第19話 夜景と悪夢

 コートを着て腰に刀を差した総髪の精悍せいかんな男性の銅像の前で、三人の男子が、おしゃべりをしている。

「そういえば、土方歳三と荒木飛呂彦って似ているよね」

 声の主は蓮だ。

「そうだね」

「そっくりだ」

「そこで思ったんだけどさ、翌檜くん」

「何だい?」

「土方歳三は今でも生きていて、現在は荒木飛呂彦と名乗って漫画を描いているという伝奇小説とか書いたりしないの?」

 蓮が芥木くんに尋ねる。新撰組の副長と『ジョジョの奇妙な冒険』の作者が同一人物? なんというヘンテコな内容だ。

 ――以前より漫画やアニメ、ゲームのことに詳しくなったかな、わたし。

 ――蓮のせいだ。

「面白そうな話だけど、同じ事考える人が、他にもいそうだよ。それに、公の場で発表しようものなら、肖像権の問題が発生しかねない」

「そうか。面白いと思うんだけどな」

 相変わらずの三人組だ。『文芸部漫画部共同作品集』が、あんな内容なのもうなずける。わたしは、ぽかんとしながらその様子を眺めていた。隣の小百合も同じみたい。


 ここは函館はこだて市の五稜郭ごりょうかくタワー。わたしたちは北海道に修学旅行に来ている。ここまで新幹線等の鉄道を使って来たけど、えらい時間がかかった。

 五稜郭見物の後、わたしたちは函館山近くの旅館に行く。そこで夕食をとる。夕食後は函館山で夜景を見る。

 夜景かぁ……函館の美しい夜景は、是非とも見たいのだけれども、わたしは夜、外に出るのが怖い。ジレンマというやつだ。困った話だ。

 夏長先生は、つらいようなら無理に行かなくてもいいと言っている。けれども、わたしは行くことにした。見てみたいという気持ちの方が勝ったのだ。



 夕食をとったわたしたちは、函館山の山麓から出ているロープウェーに乗った。周囲にはみんながいるためか、夜道の恐怖がいくらか緩和され、ここまで来ることができた。

 隣には小百合がいる。美しい夜景が楽しみなのだろう、彼女はウキウキしているようだ。


 函館山の山頂に着いた。たいして時間はかからなかった。

 十一月上旬の北海道は、さすがに寒い。しかし、嫌な寒さではなく、心地よい寒さである。空気が澄んでいるからなのか、湿度がちょうどいいからなのかは、わからない。

 それでも寒いことには違いないので、わたしはジャンパーを羽織っている。ちなみに、ボトムスはジーパン、靴はスニーカーである。

 寒いのは小百合も同じようで、やはりジャンパーを羽織っている。ただし、彼女の場合、ボトムスは膝上丈のスカートで、黒タイツ着用。靴はローファーである。

 修学旅行では、みんな私服を着ている。気候を考えて服を選んでいるので、ある程度は似てくるのだが、それでも個性というものは出てくる。

 例えば、蓮とその友達はオーソドックスなジーパンを穿いているのだが、鬼瓦くんたちはダボダボなズボンを穿いている。

 矢追さんはロングスカート。根多米さんと沖猿さんは、タイツにミニスカートで、ついでにアクセサリじゃらじゃら。

 四組の女子にも目を向ける。桜は、わたしと似たような恰好。獅子城さんはブーツにミニのタイトスカートで、タイツは着用せず素足、ジャケットの下の服は胸の谷間が見えるほど襟ぐりが深い。寒くないのかしら。

 夏長先生はコートを着ていて、その下はブレザーとタイトスカート。先生も含めて、みんなの服装を見ていると結構面白い。


 わたしたちは展望台に行った。そこから函館の夜景――様々な建物や乗り物、街灯等から放たれる光と、暗闇が織りなす光景――を眺める。

 函館の夜景は美しかった。生まれて初めてと言っていいほどの美しさだ。金、銀、ダイヤモンド、サファイア、ルビー、トパーズ、エメラルド、アメジスト、真珠等々、たくさんの貴金属や宝石が闇の中から輝いているようだった。

