第三十二話

「悪りぃな、こんなもんまで買ってきてもらっちまって」

 青白い顔をした小柄な青年は、レオンが見繕った砂糖菓子をさっそく一つ頬張った。セロの部屋には数枚の着替えのシャツやズボンがところどころに放置され、些か散らかっている。椅子の背に引っかけられた、洗いたてのしけったズボンを別の椅子に移動させ、レオンはセロの傍に腰掛けた。

「何、これぐらいのことで元気になってくれるなら構わない」

 レオンはそう笑うと、ベッドに腰掛けたセロの額に手を当てる。セロはそれを「熱なんかねぇよ」と払い除けた。

「いつだったか、酷い怪我をしたときに熱を出したことがあっただろう」

「いつの話だ。っとに……今回はお前やアルヴァの方がひでぇ怪我だったんだろ? 俺のことなんか心配してる場合か」

 まぁ、あいつはケロっとしてそうだけどな。

 セロはそう言いながら、ベッドの上に胡坐を掻く。行儀が悪いのはいつものことだった。

「そういや、あの墓守はもう帰ったのか?」

 ふと、彼はヴァルシュのことを思い出し、レオンに尋ねる。長い水色の睫毛が、瞬きに合わせてやわやわと揺れた。

「天気が良ければ、明日帰るそうだ」

「じゃあ、見送りぐらいはしてやっかな」

 やれやれとため息をつきつつ、セロはさくさくと菓子を食べ進める。怪しい男ではあったが、何だかんだで世話になった相手だ。彼も一応、事件解決の糸口を掴んだことに関しては感謝していた。

 ふと、セロは旧友の顔を前に首を傾げる。彼には、鳶色の両目がいつになく柔らかい眼差しをしているように見えた。

「お前、なんか良いことでもあったのか」

「? どうしてだ」

「いや、なんか機嫌良さそうな顔してっからよ」

 何かあったのかと尋ねるセロに、レオンは「少しな」とだけ返す。えー、何だよと笑いつつ、その少しが何なのかセロは聞かないでおくことにした。

 不器用なくせに、こういうときはわかりやすいんだもんな。

 レオンが話す気になるまで放っておこうと、彼は砂糖菓子を咀嚼する。砂糖の強い甘みが、セロは大好きだった。


 長く降り積もった雪が溶けはじめ、雪割草が根雪の下から顔を出したころ。件の事件も片づいたグリニッジ公国は、以前の平穏を取り戻していた。見回りから戻ったセロとアルヴァは、遅めの昼食を作り始めている。そこに、見慣れた人物が合流した。

「魚を仕入れてきたのだが、一緒にどうだろうか」

「お前、本当それ好きだなぁ」

 レオンの問いかけに、セロは笑いながら卵を割っていく。彼の手際の良さに、アルヴァは傍でまごまごしていた。

 できあがった半熟オムレツの皿を、「先に食えよ」とセロは後輩に渡す。申し訳なさそうな、しかし嬉しげな様子で、アルヴァが食堂の席に着いた。

「しっかし、今年は面倒な年だったな。女装させられるわ、怪我はするわ……」

 野菜を炒めつつやれやれとため息をついたセロの様子に、隣で見ていたレオンが笑いを堪える。鼻の辺りで笑いを押し殺そうと努めていたが、それは難しかった。

「でも、とても似合っていましたよ。セロさんの衣装」

「よせよ、恥ずかしい。ああいうのは、モニレアやファルロッテが着た方がいいに決まってんだろ」

 向かいのアルヴァは少し残念がりつつ、セロに作ってもらった小さな半熟オムレツを頬張る。その様子を見たレオンは、「私にもあれを作ってくれないか」と頼んだ。

「残念だが、卵がもうねぇんだ。また今度作ってやるよ」

 今日は魚があるんだろ、と彼は味つけをしてさっと炒めた野菜を大皿に盛りつける。それと白身魚の干物をテーブルに置き、三人がテーブルに揃った。

「春になれば、お前ももう新米とは言えないな」

 最初のころと比べれば、アルヴァは随分良い騎士になった。

 ふとレオンの口からこぼれ出た言葉に、彼女は落ち着かない様子で目を伏せる。視線の先には、もうほんの少しになってしまったオムレツの黄色があった。

「そんな顔をするな。お前も、随分強くなっただろう」

 入隊直後、些細なことで泣いていた彼女を、レオンは思い出す。そのころの面影はまだ色濃くあるが、それでも格段に頼もしくなったと彼は感じていた。アルヴァが不安そうな顔をしたことに気づき、レオンは彼女と視線を合わせる。浅黒い眼差しが、黄色い両目と混ざった。

「そう、でしょうか……」

「俺としては、あの坊ちゃんをぶっ飛ばすぐらい強気になってほしいもんだけどな。でも、最初よりは成長してると思うぜ」

 自信なさげに俯いた赤毛の後輩に、セロはそういって笑う。アルヴァは依然、不安そうではあったものの、控えめに「頑張ります」とはにかんだ。ささやかな笑みをこぼしてくれるようになった、赤毛の大きな騎士。それがすぐ向かいにいることが、レオンにとっては温かな幸せだった。

 テーブルの下で、彼の足がついついとアルヴァの靴先をつつく。レオンと目を合わせ、アルヴァは黄昏の双眼を穏やかに細めた。


Fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グリニッジの夕暮れ 獅子狩 和音 @shishikariwaon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