第8回 十三年目の新月
昼は労役――死刑囚とは言え生きている者は使われる――として町の外壁の修繕など。
夜は鍛錬。
そのような生活が続くこと、三年。
リウは珍しく、メイフォンより先に目を覚ました。
言いつけ通り、昨日の労役中に採取した毒虫を口に押し込む。
すっかり慣れたもの。
泥臭い朝食が来るまで逆さ座禅をする。
今日は、早くも集中を切らされた。
人の来る気配がしたのだ。
鍛錬をしているなどバレるわけにはいかない。
リウは普通に座り直した。
鉄格子の向こうに、刑務官がニヤニヤと下卑た顔して現れる。
「リウ・ラング。貴様に良い知らせがある」
ついに、この日が来たか。
今年に入ってから、いつでもその日は来るだろうとリウは覚悟をしていた。
メイフォン
ひとりでなら、とうに出られるだろうに。
本当に、彼女には頭が上がらない。
「ぼくに? なんですか?」
リウがなにも知らない風を装い答えると、
「明日、チュミン・ラングが婚儀をあげるそうだ」
彼は想像と違った通告をしてきた。
リウは目を大きく見開き、唇を震わせた。
「だ、だれと」
「決まっているではないか。ヤー・ウゥ殿……いや、もはや、ヤー・ラング殿か! ははは!」
なにも言葉が出てこない。
息が詰まり、胸が苦しい。
そんな彼に追い打ちをかけるかのように――もっとも、すでに致命傷だったが。
「それから貴様の命は次の満月の日までだ。では、達者に暮らせ!」
そう宣告して笑いながら去っていく刑務官。
リウは背中を丸め、地に額をこすりつけながら嗚咽した。
ふたりだけだと思っていた。
自分の無実を信じてくれるのはチュミンとメイフォンだけだと。
けれど三年という月日は、人が心変わりをするには充分な時だったのだ。
離れ離れになってしまえば、なおのこと。
繋ぎ止めるは難しい。
すすり泣く彼の肩に優しく手が置かれた。
「メイフォン師姉……」
「決行は明後日よ」
リウは首を横に振る。
「ぼくのことは、置いていってください。足手まといにしかなりません」
立ち上がる気力だって湧いてこない。
なにもかも、もう、どうでも良かった。
「わからないじゃない。無理矢理、婚儀をあげさせられるのかもしれない。あたしが思うに、これまで生かしたのも、あんたをこうやって苦しめるためだったんだわ」
「そんなの……わかりません」
「そうね。だけど、もしそうなら、助けたいとは思わないの?」
もちろん、思う。
けれど、そう言うことは難しかった。
口が貝のように閉じてしまっている。
だって違ったら?
本心から喜んで、
メイフォンがそっと離れて壁を背もたれに座った。
リウには見えないその顔は、だからこそ今にも泣きそうだった。
「あたしも……怖いわ」
へたり込んだままのリウは、背中で訴える。
師姉ほどの女に、なにを怖がることがあるものか。
「あんたと同じよ。インファが、心変わりしていないなんて、誰が言える?」
「……師姉が」
「ふふ。馬鹿ね。言えないわ。だって三年どころじゃあ、ない。十三年よ」
リウは顔をあげ、メイフォンを振り返る。
少しだけムカッ腹が立っていた。
「あなたが信じなかったら、可哀想です」
彼女はとっくに涼しい顔に戻っていてリウの正直な目を見つめ返した。
「チュミンは可哀想じゃないの?」
リウは返答に詰まった。
メイフォンに言われるまで、無理矢理、強要されて、そんなことは思いもしなかった。
チュミンが心変わりしたものだと絶望していたではないか。
それなのに、どうして師姉を責められよう。
「リウ、ごめんなさい。意地悪を言ったわ」
「いえ……師姉の言う通りです」
情けなくて涙が出てくる。
「ぼくは、本当に、ダメな男です」
メイフォンは石造りの空を仰ぎ見た。