 いや、美しく光り輝いているだけではない。きらきらとした音……いや、音楽も聞こえてくるかのようだった。きらきらとした音が奏でる優しく美しい音楽……

「うわぁ~! 綺麗! まるで宝石箱を開けたみたい!」

 わたしは感動のあまり、はしゃぎそうになる。見に来てよかった。わたしは鞄からスマホを取り出して、夜景を撮影した。撮影後も夜景に見とれていた。ここで、空の様子がふと気になって、見上げた。空は晴れている。夜景のインパクトが強すぎて地味に思えるけど、星々が煌めく夜空も綺麗である。星々が煌めく晴れた夜空……そういえば、”あの時”も……

 突然、わたしの目に異様なものが飛び込んできた。緑野国小学校の校舎と校門、そして、浅黒い肌を持つ”あの男”である。

「!?」

 わたしは恐怖を感じた。わたしの体が悪寒に包まれる。心臓の鼓動が急加速する。手からスマホの感触が、なくなっていく。

「どうしたの? 葵」

 わたしは声のした方に振り向く。そこには小百合がいた。風景も元に戻っている。

「小百合? ううん、何でもない」

 恐怖で心臓がバクバクしているにもかかわらず、わたしは平静を装って答える。小百合に心配をかけたくない。

 スマホを落としたことに気付いたわたしは、慌ててスマホを拾う。ケースを付けているおかげで、今回も無事だ。

 ”あの男”の生霊が、こんな所にまで追いかけてきた。エクソシストや陰陽師がいたら、撃退して欲しい。



 夜景を見物した後、わたしたちは旅館に戻った。

 入浴を済ませた後、わたしは小百合たちと共に旅館の一室で、おしゃべりをしたりスマホをいじる等して、時を過ごしている。

 全員浴衣姿。そのデザインはシンプルで、白地に群青色の縞模様が入っている。部屋の中は暖房が効いているので、この姿でも困らない。

 スマホに「顔色悪かったけど、大丈夫?」というメッセージが届いていた。相手は蓮だ。わたしは「大丈夫」と返信した。

「葵、あなた夜景を見ていた時、顔色悪かったけど、大丈夫?」

 小百合が、心配そうな表情で聞いてきた。小百合も同じこと考えているな。

「大丈夫よ」

 身体の方は健康。特に問題なし。ただ、わたしの中にある何か……それが、うずいているみたいだ。


 就寝の時間になったので、わたしたちは布団を敷いて眠りにつくことにした。消灯したので、部屋が暗くなる。

 気持ちのいい布団に入り、仰向けになったわたしは、目を閉じる。そのまま何もしない。おやすみなさい。



 わたしは暗闇の中にいる。ここは、どこだろう。

 わたし自身の姿を見てみる。半袖ワイシャツ、丈の短いチェック柄のスカート、紺のソックス、黒いローファー。すなわち、学校の夏服。暗闇の中にいるのに、なぜか自分の姿はよく見える。

 前の方から誰か歩いてくる。その姿は少しずつ大きくなり、”あの男”の姿になった。わたしの体の底から恐怖が迫り上がってくる。

「ひっ……!」

 わたしは悲鳴を上げそうになる。ここから逃げよう――と思ったけど、体が動かない。金縛りにかかったかのようだ。

 男の姿が、ぐにゃりと変形し、いくつもの腕になった。浅黒いそれらは、わたしの方に向かって伸びてくる。わたしの目前にまで達した時、体の底から迫り上がってきた恐怖は、頂点に達した。

