二章

十三年目の新月

第6回 死する貪狼

 その日はツァオの実の娘、チュミンの十四回目の誕生日だった。

 三十半ばという遅い時期にようやく授かった一人ということもあり、毎年、盛大な宴会を開いている。

 特に今年は、そろそろ次期掌門の指名でもするのではないかと、門人たちの間には浮足立つ雰囲気が漂っていた。


 第一候補と目されていたのは、ヤー・ウゥという十七歳の少年。

 武才に秀でており、仕事もそつなくこなす。

 門人からの評判も、おおむね良い。

 やや傲慢なきらいはあるが、下っ端にも気の良い男。

 町守の親戚筋にあたり、父が高位の役人というのも、本人は三男坊に過ぎないにしても、色々と便宜を図ってくれそうな期待感があった。


 もう一人の候補はチュミンと同い歳の少年、リウ・ラングという。

 彼が七つのときツァオが拾ってきた元孤児である。

 流行り病で一家全滅した傍ら、唯一生き残った丈夫さを気に入ったようだった。

 歳はヤーの一つ下。性格は温厚。

 口さがない者は鈍臭いと言う。

 武芸の才はないらしく、まあ普通。


 悪い奴ではないのだが……。

 ジンイン家には近年目立った商売敵がいなくなり、ラング家が裏の仕事を任されることも、すっかり少なくなった。

 とは言え全く関わったことのない者に一門を率いることはできまい。


 それが門人の大半からの評価だった。

 本来なら指名されることはあり得ない。


 しかし親ヤー派の、特に熱心な衆はリウとチュミンとの関係を懸念していた。

 ふたりはまだ深い仲ではなさそうだが、お互いに思い合っているようなのだ。

 愛娘からの推挙でもあったら、あるいは……。


 さて、ツァオが手短く宴の挨拶をし、まずは一献。

 それに続いて門人、客人たちも盃に口をつける。


 平和に始まった置酒高会が叫喚地獄に転じるのに時間はそう掛からなかった。

 まずはツァオが吐血。更には高弟が次々と倒れていく。


 そんな中、ヤーの対処は迅速だった。

 無事な高弟以下に倒れた者たちを吐かせるよう指示すると共に、自身は内功でもって解毒を試みた。

 しかしツァオは特に強い毒を盛られたのか、付きっきりの処置も甲斐なく失命。

 他は助かった。客人に被害がなかったのは不幸中の幸いか。


 ほどなくして、下手人としてリウが挙げられた。

 彼は当然に否認していたし、彼をよく知る門人たちも「そんな馬鹿な」「あり得ない」と初めは疑っていたがヤーの証言が決め手になる。


 ――前日、リウに酒樽の運び出しを頼んだ。


 これは他の門人や使用人も確認していたから、あれよあれよという間に「もしや、あのとき」という空気が広まり擁護や究明を求む声も自然と小さくなっていった。

 チュミンだけは彼の無実を信じていたが、父親を失った今、出来ることはなかった。


 数日後、親殺し及び大量殺人未遂という悪逆を為したリウに判決下る。

 本来なら即刻死罪――だが、まだ若く更生の余地あるゆえ、三年のうちに反省の色を見せるなら減刑を考慮する。


「違う! ぼくじゃない! ぼくじゃないんだ!」

「大罪人が喚くんじゃねえ!」


 黄色い囚人服を着せられて、牢へ蹴り込まれる。

 リウは鉄格子にしがみ付いて涙を流した。


「お願いだ、待って、行かないで!」


 だが当然に刑務官は無視して、そのまま去っていく。


 リウは崩れ落ちて、シクシクとしゃっくりあげていたのも束の間、ワッと赤子の火のついたように声をあげて泣き出した。

 十五の少年が、やってもいない親殺しの罪を着せられたうえ、頼りもなく、独り牢にぶちこまれたのだから無理もない。

 だが誰が事情を鑑みてくれるだろう。


 彼が入れられた死囚牢は十余人程度なら楽に収容できる。

 ただ、本来やがて処刑される者のためにあるから、実際にそれほどの人数がいることはない。

 今いるのは、彼と、もう一人だけ。


 房の隅から影一つ、やおら立ち上がる。

 リウがその存在に気付いたのは手が届くほど近くに迫ってからのこと。

 しかも、気付いた瞬間には腹を蹴り飛ばされていた。


 壁に背中を強く打ち付け転がるリウ。

 その首元を影が爪先で抑えつけた。

 リウは両手で押し返そうとするがビクともしない。


「ぐ、う……た、たすけ……」

「よくも、殺したな」


 女の声だった。

 伸びっ放しになった前髪の間から覗く目は、餓狼のように血走っている。


 リウは混乱した。

 襲撃者が女だったこともそうだが、女囚がどうして、ツァオ・ラングを殺したことになっている自分をこうも恨んでいるのか。


 首の骨が軋む。息が出来ない。死にたくない。

 死罪にこそなってしまったが執行まで猶予があるのに。

 そもそも無実なのに。

 どうして殺されなければならないのか。


 理不尽な死への恐れが走馬灯を一点に収束させていく。

 父から、何年も前だが、一度だけ話を聞いたことがある。

 十年前、父自ら投獄させた、弟子にして娘のことを。

 古くからいる師兄しけいたちが、汚点のように語るなか、彼はどういうわけか誇らしそうだった。


 リウは渇いた唇を、まさしく必死に動かした。

「め……めい、ふぉん……?」


 足の力が緩んだ。

 リウは大きく息を吸って続ける。


「ぼ、ぼくはリウ、リウ・ラングと言います……。ツァオの、ぎ、義理の息子で……あなたの」


 遮るようにメイフォンが太腿ふとももをあげた。

 全力で踏みしめて首の骨を折るつもりか。


「だから、どうした。姉弟きょうだいのよしみで助けて欲しいとでも? どうせ明日には死ぬ身でしょう。慈悲よ、これは。顔も知らぬ弟への」

「さ、三年は、猶予があります!」


 メイフォンは鼻で笑った。


「その嘘になんの意味がある? 義理とは言え親殺し。大勢を巻き込んでいる」

「ほ、ほんとうです! ぼくは本当に父上を殺していませんが……まだ若く、いずれ反省するかもしれない。遺族に謝罪の一つでもするなら減刑も考える、と。でも、ぼくはやってない!」


 すると彼女は眉根を寄せ、足をゆっくり地に降ろした。

 憤怒の気配も幾分マシになっている。


「……リウ、と言ったわね」

「は、はい、師姉しし


「あんたを信じたわけじゃない。もう少し詳しい話を聞かせなさい。ご覧の通り、こんな場所だからね。知れることにも限度があるのよ」

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