第6話

 ケーキは渡したし、おつかいは受け取ったし、早々に別れを告げていいのかな。さとうさんはまだ立ち上がる気配を見せない。こういう場面に慣れていないというか、はじめてなので、相手の出方を待つしかないのがもどかしかった。

 さとうさんはケーキの箱の取っ手をいじりながら「あのさ」と少し声を固くした。わたしは「なに?」と身構えた。


「ミントちゃんのこと、少し訊いていい?」

「ま、まあ、答えられることなら」


 身構えすぎて、棒読みになってしまった。さとうさんは笑って「難しいことは訊かないよ」と、もとのやわらかい声に戻した。


「ミントちゃんは、どんなお仕事してるの?」

「え、し、仕事?」

「あ、ごめん……答えたくなかったらいいんだ。プライバシーの侵害だよね」

「いや、そうじゃなくて……わたし、高校生なの」


 さとうさんは猛然とこちらに顔を向けてきた。目を見開き、口をぽかんと開けている。

 しばらく、そのまま見つめあっていた。時が止まったかのようだった。

 どうやって沈黙を破ったらいいかわからずにいると、さとうさんは通行人が振り向くほどの大声で「ええーっ!?」と叫んだ。わたしはマフラーに顔をうずめて肩をすくめた。


「まじで!? な、何年生?」

「1年」


 さすがに今度は叫ばなかったけど、さとうさんはわたわたとコートに手を擦りつけた。握手する前に、手汗を拭うみたいな仕草だ。よくわからないけど、相当焦っているみたい。


「どうしよ、学生さんだとは思ってなかった……ケーキのクオリティからして、同年代だとばかり……あ、あたしは22歳。会社員なんだけど」


 22歳。そっか、おとなっぽいなぁと思ってたけど、ほんとにおとなだったんだ。しゃべった感じでは、そんなに歳が離れているとは思ってなかったけど。


「わたしだって、さとうさんは同年代だと思ってた」

「あはは、嬉しいな。若く思われてて……って、喜んでる場合じゃないよ。おとなだと思ってたから会おうって言ったのに……Twitterで知り合った未成年と会う22歳って……やばくない?」


 心なしか、血の気が引いているさとうさん。

 せっかく会えたのに。

 また会う約束もしたのに。

 さとうさんが……さとうさんにとってわたしが、会う前よりもっと遠い存在になってしまうのは……いやかも。


「さとうさんは……やばい人なの?」


 ちらりと視線を向けると、さとうさんは髪型が乱れるほど強く首を振った。


「そんなことない! ほんとに純粋にミントちゃんのケーキが食べたいだけ。ちょっと……友だちになれたらいいなって思ってもいたけど……」

「わたしはもう、来週もさとうさんのためにケーキ作るつもりになってたんだけど」


 さとうさんはくちびるを噛んだまま、答えない。傾きはじめた陽がガラス張りの駅舎を照らして、目の端で眩しく輝いている。駅前通りの街路樹の影が、わたしたちの足もとまで伸びていた。

 さとうさんのコートの袖をつまみ、ちょっと引っ張った。握りしめられていたさとうさんの手は、ふっと力が抜けてほどけた。


「わたしはケーキを作る、さとうさんが食べる。それだけでしょ? 何もやばくない」


 さとうさんは手もとを見つめ、強ばっていた頬をゆるめた。つい、藍ちゃんにするみたいに触れてしまった。あわてて手を引っこめると、さとうさんは眉を下げて笑った。


「ありがと。あたし、リアルではあんまり友だちいないから……ミントちゃんと出会えて嬉しい!」


 さとうさんは高校生じゃなかった。

 だけど、おおらかで明るいところは想像通りだし、甘いものが大好きなところも、少し寂しがり屋なところも、わたしと似ている。


 わたしも、さとうさんと会ってよかった。出会えてよかった。


 そう言いたかったのに、素直に口に出すのは恥ずかしく躊躇っているうちに、さとうさんは「あ、そうだ」と、もとの調子を取り戻して言った。

 口下手なところは正反対みたい……。


 さとうさんは、おつかいのビニール袋の他に持っていた、小さな紙袋を差し出してきた。戸惑い、さとうさんの顔と紙袋を交互に見ていたら、彼女はにこっとえくぼを作って首をかしげた。


「これ、あげる。おつかいとは別に、お礼がしたくて」


 おずおずと受け取ると、それは見た目よりも意外に重みがあった。


「あたし、久々に郡山駅来たんだけどさ、お土産コーナーに新しいお店できてたんだね。ドライフルーツのお店。ミントちゃんのこと、お菓子作りが上手ってこと以外はまだよくわからないから、物よりは食べ物の方がいいかなって……」


 中をのぞいてみると、透明のカップにぎっしりとドライフルーツが詰められていた。櫛形に切られていて、色はピンクからオレンジのグラデーションになっている。太陽の光を透かしたら、影が同じ色に色づきそうな透明感がある。


「桃のドライフルーツってめずらしいなって思ってさ。ミントちゃん、桃のケーキも作ってたし、嫌いじゃないよね?」

「好き。夏だったら桃がいちばん好き」

「夏だったら?」

「秋は梨、冬がはじまるころはりんごがいちばんだから」

「あはは。模範的福島県民だねぇ」


 あたしもそうかもー、とのんびりと言うさとうさん。

 Twitterで半年もやりとりしていて知らなかったことが、今日一気にわかってしまった。お互いの地図をちょっとずつ見せあうような、あたたかくてこそばゆい感覚。

 嬉しさがこみ上げてきて、つい口もとがほころんでしまう。


「ありがとう」

「えへへ、こちらこそ」


 さとうさんはケーキの箱を手に、立ち上がった。わたしも来たときより増えたくらいの荷物を持ち、ベンチから腰を上げる。並んで立つと、さとうさんはわたしよりずいぶん背が高かった。藍ちゃんと同じくらいかもしれない。

 さとうさんは大事そうに箱を抱え、わたしの姿を眺めている。やばい、今さら超ダサい格好だったこと思い出した……! どうしよう、恥ずかしい……。

 でも、さとうさんは引いたりせずに、優しくほほえんでいる。


「来週もここ、同じ時間でいいかな?」

「う、うん」

「ありがと! 来週も楽しみにしてるね。またね、ミントちゃん」


 そう言うと、さとうさんは駅を背に歩き出した。臙脂色のコートは人ごみにまぎれても目立っていた。 さとうさんにだけ色がついて見えるみたいだった。

 さとうさんは赤信号で足を止め、ちらりと振り返った。モノクロの地味なわたしを見つけてくれたのか、さとうさんは小さく手を振った。

 さとうさんにも、わたしが色鮮やかに映っていたらいいのにな。

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