「きゃあああーっ!!!」

 わたしは悲鳴を上げた。



 落ち着いて前を見ると何もない。下腹部から足の先まで、掛け布団の感触がある。わたしは起き上がっていたことに気付いた。

「夢か……」

 嫌な夢だった。”あの男”が夢の中にまで出てくるなんて……

 しかし、”あの男”が夢の中に現れるのは、今に始まったことではない。あの事件の後、何度もこのような悪夢にうなされていた。

「どうしたのよ、葵」

 隣の布団で寝ていた小百合が、心配そうな眠そうな声で聞いてきた。

「怖い夢を……見ていた……」

 わたしは息を切らしながら、その問いに答えた。


 気を取り直して再び目を閉じる。今度こそ悪夢を見ませんように。

 悪夢を見るのはつらいし、近くで寝ている小百合たちにも迷惑がかかる。



「いっ……いやっ……! やめて……!」

 無数の浅黒い手が、わたしにまとわりつく。まとわりついてきた手は、服を破いたり、体のあちこちを触ったり、撫でたり、揉んだり、つまんだりして、まさぐっている。殴りかかるような、あからさまに暴力的なことはしてこないが、怖いことこの上ない。そして、何よりも気持ち悪い。

 わたしは無数の手に犯される……

「誰か助けて! 小百合……! 蓮……!」

 何者かの声が聞こえる。しかし、何て言っているのかは、わからない。おまじないのようにも聞こえる。

 その声色は、どこかで聞いたことのあるものだった。

 声が聞こえなくなると、一陣の風が吹いた。

 すると、目の前に竜巻が現れて、衝撃音と共に浅黒い腕を次々と千切っていった。最終的に、浅黒い腕は全て消滅した。

 不思議なことに、わたしが竜巻に巻き込まれて飛ばされたりするようなことは、無かった。そよ風が当たっているような感触でしかなかった。

 なぜなのか……わたしは考えなかった。

「葵……」

 よく知っている声が、後ろの方から聞こえてきた。声色は先程のおまじないみたいな声と同じだった。

 振り向くと蓮がいた。

「蓮……!」

 わたしは嬉しさと安堵のあまり、彼に向かって駆け出しそうになる。

 ここで一旦落ち着いて、自分の体を見てみる。服がボロボロだ。ワイシャツは見事に破けていて、胸の谷間は上から下まで見えるし、ブラジャーも全て露出している状態。しかも、ブラジャーの肩紐が、片方千切れている。うかつに動くと、変な所まで見えてしまいそうだ。

 わたしは胸を片腕で押さえながら、ゆっくりと近づく。彼のそばに来たところで、わたしは彼に抱き着く……



 わたしの目の先には天井があった。

 これもまた夢か……

 周囲が薄明るい。そろそろ朝かしら。

「葵……どうしたのよ? また、うなされていたみたいだけど。しかも今度は、あたしや麦穂星くんの名前も呼んでいなかった?」

 小百合が少し眠そうな顔をして問いかける。

「小百合? ごめん! また起こしちゃって」

 わたしは両手を合わせて、小百合に頭を下げる。小百合には迷惑をかけたな……

「一体、どんな夢を見ていたのよ……部屋が少し明るいわね。そろそろ起床時刻かしら。後で話を聞くわ」



 わたしたちは朝食をとって旅館を後にした。

 八雲町に向かう貸し切りバスの中で、わたしは小百合と、ひそひそ話をしている。今朝見た夢の話だ。

「そんな夢を見ていたの!? 葵」

 小百合は、ささやくように言ったけど、驚きを隠すことができていないみたい。

 改めて夢の内容を思い出すと、何だか恥ずかしい。わたしは無言でうなずいた。

「最後に出てきたヒーローが、麦穂星くんだったとはね~」

 小百合がニコニコした表情で、ささやくように話すと、わたしの体が火照ってきた。小百合は、その後も何か言いたそうだったけど、あえて話さなかった。

「……ところで葵、話は変わるけど、まだ通院中なの?」

 心療内科と精神科がセットになっているあの病院のことだ。時々通院している。原因は言うまでもなく、あの事件のせい。昨日、今日の様子だと、今後もしばらく通い続けるだろう。

 わたしは再び無言でうなずく。

「でしょうね。あなたの心の傷、早く治るといいわね」

 小百合の表情は優しかった。悪夢にうなされるわたしに起こされたことを恨んでいる様子は、微塵みじんも見られなかった。

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