第7回 獄中姉弟
リウは事件について、自分の知る範囲でおよそ全てを話した。
メイフォンが特に関心を抱いたのは当日のことよりも、その前後や、人間関係のほうだったようで、次々と投げかけられる質問にも可能な限り答えていった。
「首謀者はヤー・ウゥね」
リウは目を丸くした。
「どうしてですか? あいつは良い奴ですよ」
メイフォンが呆れたように溜息をつく。
「むしろ、この期に及んで、そんなことをよく言えるわね? 酒樽の運び出しを頼んだのは誰? それを、さも毒を混入させる機会があったかのように証言したのは? ツァオとあんたを排除して一番得をするのは、どこの誰ウゥ?」
「でも師姉は、ヤー
「毒は酒樽からではないわ。それなら客人にも被害が出ているはず。そんなことになったら、その後のラング家の立場が悪くなる。避けたかったのよ、次期掌門は。おそらく塗ったのは盃。ツァオはお気に入りしか使わないし、門人用と客人用とで別のものを使っているでしょう? あたしがいた頃と変わっていないのなら」
リウはおずおずと頷いた。
「そんなことは役人どもだって気付いているはずだけど、ま、十中八九、賄賂ね。実家からの援助もあったのかもしれない。……あぁ、ヤーがツァオの処置に集中していたってのも本当は逆だったのかも。父なら自分で解毒できるでしょうし」
「そんな、まさか! だって順当にいけば、そんなことしなくたって跡継ぎに間違いないのに!」
「あなたとチュミンとの関係から、念には念を入れたんでしょう。それか彼もチュミンを好きだったのか。なんにせよ、あなたはハメられたのよ。そしてツァオも、ね。この十年で随分と生
突然、少年の幼さを残した顔に涙の筋が描かれた。
「う、うぅ……師姉ぃ……!」
果たして彼女の説が真実かは、わからない。
牢獄にいる限り確証はないのだ。
説得力があるとは思う。
しかし、リウから見たヤーは良き師兄だ。
彼が師父を裏切り、自分を陥れたなんて信じたくなかった。
ただ、嬉しくて泣いていた。
チュミンの他にも己の無実を信じてくれる人のいたことが。
「さっきは悪かったわね、蹴ったりして」
リウはしゃっくりあげながら、首を左右に振った。
父の仇がやってきたら無理もない。
けれど、最後には疑いを晴らしてくれたのだから。
そのようなことを伝えようとしたが、嗚咽が酷くて、ほとんど言語をなしていなかった。
しばらくしてリウが落ち着くと、メイフォンは言った。
「で、あんた、どうしたい?」
狼のような目にリウは、ツァオの面影を見た。
「ど、どうって?」
「このまま無実の罪を償うのか、クズどもに然るべき裁きを下すのか。選ぶと良いわ」
ツァオは厳しく恐ろしく、けれど彼なりに愛情を掛けて、自分や弟子を育ててくれた。
そもそも自分に至っては、孤児から救ってくれた大恩人である。
謀殺されたことは、とても悔しい。
自分がこんな目に合っていることも、悲しくて悲しくてしょうがない。
「でも……ぼくにはなにも、できないから」
メイフォンが呆れたように「はっ!」と笑う。
「あんた、それでもツァオの、あたしの弟? そりゃ血は繋がってないけどさ」
「ご、ごめんなさい」
実を言えば、ツァオが――メイフォンのことにしたって――腹を割って話すのはリウにだけだった。
家族全滅の憂き目にあいながらも、妙にスレたところのない、悪く言えば愚鈍な少年だから、彼も好きなことを言えたのかもしれない。
「あたしは肩甲骨を穿たれてる。それが武術家にとって、どういう意味か、わかるでしょう?」
頷くリウ。
「それでも、あたしは、あたしのしたいことをする。まずは脱獄する」
無謀だ。
独り牢屋に入れられて十年、おかしくなってしまったのかもしれない。
言っているのが彼女でなかったら、そう思っていたことだろう。
メイフォンの瞳には、父の手により投獄されたことへの恨みも、狂気も見て取れなかった。
「だから、ま、もののついでよ。少しは手伝ってあげる。あんたが、それを選ぶならだけど」
リウは乾いた喉をゴクリと鳴らし、答えた。
「ぼくは……ぼくは、死にたくない、です。やっぱり師兄がそんなこと、信じられないから、仇と言われても実感なくて、でも……だから、ただ、ぼくは死にたくない。死にたくないです。それで……」
