第10回 狼の群れ
リウはもう一度、耳を澄ます。
少し前から妙な気配が気になっていた。
巡回や交代のための人の動きとは明らかに違う。
こちらに向かって来るかと初めは思ったが、付かず離れずといったところで、それは止まった。
だからメイフォンにも、ひとまず伝えないことにしたのだが……。
集合するのでも、散るのでもなく。
それとなく、こちらの様子を窺っているようにも感じられる。
(だとしたら……いつ気付かれた? もしかして最初から見張られていた? 脱獄から……)
焦りが増すなか、ふたりの再会に一段落がついたようで、リウはホッとした。
すぐにでも逃げなければ。
「師姉、急いで――」
頭上。二階の屋根。小石の跳ねる小さな音。
耳にすると同時にリウは飛び退いた。
今の今まで己の立っていた瓦が派手に砕け散る。
舞い上がる砂埃から、突っ込んでくる男が一人。
その鉤爪めいた五本指を、しゃがんで躱し、掌底繰り出す。
が、敵は跳躍。頭上を越えてくる。
リウは背後に蹴り放ち運良く相手の拳を弾いた。
メイフォンが自分を呼ぶ声。
直後、室内で木の割れるような音。
扉を押し破られたのだろう。
インファの悲鳴。男たちの怒号。
付かず離れずにいた連中の、こちらに向かってくる気配。
(内と外からの挟み撃ち! 外に気を取られ過ぎた!)
そのせいで、彼がここまで接近するまで気付かなかった。
奇襲を躱せたのは運が良かったに過ぎない。
眼前の襲撃者、いやジンイン家の守護者、いやいやラング一門の掌門も、同じように思っているのだろう。
少なくともリウの知る彼とは異なる、極めて冷酷で暴虐的な笑みを構えていた。
「リウ……相変わらず愚鈍で安心したよ。それでこそ使い道があるってものだ」
メイフォンから、彼こそが自身を陥れた首謀者、との推測を聞いてから三年。
今ようやく、それが真実だと理解した。
「ヤー
「どうせ死ぬから、伝えてなかったな。数日前にようやく、お前を破門にしたんだよ。だから師兄じゃない。それに、掌門になったからよ。
むしろ今まで籍を残されていたことに驚いた。
その気配を感じ取ったのか、ヤーはわざとらしく、肩をすくめる。
「チュミンのやつが我がままでさぁ。実権なんざないんだが、師父の娘だから、無下にすると他のやつらの心象に悪いだろ? でも、そんな気苦労も二年くらいだったか。今はもう祝言もあげたし、なにも心配することがなくなった」
そして彼は、鼻から大きく息を吸い込んで、充足感に満ちた言葉を吐き出した。
「安心しろ、リウ。お前の出来なかったことは全部、俺がしてやってる」
リウは音が鳴るほどに奥歯を噛み締め、飛び掛かる。
その憤怒と悲哀の拳は、あまりにも直情的で直線的。
掻い潜って、横っ腹を蹴り飛ばすのに、どんな不自由があろうか。
それでもリウは、どうにか空中で体勢を整え、庭に着地する。
その場所は五人の手合いの、ど真ん中。
彼らに向けてヤーが命じる。
「殺しておけ。ゲンチはこっちを手伝え」
単身で逃げるだけなら、鬼哭功を多少なりとも会得した今、不可能と思えない。
だが、メイフォンたちを置いていくなんて、あり得ない。
向こうは六人を相手にするなか、ヤーたちが窓に迫るとなれば逃げることすら至難の業だろう。
一刻も早く助けにいかなくては。
リウは指を鉤爪のように折り曲げる。
ここを突破し、後ろからヤーだけでも倒せれば活路を見出せるだろう。
大地を踏みしめ、いざ行かんとした瞬間、二階から人が飛び降りてきた。
リウ、そして彼を包囲した面々は思わず目を見張る。
ヤーだった。左腕を押さえ、
その視線の先を追えば、もう一人――ゲンチと呼ばれた男が背中から落ちてくる。
両膝が反対側に曲がっていた。
それをした張本人、メイフォンがインファを横向きに抱きかかえて降りてくる。
