第14回 三人寄らば
復讐を果たす機会は永遠に失われ、せめてもの父の形見も手掛かりはなし。
十八年を捧げて得られたのは、仇敵一人の命だけ。
張りつめていた糸がプツと切れた。
ヂェンリィは床に突っ伏し、さめざめと涙を流す。
やがてその鼻を、かぐわしい香りがくすぐった。
顔を上げて見れば、お茶の入った湯呑が前に置かれていた。
「落ち着いた?」
とショユエ。
彼女は、お茶を啜ると続けて、
「マーマは殺してないよ」
ヂェンリィは、よろよろと立ち上がり、
「もう、いい。わかったよ。それで、いい」
そう呟くように答えて、家の戸口に向かう。
ショユエが、その肩を掴んだ。
「よくない!」
「……あぁ、そう。悪かったわね、言いがかりつけて。ごめんなさい。これでいいでしょ」
「ちっがぁーう! そういうことじゃない!」
「もう、終わったことだよ。なにもかも。みんな、死んだんだ」
父も母も仇敵も。
「死んだ、みんな……」
虚ろな目をして行こうとするヂェンリィ。
ショユエが回り込み、両腕を広げて通せんぼ。
「真犯人がいる!」
なにを馬鹿なことを。
ヂェンリィは思った。
いや、理屈はわかるのだ。
ショユエにとって、母メイフォンは犯人ではないのだから、別にいると考えるのは自然。
けれどヂェンリィからしてみれば、そんなものは妄言に過ぎない。
「マーマは……確かに、人を殺したことがある。でもそれは五歳とかそこらの話。ラング家に引き取られてからは、殺しはしてないけど、色々と悪いことやったって聞いてる」
「その最後に、私の父を」
「そんなわけない! だって、ずっと後悔してた! インマーマと離れ離れにされて、無実の罪で投獄されたことも、きっと
だから――と、ショユエは目を潤ませながら言った。
「マーマたちが嘘をつくはずない。殺したなら、殺したって言う。絶対に」
「……そんなの」
ヂェンリィは渇いた喉を鳴らして、
「そんなの、信じられるか。万が一、そうだとしても、真犯人なんて見つかりっこない」
ショユエは頬を膨らませた。
「見つける! だってそいつは、メイマーマとリウさんに罪を着せて、ヂェンリィのマーマとヂェンリィに憎ませた。そのくせ当の本人は憎しみの矛先に立たず、今ものらりくらりと生きているかもしれない。絶対に許さない! ヂェンリィは違うの?」
違うなんて、どうして言えるだろう。
狂おしいほどにメイフォンを憎んできた。
母の憎悪を受け継いできたのだ。
それが実は誤りで、誰かの謀略によるものだとすれば、憎しみを百倍にしたって足りやしない。
でも――、
「いればの話だろう、そんなの」
ようやく背負っていたものを下ろせる。
その安堵のほうが今は遥かに大きかった。
「犯人はメイフォン。それが屈することのない、真実だ」
「インマーマ!」
急に話を振られて戸惑う母親に、彼女は続けて、
「駆け落ちしたときのこと、もっと詳しく教えて。そしたら、なにか、わかるかもしれない。ヂェンリィも、もちろん聞くよね?」
その目は明らかに、嫌と言わせるつもりがなかった。
ただただ面倒に思う。
少女を押しのけて行く気力もない。
投げやりな気持ちでヂェンリィは湯呑の前に戻ると、床にどかっと座り、お茶を飲み干した。
「手短にしてよ」
イン――インファ・ジンインの思い出話を聞いてやれば、ショユエも文句は言わないだろう。
それがきっと、一番面倒がない。
娘にせがまれた母が、昔を思い出そうとするかのように目を瞑り、静かに語り始める。
「あの夜は新月だった」
その内容は、ヂェンリィもおおよそ把握していることだった。
一部を除いて。
「父上が貴女を殺すつもりだった?」
話の途中にでも聞きたかったところだが、終わるまで我慢して、ようやく訊ねられた。
インが気まずそうに頷く。
「ええ。でも、ほら、ジトンに頼まれたことだし、今は元気なんだから気にしてないわ」