「あたしもよ。ずっと一緒にいると約束したのに破ってしまった。愛想尽かされてもしょうがないわ。彼女は思っているかも。こんな女のために、馬鹿なことをしたって。……あたしを、憎んでいるかもしれない」
「それでも、行くんですよね」
彼女は「ええ」と力強く頷いて、
「必ず行くって約束したから。もう破りたくない。それに一目会って謝りたい。だから行く。あたしは、あたしのためだけに行く」
いよいよ脱獄の日時を決めたからだろうか。
いつも以上の揺るぎなさをリウは感じていた。
もしものときには、彼女は死ぬ覚悟だ。
口では悪い想像ばかりを言い、永遠の愛など信じていないかのように振る舞っている。
いや、それはそれで本心なのだろう。
けれど心の底では、願っているに違いない。
彼女はその願いに、前のめりにならないだけで。
リウも願った。ただの杞憂であるように。
ふたりが誰にも裂かれぬ絆で結ばれているように。
それは自分とチュミンに重ねた願いでもあった。
世界がどんなに優しくなくたって祈ることは誰にだって許されているはずだ。
「……明後日、でしたよね、メイフォン師姉」
「ええ。前日いっぱいまでは鍛錬を続けるわよ」
「はいっ!」
そして瞬く間に時は過ぎた。
いや、ふたりにとっては永遠とも思える長い時だったろう。
――十三年目の、新月の夜が来た。
「それで師姉、どうやって出ますか?」
メイフォンは不思議そうな顔して背後の壁を指差す。
「どうもこうも、ぶち破るだけよ? 鬼哭功の完成まであたしは八割、あんたは五割程度ではあるけれど、造作もないわ」
「え」リウは思わず固まった。
そんな強行突破で大丈夫だろうか。
ここ、死囚牢は石造りの小屋である。
鉄格子の前を横切る土間の向こうの壁は、背より遥か高いところに丸い窓が開いている。
そのために内部を窺う者はいない。
小屋の入口に見張りも立っていないのは、ここに放り込まれた者は通常、数日内に処刑されるからであり、彼女らのような長生きにしても、片や肩甲骨を穿たれ、片や大した才能もない武術家だからだ。
配慮、思惑、油断のない交ぜにより、死囚牢にあって生き延びる例外ふたりは存在する。
死囚牢は、町守所内は大監の中庭に位置する。
そこには通常の労役囚のための獄舎もある。
周囲は高い壁に囲まれている。
入口は一つだけ。看守の宿直室を通り抜けるようにして、ある。
リウは念のため訊いてみた。
「出た後は、どうするんですか?」
「入口から出るわ。邪魔する奴らは、ねじ伏せれば良い」
ここまで考えなしの人だとは。
思い返せば、師父にもそういうところはあったが……。
「も、もう少し、こう、なにかありませんか」
メイフォンがくすりと笑う。
「冗談よ。壁を登るわ」
「指で穴を開けつつ、って具合ですか。結構、高いですよ。途中で気付かれたりしませんか?」
「脱獄なんて、そうそう滅多にありゃしない。ましてや、あたしたちがなんて思ってもみない。完全に油断しているはずよ。とは言え、この囚人服は目立つ。もっと汚しておきましょう」
黄色はすでに結構くすんでいるが、互いに泥を塗り合い余計に黒くしてやる。
そうしているうちにリウも覚悟が決まってきた。
そうだ、メイフォン師姉の言う通り。なんとかなる。
脱獄なんて、そのくらいの気概でなければ出来やしない。
一抹の不安を封じ込めたリウは、メイフォンの指示通り三本の指を揃えて、牢の隅に座る。
「ぶち破るって言うから、もっと派手なのを考えていました」
「そんなことしたら、すぐにバレちゃうじゃない。掘るのよ」
内功で硬化した指先には、確かに造作もないことだった。
それでも中々に厚かったし、バレないよう慎重にとなれば……。
二人掛かりで、人ひとりが這って通れる程度の穴が開くまで二時間ほど掛かった。
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