第5話
わたしは2時半に郡山駅に到着した。待ち合わせより30分も早いけど、別に張り切ってるわけじゃない。田舎だから、電車は多くて1時間に2本。次の電車だと3時10分ごろになってしまうから、早めに来るしかなかったのだ。
土曜日の昼下がりとあって、郡山駅は大勢の人でにぎわっていた。中高生らしきグループや、若いカップルの姿が目立つ。
女の子はみんな、上半身はコートやマフラーでもこもこしているのに、下は短いスカートにタイツという防寒とは真逆の格好をしている。それでいて、風が吹くと寒い寒いと仲間同士でじゃれあう。
いいなぁ。わたしもおしゃれしたかったのに。
わたしは藍ちゃんに言われた通り、地味で身体のラインが出ない服を身にまとっていた。いつも制服の上に来ている、紺色で丈の長いダッフルコートに、グレーのマフラー。ダメ押しでマスクまでしている。裏起毛のジーンズは分厚くて、すごく脚が太く見えちゃう。
たしかに、これなら普段の外見はバレないだろうけど、ほんとに恥ずかしい。土曜日のにぎわいの中、こんなダサい格好でひとりぽつんと佇んでたら、変な人って思われそう。
わたしは交番の近くのベンチに腰かけた。「交番の前で待ち合わせね」と言うのはさすがに気が引けるので、ヨドバシカメラの前辺り、とさとうさんには言ってある。
提げていた紙袋から、ケーキを詰めた箱を取り出してかたわらに置く。真っ白で取っ手がついた箱は、誰がどう見てもケーキの箱にしか見えないはず。これが、さとうさんに伝えた、待ち合わせの目印だ。
ぼんやりと、道行く人を眺める。土曜日だからか、平日よりみんな足運びがのんびりしているように見える。待ち合わせの相手を探しているような人はいなかった。
そういえば、さとうさんの目印は聞いてなかったな。わたしはマフラーに顔をうずめ、目を閉じた。視界をさえぎると、冬のにおいが濃くなった気がした。
心臓がどきどきと高鳴っている。声が震えちゃったらどうしよう。変な子って思われたらどうしよう。
早く会いたいような、永遠に待っていたいような、そんな気持ちで目を開けた。
視界がさっきより翳っている。まぶたにかかった前髪を、頭を振ってどかしながら顔を上げると、女の人がわたしを見下ろしていた。
色白の丸顔に、栗色のふんわりしたショートボブ。頬はこわばり、くちびるには中途半端な笑みが浮かんでいる。臙脂色のコートを羽織り、すっきりとした黒のスキニーを履いていた。
わたしたちはしばらく黙って見つめあった。雑踏のざわめきが遠のき、彼女しか見えなくなった気がした。
髪を耳にかける仕草をしながら、彼女は少し腰をかがめた。マスク越しに、ふわっとシャンプーの甘いかおりがした。
「もしかして……ミントちゃん?」
やわらかく、ちょっと鼻にかかった声が、わたしのネット上での名前を呼ぶ。声に出して呼ばれたのははじめてだったのに、不思議と違和感なく受け入れられた。
「さとうさん……?」
ぽろりと声をこぼした途端、彼女の顔から緊張の色が消え去った。ふわっと花が咲くように笑い、おとなっぽい見た目とは裏腹に無邪気にぴょんぴょんと小さく飛び跳ねた。
「あーよかったぁ! その箱、どう見てもケーキの箱だよなぁって思って! 人違いじゃなくてよかったよ」
さとうさんは躊躇うことなくわたしのとなりに腰を下ろした。わたしはケーキの箱を差し出し、うつむきがちに口を開いた。
「……はい、これ……さっき投稿したチョコケーキ。見た?」
「見た見た! 今回もいちばんにいいねしたよ。ネタバレするかしないか迷ったけど、結局気になって見ちゃった!」
さとうさんの外見は想像とだいぶ違っていたけど、話してみるとやっぱりさとうさんだなって思った。そして、思い描いていたさとうさんの想像図は薄れ、すでに思い出せなくなっていることに気づく。不思議な感覚だった。
「ありがとう! やばい、ミントちゃんのケーキ……夢みたい。ねぇ、ちょっとだけ見てもいい?」
「えっ、目の前で見られるのは……恥ずかしいんだけど……」
「ちょっとだけ! あ、ミントちゃんも、おつかい、間違ってないか見て。物々交換なんだから、ちゃんと確認しあわないと」