ヂェンリィとて、ラング家がまるっきり善人の集まりでないことは母や門人に聞いて知っているが、殺人まで請け負っていたという話は聞いていない。
ヤー殺しを正当化するための嘘、とも考えられる。
疑う彼女にショユエが言った。
「次はヂェンリィね」
「は?」
「マーマは、その後のことを知らないけど、あなたは聞いてるんでしょ?」
「……わかった」
ヂェンリィは、リウがラング邸に現れてからの一門の動静から話し始めた。
一門は三手に分かれた。
リウの追跡に向かう者、多数。
チュミンの護衛、少数。
そしてヤーへの報告、一人。
ジンイン邸に向かった彼が見たのは、うなだれるジトンと地に伏した仲間たち。
雇い主であるジトンを保護した後、仲間の介抱をしたところ、
「軽傷のもいれば両膝を壊されたのもいた。その中で唯一、父だけが殺された。背中から心臓一突き。
「匕首?」
ショユエが眉をあげる。
「手刀じゃなくて?」
「切り傷ならわからないかもしれないけど、刺し傷だ。明らかに違う」
「ねえ、脱獄囚が匕首を持ってる?」
あり得ないと言いたげだが、
「屋敷の護衛をしていた門人のものを奪ったんだよ」
ショユエはまだ納得いかない様子。
むすっとした顔で問う。
「唸狼拳は匕首を使わないでしょ?」
首を横に振ったのはインだった。
「メイが投獄されてだいぶ経った後に、匕首を得意とする人が入門したの。その人の影響で、少数だけれど使っている人はいたわ。ジ……ジィ? ……なんとか塾って言って」
「う……そうなんだ。ごめんなさい、ヂェンリィ」
補足するように彼女は続けて、
「ラング一門はその辺り他とは違う方針だったみたいで、塾を作って他所の流派からきた人の間で色々と教え合ってたみたい。ふふ、
懐かしそうにしていた彼女が不意に「あれ?」と首を傾げる。
「でも、あの夜の護衛を担当した中には、あの塾に参加してた人はいなかったような……」
密な付き合いを長年してきただけあって、そのくらいは小耳に入っているらしい。
ヂェンリィは彼女に同意する。
でも、それについてはこう聞いていた。
「一応の備えとして持っていたんだ。それをまさか奪われて、
「そうだったの。わたしは名簿を見ただけだから」
しばしの静寂の後、ショユエが「ちなみに」と話を変えた。
「ヂェンリィちゃんに確認だけど、ジトンからは何か聞いている?」
「私が大きくなった頃には、縁切りされてたから」
「そっか。あと、もいっこ。ヒャクゴウの指輪ってなーに?」
ヂェンリィは掻い摘んで説明してやる。
母チュミンは武林には明るくなく、指輪の真価について語る言葉を持ち合わせていなかった。
父ツァオが大切にしており、夫ヤーが地位と共に継いだもの、というだけ。
ヂェンリィが仔細を聞いたのは、一部の高弟からである。
天下無敵の武術家、
正直言って、彼女は信じていない。興味もない。
あれは母が欲してやまない、父の形見だ。
「それって、もしかして、マーマたちの言ってたアレ!?
「ええ、まあ」
「マーマたち、すごいねぇ! そんな伝説のある指輪で愛を誓い合ったんだ!」
ズレた話を戻そうと、ヂェンリィは「で?」と。
ショユエは事もなげに答えた。
「容疑者は三組だね」
あえて
「メイフォンとリウで一組?」
「そう。後は」
(そこで否定するほど馬鹿ではないか)
彼女は言葉をちょっと区切り、ちらりと母を窺って、
「ジンイン家。そしてラング一門」
「ま、想像の範囲内だ。メイフォンが現れてからラングの者が駆け付けるまでの間に殺された。仮にだが、メイフォンでなければ、次にはジトンに、彼を保護した後にはラングに……機会がある」
ヂェンリィは言いながら、胸中で不意に揺らめいた
ショユエが補足するように付け加える。
「指輪も盗られているしね。指輪そのものは、価値あるように見えない代物みたいだし、その価値を知っている、ごくわずかな人の犯行なのは間違いない」
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