第2回 百合の丘の誓い

 遊び相手という仕事を解かれてからも二人はよく遊んだ。

 自他共に認める良き友となった。


 友達でなくなったのは、ふたりが齢十五となったときのこと。


 落ち窪んだ目をしていたメイフォンが、すっかり凛々しい顔つきとなったものだ。

 痩せっぽちだった体も、もはや心配あるまい。

 引き締まるべきところは引き締まっている。

 もう数年もすれば、出るところはより出るだろう。


 武術家としての腕なぞは、養父にして師匠の教えの甲斐あって、いずれ一門を支える一柱になるだろうと門人たちの語るほど。


 インファは黒髪の美しい少女となった。

 流石にもう木登りをするようなことはないけれど、明るく元気なところは変わりない。

 人当たり良いから、町に出ると色々な人に話しかけられる。

 父を手伝うため、兄と勉強に励んでいる。

 最近は少しぽっちゃり気味なのを気にしている。


 メイフォンがいつから、その気持ちを抱くようになったのか。

 それは本人にもわからない。

 なんてことのない話をしているときや、町で買い食いしているとき、遊戯に興じているとき、寝顔を眺めているとき……。

 インファと共にある色々なときの中で、心安らぎ胸の奥が暖かいもので包まれる。

 彼女を無性に抱きしめたくなる。


 これがきっと愛おしいという気持ちなのだろう。


 相手も同じような思いを抱いているのは、なんとなく、言葉にせずともわかった。

 言葉にしない限り、良き友のままになる。


 そうすべきだと思うメイフォンがいた。

 きっと許されることではないから。


 それでも、と思うメイフォンもいた。

 初恋の青い衝動に抗うには、まだ若すぎた。


 町をぶらぶらして日が傾いてきたあたりで、メイフォンは彼女を郊外の丘まで連れ出した。

 百合の花が咲いていて二人のお気に入りの場所だ。

 人もあまり来ない。


 夕日を見に行くことは、よくあることだったから、極めて自然な誘いだった。


「インファ……その……」


 ただ、どことなく思い詰めたような横顔や、いつも以上に少ない口数。

 思いが通じ合った仲ならば、それでだいたい、言わんとしていることはわかるというものだ。


 インファは、伏し目がちなメイフォンを可愛いなんて思いながら、微笑みと共に待っていた。

 とぼけるでもなく、急かすでもなく。じっと待つ。


 メイフォンは、唇をぎゅっと噛んで、深く息を吸った。


(これが罪なら……天よ、罰すればいい)


 そしてインファの目を見つめ、

「大事な話があるんだ」


 彼女は「うん」と柔らかく頷いた。


「あたしは……」

 そこでまた、メイフォンは言葉に詰まった。喉がもうカラカラだった。


 けれどもインファの目が、言っている。

 いつまでも待つから、と。


「――あたしはあなたを、インファを、愛している。ずっと傍にいたい」


 インファは何度も頷きながら涙声で答えた。


「うん……わたしもよ、メイフォン。愛しています。ずっと傍にいて欲しい」


 夕日が沈む。

 その直前の、一瞬のきらめきが、ふたりの口付けを包んだ。


 空が茜から紫に染まっていく。


 互いに相手の温もりが離れていくのを、ぼんやり見送った。

 どちらともなく、ハッと我に返り、照れ笑い。


 メイフォンは言った。

「帰りましょうか。これ以上、暗くなる前に」


「うん。……あ、ちょっと待って」


 インファが袂から銀色の指輪を取り出した。

 百合の花を模した飾りから葉と茎が伸びて円を作っている。

 花の両脇には小さな黄色いぎょくが添えられている。


「あ、可愛い」

「でしょ? 何年か前にお父様がお土産に買ってきてくれたの。良かったら、貰ってくれる?」


 彼女は十歳を過ぎた辺りから、そういう気前の良さを発揮する場面が多々あった。

 メイフォンに対してだけではない。

 使用人や他の友人にも、よく服や装飾品をあげていたし、行商人が来れば余計に買ってやったり、なにがしらの店に赴いたときも、そうだった。


 メイフォンは言ったことがある。

『あたしは……なんもくれなくたって、あんたの友達でいたいと思ってる』


 結局、友達ではいられなくなったことは、さておき。

 生まれが生まれだから、物目当てで付き合っている。

 そう思われているとしたら心外だったのだ。


 インファは慌てた様子で、

『ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの。本当よ? ただ……わたし、お父様のことは好きだけれど、でも、全部が良い人ではないことくらい知っているわ。だから、わたしが少しでも皆に喜んでもらえることをしたら、お父様も悪く言われなくなるかなって。それだけなの』

 と。


 そのことを思い出していたのがわかったのか、インファは「大して高いものでもないし」と付け加えた。


「金持ちがそう言うときって、絶対に高いわよね……」

「本当にたいしたものじゃないよー。あの、ね、考えてたのよ」

「なにを?」

「あなたのほうから言ってくれたら、これを答えにしようって。言ってくれそうになかったら、これを渡して、わたしから言おうって。それ以外の理由なんてないわ、本当よ」

「結局、普通の返事だったわね?」

「そうですよー! 嬉しかったから、つい忘れちゃったの! 言わせないで!」


 メイフォンは、くすりと笑った。

 そして、ふくれっ面した彼女に再び口づけをして、


「ありがとう、大事にする」

 指輪を優しく両手で握りしめる。


「んっ! よろしい!」

「今度、櫛を贈るわ。一緒に買いに行きましょう?」

「んふふ。楽しみにしてるわね」


 インファは心底幸せそうに、笑っていた。

 メイフォンも、ますます幸せな気持ちだった。

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