2.最愛の麦チョコ
勇人が麦チョコを貰えないんじゃないか、という不安にかられたのはちょうど夕日が沈む頃だった。外を見れば仕事帰りに保育所から子供を連れてきたのであろうママ友たちが集いながら雑談をして帰っているのが見えた。
「...麦チョコは?なんか時間経ちすぎて外の景色見ながら平和だなぁ、とか思っちゃっんだけど...」
『はいはい、あと少しだからちょっと待ちなよ』
「それさっきからずっと言われてるんだからな?」
そんなことを言い合いながらも外を眺めていると、勇人は見覚えのある人影を見つけた。
「あ、母さんだ。もうこんな時間なのかよ」
自分はここまで何をしていたのかと問いたくなるが、外に見える母は両手に買い物袋を持っていたため、勇人は玄関を開けるために2階から下へ降りた。
スリッパを脱ぎ、履いた靴の踵を踏んだまま2つある鍵をガチャリと捻った。
「おかえり」
「あら、ただいま。珍しく気が利くじゃない」
「珍しく、は余計だよ」
何気なく買い物袋を受け取る。母の頬が一瞬緩んだ気がしたが勇人は気にしない。
「あ、そういえば勇人が好きな麦チョコ、買ってきたわよ」
「え!?」
ガサガサと買い物袋をあさる。少し奥に、<ちょっとビターな麦チョコ>が3袋も入っていた。
「勉強の合間にでも食べなさい。夕飯は食べられるようにするのよ?」
「ああ、ありがとう!」
勇人は足音を立てて2階へ上がっていった。
「うっしゃああ!!麦チョコだぜぇ!」
少しシワのついた麦チョコのパッケージを開けようとする。
『すごい嬉しそうだね。あと、若干キャラ変わってない?』
「うお!びっくりした...。急に話しかけてくるんじゃねぇよ。人間、好きな物の前ではキャラぐらい変わるモンなんだよ」
『そういうものなのかなぁ...。まあそれはともかく...』
「――俺の願いはかなったって訳か...」
勇人はビー玉の言葉を受け継ぐ。そしてしばらく考えた。単なる偶然かもしれなくて、願いをかなえるなんて嘘かもしれない。
しかし、不可解な出来事もいくつかあった。勇人が名乗らずともビー玉は"イサト"と呼んでいたし、言葉を発していないのに会話が成立したこともあった。何か特別なチカラを持っているのかもしれない。
もちろん、これだけじゃ信じるには材料不足かもしれないが、このビー玉がしょうもない嘘をつくようにも思えない...わけでもないが多分このタイミングでは言わない。
だから勇人は...
『妥協して信じてくれる、って感じかな?』
「...ああ、そうだな。一旦な。」
『えー、一旦ってなんだよー』
そんなビー玉の文句は無視して
「でもさ、」
勇人にはまだ引っかかる部分があった。
「なんで何の関わりもない俺の願いをかなえてくれるんだ?いや、ビー玉に縁がある人なんていないとは思うけども」
『それは...』
珍しくビー玉が言葉を詰まらせる。でもそれは一瞬のことで、
『そりゃあ、君がボクを拾ってくれたからさ。リサイクルショップに飾られてても暇なだけだしね』
「...そうか」
『うん、そう』
残る引っ掛かりは消えることはなかったが、勇人はそれ以上は問わない。
「まあ...あれだな」
『?』
「食費代がかからないだけマシか」
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ガチャリと、下の階から音がした。時刻はまもなく7時になろうとしていて、外は街灯で明るいが空はとっくに闇に包まれていた。
勇人は動かしていたシャーペンを止め、下の階へと向かった。
「ただいまー」
少し疲れたような声が玄関に響いた。
声の主は中3の妹の
「おかえり。遅かったな」
「ん、お兄ちゃんか。修学旅行の前日準備があったからさ」
「うん?あーそうか。明日から3日間修学旅行なんだっけ」
結星の通う中高一貫校では、修学旅行が春ではなくこの秋の時期に行われる。
「こんな暑い時にやめて欲しいもんだよな」
「ホントだよぉ...しかも奈良・京都とかもっと暑いに決まってるし...」
ブツブツと文句を言いながら2人はリビングへ向かう。
「あら結星、おかえりなさい」
「あ、うん、ただいま」
「もうご飯にするから、手洗って来なさい」
「はーい」
勇人は勇人で食事の準備を始めることにした。
食事の準備ができた頃には父も家に帰ってきていた。
「修学旅行、雨降らないといいな」
父がそう言うのに対して「そーだねー」と結星は素っ気なく返す。五十嵐家の日常である。
そんな中、勇人はテレビニュースが目に入った。
「あら、3人も刺されて殺害されたなんて...通り魔?物騒ねぇ」
母も同じものを見ていたらしく、そんなことを言う。
「結星も、京都に行ったら気をつけるのよ。このご時世、何があるかも分からないのだし」
「うん、まあ集団行動がほとんどだし大丈夫だとは思うけどね」
そう言うと、結星はおかずの唐揚げをぱくんと頬張った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
『ん?今日の夕飯は唐揚げだったのかい?いいなぁ、ボクも食べたかったなぁ』
「ビー玉って食べ物食えんのか?」
『言葉の綾みたいなものだよー』
こんなビー玉と他愛のない話的なものを話すことになるなんて、と勇人は複雑な思いになる。
「ていうかさ」
『うん?』
「普通に『ビー玉』って言うのってなんかあれだよな。別に悪くないんだけど、俺が物に話しかけてる残念な人感強くなるし」
『実際そうじゃんか〜』
ビー玉がケタケタと笑う。
「まあ、そんなわけだし、お前を『ビーダマン』って呼ぶことにするわ」
『え、なんかヤダ。ていうかほとんど変わってないじゃん』
「気にすんな」
勇人にとって退屈のしない時間がしばらく続いたのであった。
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