第40話 目指すはベッドの包容力

「それじゃあ!連休明けの乾杯!」


七海がコップを掲げて乾杯の音頭を取る。

 

「かんぱーい?」

 

「乾杯・・・?」

 

「乾杯・・・なのか?」

 

はすみ、ゆず、ライルの順に顔がしかめられていく。

 

「乾杯じゃなくて黙祷だろうな」

 

どうやら正気を保っているのは俺だけのようだ。連休が終わってしまうのに、嬉しそうな声で乾杯を唱えてるのはどこのバカだ?

 

「乾杯だよ!ようやく学校が始まるのに、ウジウジしていたら学校が逃げちゃうよ!」

 

「逃げてくれたら大歓迎なんだけどな」

 

そもそも、七海は学校にいることを忘れているのではないだろうか。


・・・授業が再開することがそんなに嬉しいことなのか? 


教育を受けることが出来るのは恵まれているからだと理解をしている。


だが楽しいか、と問われたら別問題だ。非凡ならざる脳をフル回転させてようやく理解できる講義が依然と多くを占めており、楽しみながら授業を受けるなんて理想の学校生活なんぞ夢のまた夢だ。


考えてきたら凄い憂鬱になってきた。あーあ、また明日からこの生活が始まるのかぁ・・・。

 

「私は明日の体力測定が・・・」

 

「あれだけ練習してきただろ?心配することはないと思うぞ」

 

「そうかな・・・」

 

「そうね。私から見ても平均だと思ったわよ」

 

「そう!?」

 

「本当よ。ライルもそう思わない?」

 

「ん?はすみか?」

 

「ええ。はすみの運動能力よ」

 

「全然恥ずかしがるようなものではないと思うぞ」

 

「そ、そうかぁ・・・・」

 

チョロいって感じてしまうけど、実際に全く問題ない運動能力だとは思う。周りにいる七海やゆずが異次元なだけだ。


まぁ、明日の体力測定で自信を勝ち取って帰ってくるだろう。勝ち誇ったはすみの笑顔を拝める時間までそう遠くはない。

 

「ところで覚えてる?体力測定の総合スコア勝負!」」

 

「もちろん覚えてるぜ」


「勿論よ」

 

えー覚えていたの?最下位になるなんて眼中にない3人が開戦前夜から火花を散らしている。

 

「英慈、一緒にがんばろう・・・」

 

「おう・・・」

もう諦めたように半べそで笑いかけてくるはすみだけが味方です。

 


ー体力測定当日

 


体力測定。基礎体力測定で計った指標はもちろんのこと、明らかに存在意義が不明な項目まで貴重な体力を使い、個人データを四ノ宮に捧げる日。

 

「英慈ぃー!朝だよ!」

 

「・・・もう少し寝る」

 

「パンツを全部引きちぎるよ?」


「鬼か?」


鬼の一声に慌てて飛び起きる。

 

「はい、起きた。おはよ!」

 

「おはよ・・・」

 

パンツを引きちぎられる事態を何とか回避できた。


おかしいよな、世の中は男女不平等だ。ほら、例えば明日の朝俺が早起きして七海を起こすとしよう。そこで俺が起きないと七海のパンツを引きちぎるよって言ったらどうなるだろう。


冗談どころでは済まされず、保健室に運び込まれる事態が目に見えてる。え?それはお前だからだろって? 


・・・うるさいなぁ。

 

「ゆずは?」

 

「お風呂入ってくるらしいよ」

 

「珍しいな」

 

ゆずが朝風呂に入るなんて相当珍しい気がする。いつもなら時間ギリギリまでお布団にくるまってる人がそんな行動をとるなんて・・・気合い入ってるんですね。

 

「そうだけど・・・英慈と2人になるのも珍しいね」

 

「あーそうだな」

 

最近はずっと3人で居たから七海と2人だけになんて機会はなかったな。

 

「英慈は変わらないよねー・・・」

 

「そうか?七海の自由奔放さも変わらない気がするけどな」

 

ークスッ

 

「ウチは変わったよ。ウチが一番自覚している」

 

そう少し笑いながら答えた七海の顔は不明瞭な感情で支配されていた。

 

「どうでも良いだろ。面倒くさい」

 

「そう?自分のキャラって大切じゃない?」

 

「変わってるってことは変わっても良いモノなんだよ」

 

「そうかぁ・・・」

 

そうだと思うよ。ただ、変えてはいけないモノを無理矢理変えてしまうのはダメだと思う。


変えてはいけないモノは何かって? 


んー何だろうね。アイデンティティ的なものじゃないかな。ほら、俺ならこの状況どうするんだろうって考える時の自分像とか。この自分像を消してしまえば、人間ってどうなるんだろうね。


心の中に自分を持たなくなったら無敵のメンタルを手に入れられるのだろうか。だって傷つくものがないもんね。

 

「そういえば、英慈は何時からになってる?」

 

「ん?人によって違うのか?」

 

「昨日リリスに連絡来てたでしょ。ちゃんと確認しないと」

 

「あー・・・そういえば昨日開いていなかった」

 

リリス。名前からは誘惑の美女っぽいけど、実際は無機質な携行端末。


この特務工作員専用携行型ホログラフィックシステムにリリスって名付けた絶望的なネーミングセンスの持ち主を探したい。

 

「お、10時から・・・23時までだ・・・」

 

「英慈は昼組なのかー。ウチとは巡り合いそうにないね・・・」

 

「残念だ。同じ組なら代わりに全部やってもらうつもりだったぜ」

 

「そうなったら汚名覚悟で短距離走はハイハイするね」

 

「大した覚悟だな」

 

「英慈の為だもん!」

 

「それなら全力で走ってくれよ・・・」

 

もう1度リリスを見ても23時までっていう事実は変わらない。


どういうことだよ。13時間も全力で動けって? 


勘弁してください。もうベッドで寝ているだけで腰が痛くなる歳なんです。多分、歳のせいじゃなくてソファーが固いせいだとは思うけどね。あぁ、違う。ベッドな?ソファーじゃないからな?

 

「ちょっと七海のベッドを貸してくれ」

 

「何?枕でもクンクンしたいの?」

 

「たまにはベッドで寝たいだけだ。それに枕をクンクンするなら直接七海をクンクンする」

 

「え?ちょっと待って・・・」

 

あ、流石に引かれたか。

 

「お風呂に入ってくる・・・」

 

「そっちかい!!!!!」

 

久しぶりの感触に心が震える。ベッドってこんなに包容力があったんだ・・・。

 

「七海。お前はベッドのようになれよ」

 

「意味分からない!」

 

「俺が伝えたい事は伝えた・・・悔いはない・・・」

 

「脳細胞の満場一致で意味が分からないよ!」


「七海の脳細胞は一つ一つに意思があるのか」

 

「ウチにツッコミ入れる前に自分の発言を見直してよね!」

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