第3話

 わたしは土曜日のさとうさんとのやり取りを、洗いざらい話した。Twitterをはじめたことも、今日はじめて打ち明けた。何となく恥ずかしくて、ずっと言い出せなかったのだ。


 わたしたちは人の気配を避けるように、細道を選んで歩いた。家やビルに挟まれて日陰になりがちな小道は、大通り以上に分厚い氷が張っていてよく滑った。

 だけど、車の往来が遠い分、話をしながら歩くのには最適だった。靴底が細かい氷を砕く音と、庇から滴が落ちる音なら、ないしょの話の邪魔にならない。


 この前、さとうさんとダイレクトメッセージでやり取りしたとき、結局会うかは決められなかった。踏ん切りがつかなかったのだ。

 ネットで知り合った人と実際に会ってみて、事件に巻き込まれたという話は事欠かない。命までとられる心配はしていないけど、何か大事なものを失うかもしれない。


 さとうさんと会っても大丈夫なのだろうか、と不安を吐き出すと、少し心が軽くなった。

 藍ちゃんはしばらく黙ってうつむきがちに歩いていた。冬の足取りは重くなりがちだ。ずるずると、引きずるようなふたり分の足音が、裏路地の静寂を乱していた。


「かさねはさ、どうしたいの?」

「どう……って」

「さとうさんに会いたいの? 会ってみたいの?」


 さとうさんのセーラー服姿を思い浮かべる。もう半年くらいTwitterで話しているから、性格も大体わかる。おおらかで、いつも明るくて、人の幸せは自分の幸せというくらい、いっしょに喜んだり楽しんだりしてくれる。暗くてネガティブなわたしとは正反対、憧れちゃうような女の子。


 正直、わたしも前から気になってはいた。学校では藍ちゃん以外友だちのいないわたしでも、さとうさんは受け入れてくれた。もしさとうさんと同じ学校で、同じクラスだったら……学校生活がもっと楽しくなるだろうな、なんて考えたことは一度や二度ではない。夢にまで見ることもある。そのくらい、さとうさんは気になる存在だった。


 だから、さとうさんから会いたいと言われてビクビクしたけど、嬉しさもあった。「みそ」が通じることも嬉しかった。

 さとうさんもわたしに会ってみたかったんだ、と思うと、その事実がいちばん嬉しかった。


 そんなさとうさんを疑いたくない。だけど、どうしても地方紙の一面を賑わすような事態が頭をよぎってしまう。

 こちらに葛藤があることも、さとうさんはわかっていたのだろう。


『ミントちゃん女の子だしさ、あたしのこと怪しむのは当然

 全然失礼じゃないから!

 むしろ快諾されてたら、こっちからやめとこうって言ってたかも笑

 だから、あんまり本気じゃなく待ってるから

 来週、気が向いたらDMして!』


 気づかいのかたまりみたいなメッセージに、わたしは「既読」の意味のいいねしかできなかった。


「あたしは反対だな。会わない方がいいと思う」


 藍ちゃんのおさえこむような声が、凍った路地に転がった。


「あたしはさとうさんと話したことないから一般論しか言えないけどさ、ネット上の関係からリアルでも繋がりたいって言ってくる人って、やっぱり怪しい人が多いよ。年齢詐称、性別さえ嘘なんて当たり前」