「腕、折るつもりだったんだけど、いい硬身功ね。真っ向勝負は弱いのかと思っていたわ」
それはさておき、と続けて、
「独断が過ぎるんじゃない? あたしどころか、この子まで殺そうとするなんて」
彼は鼻で笑った。
そして腕の健在っぷりを見せつけるようにしながら、
「ジトンが殺しを命じるはずがない、って? 脱獄囚に娘を殺された、なんてことになったら町守に大きな貸しが出来る。その脱獄囚をこちらで処理したとなればなさおら。流石は大商人。ガラクタを高値で売りつける
「そのために、起きるかどうかもわからない脱獄の見張りまでさせられたの? あはは。良いように使われてるわねぇ!」
「……人も物も、なにかしらの使い道があるんだよ。奴が俺を使い、俺も奴を使う」
ヤーは構え、メイフォンへと向かっていく。
「お前たちも精々、最大限に活用してやるよ!」
「使いこなせないからツァオを殺したわけでしょ。所詮、あんたはその程度」
リウを囲っていた四人のうち三人も、それに続いた。
残る背後を陣取っていた一人がリウへ襲い掛かる。
しかしリウは、メイフォンが降りてきた時点で、いつ彼らに仕掛けるか、機を見計らっていたくらいだ。
不意打ちになるはずがない。
相手の突きを振り返りながら左手で捕えて、引き込みつつ右拳で相手の肘を叩き折る。
怯んだところで跳びあがり、顎先を天に向かって蹴り抜いた。
後ろでインファ嬢の悲鳴が聞こえた。
見れば、なんということはない。
メイフォンが空高く放り投げたのだ。
彼女が落ちてくるまでに、まずはヤーを一時退けた。
再び彼女を放り、左右からの攻撃をいなして反撃。
一人が沈んだ。
時間差で三人目が迫る。
狙うのは、メイフォンがインファを確保する瞬間だ!
リウは師姉の元へ駆け出していたが、間に合いそうにない。
いや、前方に瓦の破片が落ちている!
拾い投げたならば見事、相手の後頭部に突き刺さる。
昏倒には至らずとも隙を生じさせるには充分だった。
「リウ、偉い!」
メイフォンがインファを捕まえながら、その男をリウに向かって蹴り飛ばす。
男は膝をついた。まだ意識はある。
リウは側頭部を殴り倒した。
残るはヤーと、もう一人。
二人はすでにメイフォンへ立ち向かっている。
メイフォンはインファを、真上ではなく、リウのいるほうへ投げた。
危なげなく確保し立たせると、
「十三年振りに会った
ぼやく彼女を置いて、メイフォンの援護に動くリウ。
彼女はヤーと対峙していた。
その背後から仕掛けようとする男を、リウは横から槍の如き前蹴りで家の壁に叩きつける。
相手はなおも戦意失わず。
しかし反撃の体勢を取る間など、与えられるはずもなく。
リウは顔面をぶん殴る。男は鼻血を噴き出して沈んでいった。
流石のメイフォン師姉と言えども、ヤーには手こずるだろう。
けれど、これで二対一だ。
意気込んで見れば、ちょうど彼女の掌底が彼を吹っ飛ばしていた。
追うようにメイフォンは天を舞う。
空中で縦に一回転してヤーの頭に踵落とし。
まだ彼は立ち上がろうとする。
さらに、もう一発。
辺りが静寂に包まれた。
立ち上がる者は、もう、いない。
かと言って死人もいない。
リウは、メイフォンがインファの元へ向かうのを追いながら、
「あの、指輪はいいんですか? ヤー師兄が持ってましたけど」
すると彼女はヤーを一瞥することもなく答えた。
「思い出は、あたしたちの中にあればいい。それに……」
「それに?」
「あんまり欲張ったら
「……あっ、
「ま、この先あんたが探したいってなら、好きになさい」
とんでもない、と首を激しく横に振るリウだった。
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