第2話

 ホームに降りてあくびをすると、吐いた息が白くかたちを取って、すぐに散らばってあとかたもなくなった。息が白くなるのを見るとますます寒くなる。首を縮めて鼻までマフラーにもぐった。

 晴れた朝ってなんでこんなに寒いんだろう。放射冷却とかよく聞くけど、いまいちわからない。晴れてるんだから太陽のおかげであったかくなるはずじゃん、と思ってしまう。

 電車の中はぽかぽかだったなぁ。学校の前まで線路があればいいのに。この寒い中30分も歩かなきゃいけないなんてかなりつらい。


 急ぎ足のスーツの人や制服の人にどんどん追い抜かれていく。まだ遅刻が視野に入ってきてる時間帯じゃないのに。わたしは流れをせき止めない程度にゆっくりと、改札に向かう階段をのぼった。

 見知ったうしろ姿を見つけたのは、改札機にSuicaをタッチした直後だった。


 女子高生の集団にまぎれて、活発な印象のショートヘアが頭ひとつ高い位置で揺れている。こんなに寒いのにマフラーをしていない人なんて、彼女以外にいない。

 駆け寄って、ウインドブレーカーの袖をつまんだ。


あいちゃん、おはよ」


 振り返った藍ちゃんは、眠そうな目でわたしを見下ろし、耳からイヤホンを外した。


「おはよ。かさね、今日もふくれてんね」


 わたしは寒がりだから、コート、マフラー、手袋、レッグウォーマーと、ありとあらゆる防寒具を身につけている。陸上部のウインドブレーカーを羽織っているだけの、身軽そうな藍ちゃんとは正反対だ。


「着ぶくれてるの。き! ひと文字大事だからね」

「もはや、そこまで着こんでおいて耳あてしてないのが不思議になるレベルだよ」

「耳は髪で隠れるから多少あったかいの。冬のために髪伸ばしてるようなもんだから」

「野生動物の生態みたい」


 藍ちゃんは首をすくめるようにして笑った。吐息が白くなってもわもわと弾み、空気にとけるように消えた。笑い声も目に見えるようになるところだけが、冬のいいところだと思う。


「藍ちゃん、今日は自転車?」

「いや、まだ雪残ってるだろうから無理かなぁ。解けかけてタイヤの跡とか足跡とかがついてまた凍った路面っていちばん危ないから」

「今日は晴れてるから凍ってないかもよ?」

「晴れてるから放射冷却でめっちゃ凍ってるよ」

「そうだったそういうものだった」


 慌てて取り繕うと、藍ちゃんはまた笑った。


「かさねは今日も歩き?」

「うん。土日またケーキ食べちゃったから消費しなきゃ」

「陸上部入れば毎日摂取カロリー分消費できるのに。いつでも新入部員大歓迎だよ」

「部活入ったらバイトできなくなるし土日暇じゃなくなるからやだ」


 藍ちゃんはだよねー、と言いながら西口の自動ドアを先にくぐった。びゅうぅ、と冷たい風が吹きつけて、さすがの藍ちゃんもウインドブレーカーの前をかき合わせた。


「藍ちゃんはバス?」

「うーん……」


 右手に見えるバスプールでは、制服集団が行列を作っている。雨の日と雪が積もっているあいだは、バスはえげつないほど混む。今並んでも、乗れるのは3本目……いや、4本目かも。

 藍ちゃんは南極のペンギンみたいな光景から目をそらし、ウインドブレーカーのファスナーをいちばん上までしめた。


「じっと待ってる寒さより、前に進む寒さの方がマシだな」

「じゃあいっしょに行こう……あ、でも、わたしだけこんなに完全防備だと、藍ちゃんから防寒具全部奪ったみたいに見えちゃうかな」

「そんな発想、かさねしかしないから大丈夫」


 わたしたちは並んでカリカリに凍った道を慎重に踏みしめた。藍ちゃんとこうしていっしょに歩いて学校に行けるのはたまにしかない。幼なじみで近所に住んでいるから、中学生のころまでは毎日いっしょに登下校していた。

 同じ高校に入学できたのはよかったけど、藍ちゃんは部活で朝練があったり、わたしは放課後にバイトをはじめたりと、なかなかいっしょに登下校する機会がなくなってしまった。


 だから、わたしは雨の日と雪が積もっているあいだが好きだ。自転車に乗れず、バスも激混みで、藍ちゃんといっしょに歩けるから。

 あ、これも冬のいいところだ。


 横断歩道が赤なので足を止める。道路もつるつるに凍っているから、車もゆっくりと忍び足で通り過ぎていく。どこかで雪解け水がぼたぼたと落ちる音がしている。

 わたしは信号機を見上げている藍ちゃんをちらりと見上げた。


「ねぇ、藍ちゃんってTwitterとかインスタとか、何かSNSやってる?」

「やってるけど……何? アカウントは教えないよ」


 藍ちゃんは目をすがめ、眉をゆがめた。SNS上でリアルの友だちと繋がりたくないタイプみたい。


「そうじゃなくて……藍ちゃんってさ、フォロワーさんと実際に会ったこと、ある?」


 藍ちゃんの目は、今度は丸くなった。ポケットに突っこんでいた両手を、おもむろに出した。


「かさね……そんなことしてるの?」


 わたしは蛇に睨まれたかえるになる。


「し、してない! まだしてない!」

「まだ?」


 ずいっと藍ちゃんの顔が迫ってくる。鋭い眼力に刺されたように動けなくなってしまう。頭上では、青信号になったことを知らせるメロディーが流れ出した。立ち止まっているわたしたちを避けるように、人が行き交う。


 藍ちゃんは冷たい手をわたしのマフラーの中に入れると、首根っこをつかんで横断歩道を渡りはじめた。ひゃあぁ、と情けない声が出る。これは藍ちゃんが怒ってるときにする行動だ。


「ひゃっこい! 藍ちゃん、離して! 聞いて、とりあえず話聞いて!」


 首の熱が藍ちゃんの手に吸い取られてゆく。横断歩道を渡りきったところで、藍ちゃんはやっと解放してくれた。もう掴まれないように、首が締まるほどマフラーを巻き直す。


「わたしから会いたいって言い出したわけじゃないし、相手だって別にわたしに会いたいんじゃないよ。わたしのお菓子が食べたいだけなの!」

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