 わたしも一般論くらい知っている。だけど、改めて藍ちゃんの口から聞かされるとずしりと重く響いた。


「かさねは人を疑うことを覚えた方がいいよ。誰彼かまわず信用しちゃだめ」

「そりゃわたしだってちゃんと疑えるよ。さとうさんのこともおじさんかもって想像したし」

「その想像を否定してほしくて、こうしてあたしに相談したんでしょ」


 図星だったのだろうか。そんなふうに考えていなかったはずなのに、心臓がびくりと居心地悪く跳ねた。


「かさねはさとうさんにケーキをあげるだけでしょ? 何も得しないじゃない」

「そんなことないよ。さとうさん、その場で言い値で買うって」

「またすぐ信用してる」


 藍ちゃんは頭がよく回るし口がうまい。わたしなんてあっという間に言いくるめられてしまう。

 何も言えずに黙りこんでしまう。足も止まりかけていたのだろう。藍ちゃんは何歩か先で立ち止まり、振り返っていた。


「かさね?」

「わたし……誰かに食べてもらいたい」

「え?」


 藍ちゃんはわざわざ戻ってきて、わたしの正面に立った。少しだけ猫背になっているのは寒いからじゃない。15センチも身長差があるわたしと目をあわせようとするときに、藍ちゃんは少し猫背になる。


「わたし、もうひとりでケーキ作ってひとりで食べるのつらくなってきた。お腹的にもだけど、気持ちがつらい。やっぱり、誰かに食べてもらいたい。そして、美味しいねって言ってほしい」


 藍ちゃんは目を伏せるように笑った。背中を見せて歩き出す藍ちゃんを、少し滑りながら追いかける。


「家族は? まだ……無理そう?」


 藍ちゃんは滅多に口にしないことをつぶやいた。わたしはお母さんと、うまく顔を思い出せない父と妹をシルエットだけ思い浮かべる。


「最近……あんま話してない」

「ずっと前に訊いたときもそう言ってたけど」

「じゃあ藍ちゃんが手伝ってよ。ケーキ半分食べて」

「無理だよ。部長に怒られる。短距離選手がスイーツにうつつを抜かすなって」

「さっき摂取した分消費できるって言ったじゃん」

「それは、かさねが体型キープすることは可能だって言ったの。あたしはさ、1秒……ううん、コンマ1秒でも速くなるために陸上やってるの」


 藍ちゃんはうちの高校の陸上部のエースだ。去年の夏は1年生ながら県大会で優勝している。わたしなんてとなりのクラスの人にさえ認識されていないだろうに、藍ちゃんのことはだいたいの生徒が知っているはずだ。同級生、上級生問わずファンがいて、新聞部でもないのにフリーの記者だと名乗って、練習中の藍ちゃんにカメラを向ける女の子たちの姿を見かけたこともある。

 そんなすごい人と、わたしのダイエットをいっしょにしてしまうなんておこがましいにも程がある。藍ちゃんの本気を侮辱したのと同じだ。


「藍ちゃん……ごめん」

「別に。かさねにとってはお菓子作りが、あたしにとっての陸上だってわかってるから。あたしが1秒でも縮めたいとと思うのと、かさねが美味しいって言ってもらいたいのはいっしょ。本気なんでしょ」


 藍ちゃんは口がうまい。ふわふわもやもやした思いを、輪郭をくっきりさせ、代わりに言葉にしてくれる。

 いつのまにか学校が見えてきた。おしゃべりしていると、30分なんてあっというまだ。歩いたおかげで、身体が少しあたたまっていた。


「わかった」


 藍ちゃんは諦めるように、短く吐き出した。何がわかったのか、わたしが首をかしげて見上げると、藍ちゃんは強気な笑みを見せた。いくら頑張っても真似できない、力強くて飛び込みたくなる、藍ちゃんの笑顔。


「さとうさんとのこと、頭ごなしに否定するのやめる。どうやったら安全に会えるか、考えてみよう」

「……いいの?」

「会いたいんでしょ? さとうさんに」

「会いたい!」


 食い気味に言うと、藍ちゃんは眉を下げて笑った。


「やっと言った。会いたいって」


 わたしは途端に恥ずかしくなってきた。これってまるで、恋の相談みたいなんじゃない? 今まで恋愛とは無縁の日々だったから、恋バナなんてしたことがなかった。


「じゃ、方法考えとくから。かさね、人任せじゃなく、自分でもちゃんと考えとくんだよ?」


 わたしは赤くなっていたら困るので、目もとまでマフラーにもぐり、こくこくと頷いて藍ちゃんと別れた。

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