第4話

 1週間はあっというまに過ぎ、土曜日。

 わたしは久しぶりに、だれかのためにケーキを作っている。

 今日の午後、さとうさんと会うことを決めたのだ。


 スポンジケーキなんて作り慣れているのに、何となく不安になって何度もレシピを確認してしまう。自分では黄金比だと思っているチョコレートホイップも、気に入ってもらえるか自信がなくなってくる。

 今日作っているのは、柑橘とチョコレートのケーキ。柑橘は、オレンジと、スーパーで見かけて気になったメロゴールドを使ってみることにした。メロゴールドは黄緑色の皮で、果肉はほんのりと黄色い。味はグレープフルーツから酸味を少し抜いたような感じだ。みずみずしくさっぱりしているから、濃厚なチョコレートホイップにあいそうだ。


 オレンジとメロゴールドをトッピングしながらも、心はもうさとうさんのことでいっぱいだった。緊張してるけど、楽しみで、でもちょっと怖い……感情がごちゃごちゃに混ざって、今までになく心が散らかっている。


 どんな顔なんだろう。背は高いかな。ショートヘアのイメージだけど、あってるのかな。笑った顔が早く見たいな。

 そもそも、ほんとに来てくれるのかな。会えるのかな。


 昨日、DMで約束したばかりなのに、まだ現実味がない。たぶん、待ち合わせ場所に行っても、目の前にさとうさんが現れても、現実味は感じないんだと思う。

 帰り道、手もとにケーキがないことに気づいて、やっと夢じゃなかったんだって感じるのだろう。


 柑橘類はのせ終わったが、まだ物足りない。ホイップが残っているから、周りに絞ってみようかな。わたしのケーキ作りは、もやのかかったイメージ図を、作りながらくっきりとさせていくようなものだから、思いつきや気分に任せてといった場合が多い。

 ホイップを絞ってみて、これは成功だったのか失敗だったのかと眺めていると、スマホのバイブが鳴った。ポップアップを見ると、さとうさんからDMが来たみたいだ。

 汚れていない、中指の第2関節でノックするように画面をタップする。


『ミントちゃん、頼まれてたバターと生クリームだけどさ、保冷剤とか氷つめた方がいいかな?』


 また、中指の第2関節で返信を打ちこんでいく。


『持ち帰るまでそんなに時間かからないし、寒いから大丈夫』


 送信するとすぐに、『わかったー』と返ってくる。藍ちゃんにこのやり取りを見せたくなる。保冷剤の心配までしてくれるなんて、さとうさんはやっぱりいい人だよって。恥ずかしいから見せないけど。


 藍ちゃんは、わたしが安全にさとうさんと会うための方法を考えてくれた。相談した日の昼休み、いつものように藍ちゃんはわたしのクラスにお昼ごはんを食べに来た。ひとつの机に狭苦しく向きあった途端、藍ちゃんは通り魔のような唐突さでこう言った。


「単刀直入に言うけどさ、さとうさんは高校生じゃないと思うよ」


 わたしはしばらく何を言われたのかわからず、二度、三度とまばたきをした。ようやく理解が及んだときには、藍ちゃんはすでにお弁当を食べはじめていた。


「……なんで!?」


 藍ちゃんは落ち着き払った様子で、口の中のものを飲みこんでから「だってさ」と言った。


「かさねのケーキを言い値で買うって言ったんでしょ? 高校生の言う言葉じゃないでしょ。お小遣いでやりくりしてる高校生だったら、そんなこと絶対言えない」

「わたしはバイトしてるけど……それでも言えない」

「絶対社会人だよ。さとうさん本人は高校生だって言ってたの?」


 Twitterで年齢の話なんかしない。そもそもわたしだって年齢明かしてないし。誕生日を祝って、その流れで訊いたり訊かれたりはするかもしれないけど、さとうさんの誕生日はまだみたいだから、そういう流れにもならない。

 わたしは大変言いにくい気分で、重い口を開いた。


「えっと……話してる雰囲気で同年代かなって……」


 藍ちゃんは大きくため息をついた。居心地悪く目をそらすが、藍ちゃんが顔を覗きこんでくるので不本意にも目があってしまう。

 また「かさねは甘すぎる」なんて怒られるかと思いきや、藍ちゃんはつまっていた息を吐き出すように笑みをこぼした。


「会うって決める前にあたしに相談してくれて、ほんとによかった」


 教室はほどよくにぎやかで、隅の席でおでこがくっつきそうなほど窮屈に向きあうわたしたちなど、誰の目にも止まらないようだった。

 藍ちゃんは自分のクラスで食べなくていいのかな?藍ちゃんなら絶対、ひとりぼっちなんてことないと思うのに。

 そう思いつつも、なかなか言い出せなくて、ずっと藍ちゃんに甘えっぱなしだ。


「さとうさん……やっぱりおじさんなのかな」

「それはわかんないけど……お金に余裕がある社会人の場合、金額によるとは思うけど、お金を出すのは簡単なことだよ、きっと。もっとハードル上げないと。だからね、物々交換にした方がいいと思う」


 物々交換?

 なぜか、わらしべ長者が思い浮かぶ。まさか、ケーキからはじめてお屋敷にする、なんて言わないよね?


