弟しか知らされていない。
それとなく、弟子たちに訊ねたことがあるから――ヂェンリィが物心つく頃には半数以上が離脱していたとは言え――確かだろう。
彼も、その高弟の一人だった。
そしてあの夜、ジンイン邸にいるヤーのもとへ走った。
(ジィドゥは、塾をやっていた)
ヂェンリィの持つ匕首も、彼からの餞別だ。
(でも、あの人がそんなこと。……本当に匕首を備えていたのか? 本当に自死だったのか?)
そう語ったのも彼だった。
(でも! 母を弔ってくれた! 最後の最後まで残ってくれたのは、あの人だけだ!)
それが実は、
(父を殺す理由が、ない!)
誰が実の娘に、その片鱗すら見せるだろう。
折角、罪を着せたというのに、そんなこと。
(……違う! やったのは、メイフォンとリウ! そうだ。そのはずなんだ)
母に言われるがまま、メイフォンとリウを仇と信じて生きてきた。
母のために。自分が進むべき、唯一の、道だった。
疑うなんて、とんでもない。
母はそれを信じて死んでいったんだ。
ショユエの言うことは全て戯言だ。
ちょっと前までなら――なにも知らなかったのなら、はっきり、力強く断言できたものを。
父のことも母のことも、仇のことも、ろくすっぽ知らないのだと、知らなかったときならば。
ヂェンリィは、ショユエの真っ直ぐに射抜くような目から、視線を外す。
「そんなの……どちらとも、言える」
実際、弟子たちの本心など知らないのだ。
誰も彼もが父を慕っていたかもしれないじゃないか。
幾分、弱々しく答えた彼女の、湯呑を掴んだままの手をショユエが優しく握った。
「もしも、心当たりがあるのなら、お願い」
縋るような声だった。
「わたしはマーマを信じてる。だからヂェンリィが同じようにヂェンリィのマーマを信じてるのも、わかるよ。もしも、でいいんだ。なにか心に引っかかるものがあるのなら……。お願いします。その人が真犯人って言いたいんじゃないの。手掛かりの欠片にでもなってくれたら、って」
しばしの沈黙の後、ヂェンリィは切なそうに答えた。
「……信じたものが幻だとわかるだけかもしれないよ。お前の信じたメイフォンなんて」
「それでもいい。出来るだけのことをしてあげたい。本当にマーマなら、いくらでもわたしが償いをする。そうじゃなかったら、必ず真犯人に償わせる。約束する。だから、お願いします」
そうしてショユエは深く頭をさげた。
よく見れば、膝に置かれた手が微かに震えている。
この子も同じなのだ。
母を愛し、母を信じ、それに裏切られることに怯えている。
信じているからこそ、途方もなく恐ろしい。
自分と違う点があるとすれば、その恐ろしく濃い霧に覆われた道を、行く決心があるか否か。
「……わかった」
ヂェンリィは、あくまで仮定の話として、ジィドゥ・ピャンの名を告げた。
「私が町を出るまではいたけれど、その後はわからない」
それから他の高弟たちの名前も。
「少なくとも私よりは、当時のことに詳しいだろうから。二人くらいなら、どこへ行ったかもわかる。今もいるとは限らないけど」
「ヂェンリィ、ありがとう!」
ショユエは母と相談して、三日後に村を発つということになった。
一方、すぐにでも去るつもりでいたジェンリィだったが、インに「疲れたでしょう」と引き留められ、実際に心も体もすっかり疲れ果てていたうえ、壊した机を持ち出されては、泊まることに「はい」と答えるほかなかった。
その日は、久々に、ぐっすり寝られた気がした。
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