外伝 もう一度会いたくて〈誠編〉

 警察によって保護された俺こと伊月誠は、妹と同じ施設に入所した。


 自分は酒を飲むくせに、子どもたちには満足に食事も与えない。俺たちの親はそんな親だった。

 父親は義父で母親は実の親のはずだが、どちらからも愛されていなかった。

 まだ幼い妹は、実の娘だからか父親からのあたりが少なく、また何か起こりそうだったら母親が多少庇っていた。なんでも、女の子の方が可愛く思えたらしい。

 そんなエゴも、母親が捕まってからのニュース報道で知ったことなのだが。


 児相はよく家を訪問してきたが、かえってそんな親の機嫌を損ねるばかりだった。


――もういっそ、死にたい。


 学校にもまともに通えず、家の中にも鍵がつけられる日常から、いったいどう抜けだせばいいのか。

 一度、鍵を閉め忘れた隙に逃げ出そうとしたことがあった。

 だが運悪く、忘れ物を取りに戻ってきた親と鉢合わせて押し入れに閉じ込められた。

 その後、蹴られ殴られ、たばこの吸い殻を押し付けられ、しまいにはフライパンで殴られた。

 よく死ななかったなと思う。

 ただそんな体験をしてしまうと、もう外に出る気にはならない。

 やせ細った腕で、どうすればやつらに対抗できるというのだろう。


 自分が遊ぶことしか考えられず、自身の子には興味を示さない母親と、自分が出世できないのは全て他人のせいだと信じて疑わない父親。

 その二人が病か何かで早く死ぬのを祈る毎日だった。


 つけっぱなしのテレビでは、神様なる存在が人々を救っていた。

 だがそんなものは幻想で、実際にはいないことをきっと誰よりもわかっていた。

「神様がいるなら、はやく俺を殺せよ」

 数日にわたる空腹で、目の前が暗くなっていく。

 眠ろう。寝たら少しは空腹もまぎれる。


 そして俺は、目を閉じた。


 その時の眠りは、明らかにいつもの眠気と違って、どこか暖かくて心地よかった。



 その日、吉海さんによる通報で俺と妹は保護された。



*** 



 気がつけば病院のベッドの上で、何回か家を訪ねてきた児相の職員の人が見舞いに来た。

「助けるのが遅くなって、ほんとうにごめんなさい」

 女職員はそう言って頭を下げた。

「通報で、ようやく動けたんです。妹さんも保護できたのですが……」

 妹は泣き叫びながら暴れているらしい。

 そんな妹の心情が、俺には一切理解できなかった。

 それよりも、通報してくれた人にお礼を言いたかった。

「女の子だったわ。たしか……この近くの中学校の制服を着てて」

 だけどね、と職員は声を落とす。

「その、結構……妹さんの言葉が刺さっちゃったみたいで。真面目そうな子だったし、できたら気にしないでほしいんだけど」

 その言葉の意味は分からなかったが、とりあえず俺は適当に相槌をうった。

 近くの中学ということは、同じ中学に通っていることになる。

 望みは薄かったが、担任教師に尋ねてみると、

「小野原のことだな」

 と即答された。

 教師の間ではけっこう有名な優等生らしい。

「今は、そっとしといてやってほしい。受験期というのもあるが……君の時の事件で、だいぶショックを受けてしまったようでね」

 そう言われてしまった。

 ただ同じ中学で二つ年上で「小野原」という名前だということは知ることができた。その時、今まで感じたことがない感情が湧いた。


 だから、彼女の気を乱さないように声をかけるのは受験シーズンが去ってからにしようと決めた。

 決意はしたものの、様子が気になって仕方なかった。

 よく図書室に通うようになったし、彼女の塾までは距離を取りながら歩いた。

 たぶん世間一般では「ストーカー」というのだろうが、世間知らずだった俺はそんなこと気にも留めなかった。


 毎日のように彼女を追っていると、けっこう彼女を知ることができた。

 まず彼女は、根っからのお人よしだということ。道をよく聞かれてはそれに丁寧に答えるし、風に飛ばされた他人の帽子をとったり、誰が捨てたかもわからない、路上に落ちてる空き缶とかも公園のごみ箱に捨てるなど、善人の行動をとる。

 ただその前に、決まって一度通り過ぎようとするのだ。

 しかし結局見過ごせずに戻ってくるという、傍から見れば意味不明な行動をとる。


 そんな彼女だが、人のためには動こうとするくせに、彼女自身のことはあまり気づかっていないように感じた。

 受験当日、この日は本当にたまたま駅で見かけたのだが、彼女の顔色が少し悪かった。

 声をかけたかったが、見知らぬ異性から声をかけられると警戒するよな、という考えから横目で様子をうかがうしかなかった。

 だが、電車がフォンッと通り過ぎた時、彼女はふっと目を閉じた。

 脳で解するより先に、手を伸ばしていた。

「だいじょうぶ?」

 反対側の肩を抱きながら声をかける。

 彼女はほんの一瞬意識を飛ばしただけのようで、すぐに自分の足でバランスを取った。

「ありがとうございます。大丈夫です」

 耳を真っ赤にしながら彼女はいう。

 何が原因での体調不良かはわからないから、手助けの方法が分からない。

「あ」

 カバンを漁ると、まだほんのり温かいおにぎりに手が当たる。

「これ、よかったら」

 と彼女の手に無理やり握らせ、アナウンスが鳴り始めてる電車に無理やり押し込む。

「受験、がんばってくださいね」

 その言葉が聞こえたか定かではない。

 ドアがもう閉まっていたし、彼女はこっちを向いていなかったから。

 電車は走り出し、その後俺たちが会うことはなかった。


 それが、彼女と俺の最初で最後の会話だと思っていた。


 だから彼女がバイト先に現れた時は本当に驚いたし、このチャンスを逃したくないとも思った。だから髪を染めて目立つようにした。

 けど、彼女が俺を覚えていない以上ただの店員と客でしかない。

 もう一度会えただけでも、満足しなくては。

 

 そこまで考えて、はたと気づく。

 お礼を言いたいだけのはずだった。最初は本当にそれだけで、彼女を追いかけた。

 だけど今は、話したいと思うようになっていた。笑顔を向ける相手が、俺だったらいいのにと。

 たぶん、いつの間にか好きになっていたんだ。

 中学の時の初恋が、彼女と出会ったことにより再び湧き上がってきたのだ。


 まあ、だからといってなにかできるほど積極的な人間ではなかったため、いつも通りに対応するしかないのだが。

 けれどどうしても目が追ってしまって、彼女のことが気になって仕方なくなる。

 日に日に顔色が悪くなっていく彼女に何もできないことが歯がゆかった。だから、早朝に公園でふらふらしていた彼女を見かけたときは見間違いかと思った。

 新聞配達のシフトを向こうの手違いで勝手にずらされ、なんとドタキャンだ。朝早いというのに「ごめーん。こっちの手違いで他の子とシフトかぶらせちゃってー!」と笑いながら言われるのはけっこうつらい。嫌な気分にさせられたというのに、彼女の姿を目にしたときは思わずシフト担当に感謝した。


「だいじょうぶですか?」


 いつぞやかの言葉を彼女に投げかける。

 気づかなくていい。ただ彼女に、救われた人間の一人として少しでも恩返ししたい。


 きっと傷ついた彼女の心を軽くさせるために、俺はこの場に導かれたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

晴天前夜 木風麦 @kikaze_mugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