「まず何をもらえばいいの?」

「まず? まずというか、ケーキの材料しかないでしょ。バターとか、生クリームとか。その辺のスーパーでは買えないものを混ぜて、難易度高くしておいたりしてさ。あたしは詳しくないからわかんないけど。相手に少し手間だなって思わせるくらいでいいと思う。しかも、バターとかは冷蔵品だから、交換したあとすぐ帰る理由にもなる」

「なるほど」


 藍ちゃんの熱弁に、パンを食べるのも忘れてうなずいていた。


「あと、なるべく安全なところで待ち合わせる。郡山駅だったら、交番があるからその近くにするの。何かあってもすぐ逃げこめるし、そもそも変な気を起こさせないようにする」

「ふむふむ」

「あとは、身体のラインも顔も見えないくらいに着こむとかね。冬だからちょうどいいじゃない。いつもみたいに、完全防備で」


 藍ちゃんは話したいことを話し終えたのか、ブロッコリーを口に放りこんだ。それを見て、パンに手をつけていないことに気づき、わたしは急いで袋を破いた。


「わかった。あとでさとうさんにメッセージ送っとく」


 郡山のご当地パン、クリームボックスを端からかじっていると、妙に視線を感じた。視線を上げると、藍ちゃんがじーっとわたしの顔を見つめている。

 何だろ、ケーキの食べ過ぎを気にしてるくせに、甘いミルククリームを塗りたくったパンなんか食べて、とか思われてるのかな。


「いや、あの、これは……わたしはさ、パンは甘くてもスイーツに含めない派だから……」

「え? 何のこと?」

「へ?」


 藍ちゃんは少し目を伏せたあと、またまっすぐ見つめてきた。遠い星を眺める目をしているように思えたのは、わたしの気のせいかな。


「かさねがおとなになっちゃうの、やだなぁって思ってさ」

「ずっと子どもなわけないじゃん」

「いつか手の届かないとこに行っちゃうのかなぁ」

「それは藍ちゃんの方でしょ。いつか、どころか、もうすでに陸上で有名人になっちゃってるし……わたしのこといまだに構ってくれるのが不思議だよ」


 顔をのぞかせていた不安が、ついに言葉になって出てきてしまった。クリームボックスを口に寄せ、しかし何となくかじる気になれずに、くちびるについたクリームだけをなめる。


「当たり前でしょ。妹みたいなもんなんだから」


 藍ちゃんは教室のざわめきに隠すように、だけどわたしの耳にはちゃんと届く声でささやいた。

 その言葉は嬉しくもあり、釈然としない部分もあった。


「もう、いっつもわたしのこと妹扱いするんだから。ほんとの妹は藍ちゃんなのに」


 藍ちゃんには年の離れたお姉さんがいる。れいさんといって、体育会系の藍ちゃんとは正反対の、文化系のおしとやかなお姉さん。家が近所だから、わたしも本当の妹のようによく遊んでもらった。お菓子作りの手ほどきを受けたのも黎さんからだった。

 黎さんは高校卒業後、製菓学校に進学するために上京してしまったから、それ以来5年くらい会っていない。


「黎さん、元気かなぁ?」


 ぽつりとつぶやいても、藍ちゃんは気づいていないかのようにお弁当を食べつづけている。じーっと見つめていると、面倒そうに眉を寄せて見せた。


「何? あたしに訊いてるの?」

「そうだよ。他にだれに訊くの?」


 藍ちゃんはふうっと息を吐き、わたしとは目もあわせずに口を開いた。


「姉ちゃんからは何も連絡ないよ。東京暮らしがよっぽど楽しいか忙しいんじゃない?」

「そっか……わたし、黎さんがこっちに帰ってきてケーキ屋さん開くの、ずっと楽しみに待ってるんだけどな」

「そんな簡単なことじゃないんだよ、きっと」


 藍ちゃんはそう言ったきり、黙々とお弁当を食べていた。やっぱり黎さんのこと口に出さない方がよかったかな。

 わたしが家族のことを訊かれると歯切れが悪くなるのと同じで、藍ちゃんも黎さんのことを訊かれるとなぜかぶっきらぼうになる。黎さんとの仲は悪くなかったように思えるのだけど。


 ぼんやりと藍ちゃんとの話を思い返しているあいだも手は休まずに動いていて、ケーキは完成していた。交互に並べたオレンジとメロゴールド。粉ゼラチンと砂糖と水で作った簡易的なナパージュを塗ったので、表面は艶が出てきらきらと輝いている。丸口金でぽこぽこと絞ったチョコレートホイップも、悪くない気がしてきた。


 完成したところで、いつもと同じように写真を数枚撮り、カットすることにした。いつもひとりでホールのまま、山崩しみたいに適当に食べているから、まともにケーキを切るのは久しぶりだ。

 波刃包丁を小刻みに揺らしながら、慎重に切っていく。等分しやすい8等分。三角形になったケーキを平たくしたアルミカップにのせ、この日のために用意した透明なフィルムを巻きつける。


「おお、めっちゃお店っぽい。箱に詰めたら完璧じゃん」


 自分のケーキをあまりピースになった姿で見たことがなかったから、新鮮な感じ。百均で買った箱に7ピース詰めて、残り1ピースはそのまま冷蔵庫にしまう。感想を聞くにも、自分でも味がわかっていないと意味がない。

 時計を見ると、1時半になっていた。さとうさんとの約束は3時に郡山駅前。少し冷蔵庫で冷やしておこう。


 この際、さとうさんが高校生か、おじさんか、そんなのどうだっていいや。

 わたしのケーキが、さとうさんの理想通りの味だったら、それでいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る