第13回 復讐者と仇の娘
ハッと我に返り叫ぶイン。
「ショユエ! お客さまに」
「マーマ! そいつから離れて! 武器を抜こうとした!」
インは一瞬、言葉に詰まり、ヂェンリィを見た。
そして娘をまた見て優しく微笑む。
「……ショユエ。いいの」
「ヤ!」
「いいのよ」
「イ! ヤ!」
地団駄を踏むショユエ。
ヂェンリィは浅く息を吐く。もう血は熱くない。
「まず、誤解を招くようなことをして、申し訳ありません」
「すっかり騙されたよ! 連理だとマーマに賞金でも掛けられてるの!?」
「信じてと言っても難しいでしょうが、私には、お二人を傷つけるつもりは、ございません。
ヂェンリィはインに対し、娘の傍へ行くよう目で訴えたが、彼女は動かなかった。
ショユエを窺えば、その手は新たな包丁に伸びている。
「ゆっくりだよ。少しでも変な動きをしたら、迷わない」
「最初に包丁を、お返ししますね」
ヂェンリィは両手を挙げた状態で、左手から包丁を滑り落とした。
「蹴って、そちらに送りますね」
手順を口に出しながら、確実に、その通りにしていく。
次いでショユエのほうに体の右側を見せ、匕首を抜き、同じように蹴って渡した。
「武器はこれだけです」
「確認させてもらうね」
ショユエは包丁を片手に、ヂェンリィに近づき、もう一方の手で胸や腰や背を触った。
「……よし。座って」
ショユエは机を挟んで対面に回り込み、彼女の眼前に刃を突きつけて問う。
「メイマーマ……メイフォンになんの用?」
インが、そっと娘に寄り添い、包丁を握る手を下ろさせた。
ヂェンリィに切っ先を向けたままなのは変わらないが。
「話してくれますか? 父や兄の命で、わたしを連れ戻しに来たわけではないようですし……」
ヂェンリィはまた血が沸くかと思った。
「まさか知らないわけじゃないでしょう? メイフォン・ラングのしたことを!」
「もしも、そのせいで父から仕事を貰えなくなったのだとしたら申し訳ありません。どうお詫びをしたものか……」
ヂェンリィは机を勢いよく蹴り上げる。
ショユエの包丁が、手を離れて天井に突き刺さる。
降ってきた机をヂェンリィはまた蹴り、親子にぶつける。
ショユエは母親を背に庇って足で受け止めた。
ヂェンリイは少し面食らった。
武器のある台所へ、インを抱えて逃げると読んでいたから。
ショユエの右拳を外に躱して脇腹に掌底を放つ。
彼女は身を捻って背中で受け流しつつ、後ろ回し蹴り。
当たれども威力不十分。
ヂェンリィは態勢整え、追撃に動く。
「ショユエ! ヂェンリィも! お願いだから」
インの制止を求める叫びは届かない。
ツァオ・ラングが
互いに互いの拳打掌底を躱して捌いて、気付けば両手を掴み合った状態。
力比べの様相を呈す。
押すか。引くか。放すか。足で攻めるか。
睨み合い。膠着する中、次の一手を互いに探る。
否。
すでに手は打ち合っている。
氣――内力を送り込み、内から攻めん。
ひとたび己の氣を乱されれば全身を苦痛に苛まれること必至。
そこからの反撃は難しい。
相手がその気なら、廃人まっしぐら。
だが来るとわかっていれば、ひとまず耐えられる。
両者、歯を食いしばって脂汗。
どうやら内力は拮抗している。
ヂェンリイの膝がわずかに下がった。
(向こうのほうが上、か!?)
手が痺れて、燃えるように熱い。
ショユエが言った。
「この、嘘つき! 傷つけるつもりはない、なんて!」
ヂェンリィも負けじと言い返す。
「インファが、いけしゃあしゃあと! だから!」
「わたしだって、知らないわけじゃ、ない。駆け落ちしたこと。迷惑もかけたと思う。でも!」
「ぐ……っ!」
吠える彼女の氣の、なんと力強いことか。
「殺されなきゃいけないほどなの!?」
ヂェンリィは容赦なしの外力で押し返す。
「ふざ、けるな! お前は、なにも、知らない!」
「う、ぐ……なにを!?」
「メイフォン・ラングは――」
その両目から二つの透明な雫が、瞬きと共に弾きだされた。
「父上を殺した!」
ショユエの力が――握る手も内力も――一瞬、緩んだ。
すかさずヂェンリィは水月を蹴り飛ばす。
当たりはやや軽いか。後ろに跳んだらしい。
とは言え、全く平気ではないようだった。
膝をつくショユエに、インが駆け寄り守るように抱きしめた。
そして涙目でヂェンリィに訴える。
「誤解よ! メイフォンはあの日、誰一人だって」
「他に誰がいる!? 貴女たち
「二人って……」
「あとはメイフォンだけ。父の指輪も返してもらう。絶対に」
詰め寄るヂェンリィに、
「――死んだよ」
そう答えたのはショユエだった。
「死んだ?」
「うん。マーマは、死んだよ。二年前に。病気だった」
ヂェンリィは声の震えるのを感じた。
「う、嘘だ、そんなの」
「村の人にも聞いてみたらいい」
インを見る。
彼女も首肯した。
「死んだ……メイフォン・ラングが……?」
問いではない。
二人の表情から嘘でないことは、わかった。
信じたくなかった。
生まれてから、今日の今日まで、追い求め続けた仇敵の一人。
恐るべき敵。
それが、こんなにも呆気なく。
顔を見ることだってなく。
まるで蜃気楼のよう。
(ようやく、手を伸ばせるところまで来れたのに)
跡形もなく消え去ってしまった。
その事実を受け入れると、ヂェンリィは膝から崩れ落ちた。
双眸に涙が溜まっていく。
必死に堪える彼女に、さっきまでの気丈な声は発せなかった。
懇願するかのように、
「……じゃ、じゃあ、指輪は?
「探してみる? 家の中」とショユエ。
ヂェンリィは黙したまま頷いた。
不意にドアを叩く音がして、インが応対する。
「こんにちは、ユアン。どうかした?」
「それはこちらの台詞です、イン様。物音がするとリキョウが……」
「もう。様はやめてって、いつも……」
どうやら騒ぎを聞きつけ、近所の人が様子を窺いに来たようだった。
彼女はヂェンリィを突き出すこともなく、適当に誤魔化し、そのまま世間話を始めた。
その間にヂェンリィは、ショユエに二階へと案内される。
母親たちの部屋は一つで、寝台に箪笥という簡素な装飾。
隠せそうな場所など大してなし。
強いて言えば、箪笥の上に数体ある仏像が怪しい。
ヂェンリィは一つを手に取り、
「買ったもの?」
「ううん。メイマーマが彫ったやつ」
「中に仕込めるな」
「……罰当たりだよ」
「くだらない」
そう返して、ヂェンリィは仏像をじっくり調べる。
中にものを隠したならば、どこかに繋ぎ目があるはずだ。
しかし、その痕跡はなかった。
一本の材木から彫り出したもののようだ。
他の仏像も全て、そうだった。
ショユエの部屋にも当然、それらしきものなど欠片もなし。
ヂェンリィは、ますます意気消沈して階下に降りるほかなかった。
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