さとうさんは持っていたビニール袋を押しつけてくる。さとうさんのペースにぐいぐい引っ張られてるな、と思いつつ抵抗することもできず、わたしは袋を受け取った。
中身を確認しようとしたとき、となりでさとうさんが「うわぁ」と歓声を上げた。見ると、すでに箱を開いて中を覗きこんでいる。
「何これ、お店みたい! やっぱ実物は写真よりもっとおいしそう! ていうか、これ全部いいの? ミントちゃんの分は?」
「1ピース取ってあるから大丈夫」
「それだけでいいの? 家族と食べたりしないの?」
家族の話題に弱いわたしは、言葉に困ってしまう。不自然に思われないように、平坦な声を意識して答える。
「……大丈夫だから。そもそも、さとうさんのために作ったんだし」
さとうさんは大きな目を丸くして、わたしを見つめてきた。なぜか視線をそらすことができずにいると、さとうさんはアイスが溶けるようにじんわりとほほえんだ。
「えへへ……ありがと」
よく笑う人だな。わたしも笑い返した方がいいかなと思っているうちに、さとうさんはころっと表情を変えて「ていうか」と口をとがらせながら言った。
「ミントちゃんのおつかい難しすぎだよ~。生クリームとバターはいいとして、マロンペーストなんて買ったことないし、スーパーいくつか回ったけど売ってなくてさ。ネット通販で何とか見つけたよ」
藍ちゃんに言われた通り、おつかいの難易度を上げるためにマロンペーストの缶詰をリストに入れておいたのだ。それに、次はモンブランを作りたい気分だったし。
袋を開いて見ると、使い慣れたメーカーのバターと生クリーム、そして何度か使ったことのあるマロンペーストが入っていた。缶詰を手に取り、ちょっといじわるすぎたかな、と反省をこめて「ごめん」と言った。
「これ、業務用のスーパーに売ってるよ」
「ほんとに!? まじかー、今度は通販に頼る前に探しに行ってみるよ」
さとうさんはわたしの――というか、藍ちゃんの魂胆など露知らず、新しい発見をしたというように笑っている。
疑っていた自分がいやになるほど、さとうさんは純粋な人みたいだ。むしろ、さとうさんはわたしのことを怪しんだりしなかったのかな、と心配になってしまうほどだ。まあ、人のことは言えないけど。
「ね、マロンペーストってことは、来週はモンブランでしょ! あたし、モンブラン大好きなんだよね~。ミントちゃんのモンブラン、美味しいだろうなぁ。楽しみ」
「えっ」
来週はたしかにモンブランの予定だけど……。楽しみ……って、完全に食べられると思ってるよね?
言葉に詰まっていると、さとうさんは眉を寄せて首をかしげた。
「ん?」
「え、待って、来週も……」
「そ、そうじゃないの? だって、次のケーキの材料と交換ってことは、また来週も同じように次の材料と交換で、ってそういうことかと思ったんだけど……違った?」
「そういうつもりじゃなかった……けど」
「うっそ! やば! めっちゃ恥ずかしいじゃん! ほんとは付き合ってないのにこっちだけ恋人のつもりだったみたいな! こっちは常連のつもりだったのに店員さんに覚えててもらえてなかったみたいな! やだ~」
「ちょっと、最後まで聞いて」
さとうさんは顔を覆い隠していた手をちょっとどけて、潤んだ瞳で見つめてきた。
「そういうつもりじゃなかったけど、今、それもいいかなって、思った」
さとうさんは目を見開いて、ゆっくりと手を下ろした。わたしは、藍ちゃんに怒られるかな、と思いながらも、言葉を止められなかった。
「わたし……今までずっと、ひとりでケーキ作って、ひとりで食べてきたから。だれにも感想もらえないし、やっぱり誰かに食べてもらえる……誰かのために作るのっていいなって思ったから」
「ほんとに?」
黙ってうなずくと、さとうさんはへにゃへにゃとうなだれ、ベンチに手をついた。
「よかった~。もう、あたしひとりで盛り上がってるみたいで恥ずかしかったぁ。それに、もうモンブランの口になっちゃってるからさ、食べられなかったらつらかったよ」
「モンブランより先に、チョコケーキの口になってよ……」
「あは、そうだった」
さとうさんは頭をかきながらへらっと笑った。
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