さとうとミントのお菓子な関係
桃本もも
りんごがみそだったからわたしたちは出会うことになった
第1話
午後2時、晴れ。北向きの窓から入る程よい自然光。絶好の撮影日和だ。
小麦粉や生クリームで汚れたスマホをエプロンで拭い、被写体にレンズを向ける。ピントを合わせると、画面にフォークとナイフの絵文字が表示される。この機能には毎度「ほう」とうならされる。そして、わたしの作ったものをAIにちゃんと食べ物だと認識してもらえて、ありがたやと思ってしまう。
いちごとブルーベリーを使ったショートケーキ。初心にかえってスポンジもホイップクリームもシンプルなものにしてみた。側面の生クリームには一切乱れがなく、ナッペの腕が上がったな、と自画自賛する。
何度かシャッターを切り、ケーキを回転させて見栄えのする面を探してみる。
「こっちの方がいちごとブルーベリーのバランスがいいな」
素敵な角度から、また撮影再開。いちごのかおりが漂うリビングに、控えめなシャッター音が響く。
ショーケースの蛍光灯に照らされるスイーツももちろん美味しそうだけど、やっぱりスイーツは自然光で撮るに限る。蛍光灯の下のスイーツは、まるで標本みたい。適度な陽光で健康的に輝くフルーツや、ホイップクリームに落ちるやわらかな陰影が、スイーツをより美しく、美味しそうにみせてくれる。
「ま、個人の感想ですけど」
土曜日の昼間、他の家族はみんな出かけているので、家にはわたししかいない。ひとりだと思うと、ひとり言がよく出てくる。別にしゃべるのが好きなわけじゃないのに。
納得がいくまで、10枚ほど撮った。そこからベストショットを選び出し、実物と近づけるために少しだけ画質を調整する。
満足のいく出来だ。ケーキ自体も、写真も。
SNSを開き、吹き出しのアイコンをタッチする。ショートケーキの写真を張りつけ、短いコメントを添える。
『いちごとブルーベリーのショートケーキ🍰
ナッペめっちゃ上手くなったと思いません??笑』
投稿してからしばらくタイムラインを眺めていると、通知が来た。一気に3件。予想をつけながら通知を開いてみると、それは当たっていた。
『さとうさんがあなたのツイートをいいねしました』
『さとうさんがあなたのツイートをリツイートしました』
そして、最新の通知はコメントだった。もちろん、さとうさんから。
『うわー!!
今週もめっちゃおいしそう!
食べたい!』
テンション高めのコメントに、ふふっと笑みがこぼれてしまう。たぶん、休みの日にはタイムラインに張りついているタイプなのだろう。毎週土曜日、わたしは手作りスイーツの写真をツイートするのだけど、さとうさんはいつもいちばんに反応してくれる。
さとうさんのコメントにいいねを押し、返信を打つ。
『取りに来れるんならあげたいくらいだわ笑』
『行く行く!笑
あたし人気のケーキ屋さんの行列に3時間並んだことあるからね!
往復3時間くらいなら余裕で行く!笑』
『いや、3時間かかったらケーキ傷むわ』
『ドライアイス入れてきてよ~』
『店じゃないんだからそんなんできるか』
話しやすいし、お互い気を遣うこともないし、きっとわたしたちは似てるんだろうなと思う。高校生で、部活はやってなくて、ちょっと寂しがり屋。
そして、甘いものが大好きなところ。
わたしは一旦スマホを消して、エプロンのポケットに入れる。冷蔵庫から牛乳を出して、マグカップにたっぷりと注ぐ。甘いものにはコーヒーだ紅茶だとときおり論戦が起こるけど、わたしは断然牛乳派。
作業台の下の引き出しからは、大きなフォークを取り出す。ナイフや取り皿は必要ない。
シンクや水切りかごに製菓道具を残していないことを確認し、右手にケーキ、左手にカップとフォークを持って、2階の自室へと向かう。ひじと肩でドアを開け、小さなテーブルにケーキとカップを置くと、ふぅーと長いため息が出た。
朝9時から立ちっぱなしで、休む間もなくケーキを作りつづけていた。昼食もまだだからお腹が空いている。エプロンをぬぎ捨て、倒れこむようにクッションに腰を落とす。
あれ、スマホ、と身体をぺたぺたと探り、エプロンのポケットに入れたのを思い出す。粉まみれのエプロンをたぐり寄せたら、くしゃみが出た。
まだ粉っぽいスマホを取り出してSNSを開くと、さとうさんからの返信が届いていた。
『でもほんとにさ、冗談抜きでミントちゃんのケーキ食べたい』
ミントとは、わたしのアカウント名だ。本名ではない。さとうさんのメッセージはつづいている。
『あたしさ、取りに行ける距離にいると思うんだよね
ミントちゃんの近くに住んでるかも』
さーっと顔が冷たくなる。血の気が引くってこういうことかと思った。
まさか、身バレした?