「それで?」
「チュミンと一緒に、なれたらって」
メイフォンがくつくつと笑う。
「血は繋がらなくても、あの男の子ね。なんだかんだ言って強欲」
「ごめんなさい……」
「いいのよ、それで」
そして彼女は手を差し伸べた。
「目的は一致しているも同然。生きましょう、きょうだい」
リウは希望に満ちた顔で、それを握り返した。
次の瞬間――全身が熱くなる。
燃えるようだ。手足が震え、痺れる。
苦悶し目を白黒させるリウを、メイフォンは見下ろして「なるほど」と呟いた。
彼女がパッと手を放すと途端に熱が引いていく。
「い、いまのは?」
「あんたの内功を確かめたくてね。まぁ、肩甲骨が無事な辺り平凡だろうと思っていたけど」
「才能がなくて……ごめんなさい。やっぱり、ぼくがいたら足手まといになるだけです」
「あんた、謝り過ぎ。これから鍛えればいいだけよ」
「え? ここで、ですか?」
意地の悪い笑みを見せるメイフォン。
「十四かそこらでしょ? 歳。伸びしろはある。それに、あたしが教えるのはツァオのそれとは別物」
言いながら彼女は房の隅へ這いつくばる。
なにをしているのかと思っていたら、
「食べなさい」
と手の中のものを差し出してきた。
生きたままの百足が、うねうねと暴れていた。
(ああっ、なんてこった! やっぱり、この十年でまともじゃなくなってしまったんだ!)
リウが顔を嘆きの色に染めていると、メイフォンは書をどこからともなく取り出した。
「鬼哭経の名に覚えは?」
「あ、あります」
いつだったか父、ツァオが口にしていた。
「二度と武術の揮えぬ身になった人が、再起すべく開発したっていう」
「つまり五体満足なら、武才の無さを補って余りあるほとの力を得られる、かも。身につけるまでが大変だけどね。特に肝心なのが内功なのだけど、それだけで十年も掛かってしまったわ」
「ぼくなら、もっと掛かってしまうでしょう。やっぱり
「あたしの場合は、書があっても独力でやるしかなかったからよ。内功は慎重にやらなくてはならないもの。でも、あんたには、あたしという師がいる。もっと短い時間でやれるわ」
だとしても、やはりいきなり毒虫を喰らえと言われては、躊躇するというもの。
リウが恐る恐る手を出しては引っ込めてを繰り返しているうち、メイフォンは痺れを切らした。
顔を掴み、無理矢理、口に押し込む。
えも言われぬ苦味と臭味が、鼻孔を抜けていった。
リウは吐き出しそうになるのを必死に堪えて、ようやく飲み込む。
これで難所は抜けたと思いきや、
「毎日食べてもらうから、そのつもりでね。そう都合よく虫が来ないのがまた面倒なのよねぇ」
「あ、はい……」
続いてリウは座禅を組みながらの三点倒立を命じられる。
加えて瞑想、そして呼吸法の指導。
時折、体をメイフォンに触られる。
いわく経絡――内力の通る道――を新しく建設しているのだそう。
毎日少しずつ、増やし伸ばしていく。
鬼哭功の要は、ほぼ、これに限ると言って良い。
「一人でやるのは本当に難しいのよ。下手すれば肉体が壊死するか、精神に異常をきたしかねないと書いてあった。手伝ってもらえて幸運ね」
肩甲骨を穿たれたり足の腱を削がれたり、武術家として再起不能となった者の、執念の賜物なのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、経絡の増設など常人の発想と思えなかった。
これがまた激痛だった。
それから腕立て伏せ等々の基礎鍛錬もさせられる。
ようやく一日が終わるという段になって、彼女はふと漏らした。
「――腑に落ちないわね」
「え? なんの話ですか?」
「あんたの執行猶予。あたしは父が手を回してくれたけど、あんたを守ってくれる人はいない。ヤーが、そうなるように図ったとしか思えない。でも理由がわからないわ」
「……ヤーが真犯人じゃないからってことは」
「ないとは言わないけれど、ね」
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