第5回 鬼哭

 翌日、メイフォンは裁判を受けることになった。

 罪状はツァオに対する殺人未遂、暴行傷害。


 彼とは養子とはいえ親子の間柄なうえ、武林において師父というのは実の父も同然であるため、尊属に対する重大犯罪として処理されることとなった。

 これは通常、より重い罰が課せられる。


 覚えがまるきりないとも言い切れない罪に、メイフォンは一応の弁解の機会を与えられたが、当然に無視。

 あれよあれよと言う間に判決が下された。

 無期限の労役刑。思ったよりも軽いと言えよう。

 死刑か、最低でも流刑とメイフォンは覚悟していた。


 そうならなかった背景には、ツァオがジトンに、インファが後追いする懸念を吹き込んだことがある。


 脱獄防止のために肩甲骨を太い釘で穿たれた。

 これをされた武術家は腕に力が入らなくなり、再起不能となってしまうのだ。


 痛みで三日三晩、気絶と覚醒を繰り返し、ようやく落ち着いてきたところ。

 泥臭い飯を運ぶ時間でもないのに、何者かが近づいてくる気配でメイフォンは目覚めた。


 うつ伏せのまま、鉄格子に目を向け、驚いた。


「メイフォンさま……なんて惨いことを」

 来訪者とは二人の仲を唯一知り、応援してくれる、あの使用人だった。


「……ユアンさん、少し、やつれましたか」

 傍らには監視がついていたが、気心の知れた相手を前に、メイフォンは口を綻ばせた。

「よく、面会の許しを」


「申し訳ありません……わたくしのせいで」

「気にしな、いで。あたしは、あたしの思うがままに……。罪を罪と思いながら、都合の良い罰を望んだ……その結果……。その報いを、受けた、だけ。元の道に、戻った、だけ」


 メイフォンには時間感覚がまだ戻っていなかったが、すでに婚姻の日取りを過ぎたであろうことは予想がつく。

 駆け落ちが叶わなかった今、自分の立場こそ変われど、そこだけは予定の通りに進んだはずだ。


 ユアンの双眸から、涙が流れ落ちる。

「申し訳、ありません、メイフォンさま……!」


 彼女の泣くところなんて初めて見た。

 メイフォンの脳裏を嫌な予感が過ぎる。


 芋虫のように地を這い、鉄格子ににじり寄り、

「インファ、インファになにか、あったのっ!? まさか、死」


 ユアンがブンブン音が鳴るほど強く、首を横に振った。

「お命は、ご無事でした。でも、お顔を……自ら、お顔を切り裂いてしまい、結婚も破談に」


 絶句するメイフォン。


「申し訳ございません! 少し目を離した隙に花瓶を」

「……謝ら、ないで。あなたの、せいじゃない」


 メイフォンは両目から大粒の涙を流した。


 彼女が生きていたことへの安堵。

 そうまでして愛を貫こうとする彼女の尊さ。

 喜びを感じてしまった己への嫌悪。

 あの可愛らしい顔を傷つけてしまったことへの後悔。

 己の弱さ、不甲斐なさへの怒りや憎しみ。


 色々な思いが混じり合った、まだら色の涙だった。


「悪いのは、全て、あたしよ。あたしが悪いの」

「……インファさまも、同じことを仰られていました」

「そ、う……。馬鹿ね、あの子は。そう伝えて、くれる?」


 ユアンがまた首を横に振った。

いとまを出されました。明日、故郷へ発ちます」


 メイフォンは、今度は申し訳なさの余り涙を流した。

「あたしのせいで……あなたまで……」


「いいえ、いいえ。わたくしが至らなかったのです。それに、わたくしには、帰るところがございます」

「でも……でも、ほんとうに、ごめんなさい。ごめんなさい……!」


 傍らの監視が咳払いをする。そろそろ時間だ、という合図だろう。

 ユアンは「お恥ずかしいところを、お見せしました」と涙を拭った。


 それから監視に「ご家族に、なにかおいしいものでも」と小銭を握らせて、

「メイフォンさま、ツァオさまから預かりものがございます。面会の許諾も、そのために」


 鉄格子の隙間から差し出された小包を、メイフォンは訝し気にしながら受け取る。

「今更なにを」


 四角くて、そこそこの厚み。

 震える手で包み紙を破いてみれば、嫌味なのか当てつけなのか。


 それは武術書だった。

 題して鬼哭経キコクキョウ


 聞き覚えはない。

 紙が一枚、挟まっていた。


『肩甲骨を穿たれたとなれば、元の生活にこそ戻れようとも、武術家としては死んだも同然。すなわち相応の実力者への処遇であるゆえ師として誇らしく思う。世には、その克服を志した強欲なる者も数あれど、現にせし者はわずかなり。お前は、どちらか。選ぶと良い、我が強欲なる娘よ』


 メイフォンは、それをじっと見つめて、


「……ありがとうございます」


 ようやく発したその言葉は、果たして眼前の彼女に向けたものか。

 それとも父に向けたものか。


 メイフォンの両目に輝きが灯る。

 獲物を前にした獣の如く。


 再び監視が咳払い。


「それではメイフォンさま、わたくしはこれで……」

「ねえ、ユアンさん。最後に聞かせて。あなたの故郷って、どんなところ?」

「のどかで、人も穏やかな気風で、とても良いところです。茶畑がありましてね。ラング邸で出していたお茶は、そこのものなんですよ」

「そう。いつか行ってみたいわ」


 ふたりで、と言わずとも、きっと彼女には通じていた。


「心から歓迎いたしましょう。どうか……どうか、お忘れなきよう」

「ありがとう。あたしも、あんたの幸せを願ってる」

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