個人情報は漏らさないように徹底していたし、念には念を入れて学校のテストとか行事のこととか、生活圏内のお店や景色のこともつぶやかないように気をつけていたのに。
どう返信したらいいか考えるが、うまい言葉が浮かばない。頭に糖分が足りないからだ。
わたしはフォークを掴むと、無造作にケーキの角を崩し、口いっぱいにほおばった。ほどよい疲労に、生クリームの甘さが染み渡る。スポンジはしっとりふわふわ。県内産のいちごは、甘いクリームと甘いスポンジの中にいてなお、充分な甘みを感じる……って、味わってる場合じゃない!
我に返ると、さとうさんへの返信は真っ白のまま。可愛いと思っていた、謎の動物の口もとをドアップにしたさとうさんのアイコンが、恐ろしく思えてくる。
さとうさんからメッセージが来て、10分が経ってしまった。このまましらばっくれて無視しといて、そのうちブロックしちゃおうかな……そう思ってタイムラインに戻ってみると、ダイレクトメッセージが1通届いていた。
ひいぃ、絶対これさとうさんじゃん!
頭の中で想像していた、セーラー服を着た清廉な姿のさとうさんがゆがみ、おじさんの姿に変わってゆく。にたぁ、と笑う気持ち悪いおじさん。興味があるのはわたしが作るお菓子じゃなくて……やだやだ、考えたくない。
だけど、怖がってばかりもいられない。本当に個人情報が流出していたのだとしたら、どうにかしなければならない。意を決してメッセージボックスを開くと、さとうさんからのダイレクトメッセージの冒頭が表示されていた。
『ミントちゃん?驚かせちゃったかな?
ごめんね🙇♀️』
おじさんに固定されつつあった想像図が、少しだけ戻った。迷いを振り切り、メッセージをタップする。わたしの人差し指側には画面に触れた感覚もなかったくらい、弱々しいタップだった。
さとうさんのメッセージはこうつづいていた。
『ミントちゃん、前にりんごのコンポート作ってたの覚えてる?』
りんごのコンポート。もちろん覚えている。自分で作ったものはだいたい記憶にある。3ヶ月ほど前、ちょうどりんごが食べたくなってくる10月ごろに作ったのだった。
にしても、りんごのコンポートなんて地味なもの、さとうさんはよく覚えてたなぁ。派手なケーキならともかく。
『そのコンポートのツイート、覚えてる?』
覚えてる。少し苦い思い出だ。
わたしが好きなりんごの品種、
煮えて透明感の増したりんごの写真に、こんな言葉を添えた。
『りんごを買ったんだけどみそになってたからコンポートにしてみた🍎
これならおいしく食べれるー🤤』
このツイートには、わたし史上最多のコメントがついた。
『りんごを買ったのに味噌になってて完成形はりんごのコンポート……どゆこと?笑』
『りんご→味噌→りんごのコンポート
ミントさん錬金術師wwww』
『言うほどりんご持ち帰る間に味噌になったことあるか?🤔』
などなど。2桁を超えるコメントの大多数が、このような内容だった。訳がわからなかった。どうして「みそ」についてこんなにツッコまれないといけないのか。
ネットで調べてわかった。「みそ」は方言だったのだ。りんごが食べごろを過ぎてもそもそした食感になること。小さいころから疑問もなく使っていたから気づかなかった。
わたしは慌ててツイートを削除した。住んでいる県さえ特定されたくないのに、自ら大ヒントを出してしまうとは迂闊だった。幸い、『専門用語出ちゃったわー笑』とごまかしたら、それ以上突っかかってくる人はいなかったんだけど……。
『方言で特定したってわけ?』
諦めの境地で聞き返すと、さとうさんはすぐに返信を寄越した。
『違う違う!
いや、違くないけど!
あたしも「みそ」使うから知ってた!』
『まじ?』
『まじまじ!
だからその頃から近くに住んでるかもって思ってた』
さとうさんが急に近い存在になったような気がした。もはや画面を飛び出してとなりにいるかのような気分だ。
『ミントちゃん、福島でしょ?
それか山形!』
『さとうさんはどっちなの?』
『あたしはふぐすま~』
『なまりきっつ笑』
『んなことないよ!
県内でいちばんの都会っ子だからね!』
え、まじで?
つい、大きな声が出てしまった。
そんな偶然ある?
わたしは恐る恐る、自分の住んでいる街の名前を打ちこんだ。
『もしかして郡山?』
『え???
てことはミントちゃんも郡山??
やば笑』
いやいやいや、やば笑、じゃないよ。
りんごがみそだったから繋がる縁って何よ?
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