第三十話
それから数日、あれほど頻発していた糸吊りの死体との交戦はぱたりと止んだ。レオンやセロ、アルヴァはひとまず医務室を出ることを許されたが、しばらくは稽古や仕事を休むようにとラトニクスに釘を刺されている。左側に杖をつきつつ、レオンが訪れたのはヴァルシュが借りている部屋だった。
「あぁ、あんたか。脚は大丈夫なのか?」
彼に椅子に座るよう促し、ヴァルシュはベッドに腰かける。ヴァルシュの部屋には、彼の私物のほかに、前にはなかった白い壺のようなものが増えていた。
「その、白い壺はなんだ?」
「これか? 例の糸吊りの死体だ。まぁ多分大丈夫だろうとは思うんだが、念のため中庭で焼いておいた」
残ったのは骨だけだからな。これでうちの墓地に埋葬し直すさ。
濃い緑の髪に手櫛をかけ、ヴァルシュは「俺もそろそろ
「元はといえば、お前に斬りかかったような奴だぞ? わざわざ礼なんて言ってくれなくてもいい」
「いや、お前がいてくれて助かった。死体については、私たちは素人だからな」
あの死体は、なぜほかの死体を糸吊りの死体に?
ふと、疑問に思ったレオンが尋ねると、ヴァルシュは「そこんとこは、俺も仮説しか立てられないが」と息をつく。窓の隙間から、冷えた北風が流れ込んでカーテンを揺らした。
「多分だが、あの魔導師は死んじまう前に、自分に糸吊りの死体になる魔法をかけたんだろう。死にたくなかったのか、ほかに理由があったのかはわかりゃしねぇが」
糸吊りの死体は生前の心残りや習慣を引き継ぐことがあるのだと、ヴァルシュはため息をつく。「だからその恋人を探し回るようになっちまって、手当たり次第に墓を荒らしてたんじゃねぇか」と、彼は白い壺に目をやった。
まぁこいつも、偽物とはいえ目当ての奴に会えたんだから満足だろう。
「それにしても、あのちっこいのが女装とはな。それだけは、ちょいと見てみたかった気もするな」
頼んでみるか?と笑うレオンに、ヴァルシュもつられて笑った。
「お前、こんなところでウロウロしてていのか」
久々に目にした赤毛の後ろ姿に、オルトスはそう言葉を投げかけた。アルヴァがいたのは兵舎の廊下、二階の窓辺だ。ぼんやりと外を眺めていた彼女は、後ろからやってきた同期に首を傾げた。
「お仕事は良いのですか、オルトス」
「さっき終わったところだ。それより、怪我人はじっとしていないといけないんじゃないのか。腹を斬られたんだろう」
平然としている彼女を前に、オルトスは眉間に皺を寄せた。厚手のシャツに黒いズボンを穿いた彼女は、普段通りに見える。だが、彼女はレオンやセロと同様、怪我でしばらく療養するという知らせが入っていた。「どうしてご存じなのですか?」と首を捻ったアルヴァに、彼は大きなため息をつく。窓の外に、雪が積もっているのが見えた。
「お前らが戻ってきた次の日に、ほかの連中から聞いた」
腹を斬られておいて、ウロウロしている奴があるか。とんだ頑丈者だな。
オルトスが重ねてため息をつくと、彼女はすん、と眉尻を下げてしまう。じっとしていた方がいいのかと尋ねられ、オルトスは赤毛の同期を見上げた。
「……別に、お前が平気なら何でもいいが」
それより、レオンに会ったら「早く稽古の続きがしたい」と言っておいてくれ。
それだけ言うと、彼はアルヴァを置いて階段を下りて行ってしまう。取り残されたアルヴァは、部屋に戻るべきか否かについて頭を悩ませた。ややあって、彼女の脚は廊下の向こう、自室がある棟の方へと向かう。固い廊下に、アルヴァの足音だけがコツコツと響いた。
部屋で、じっとしていた方がいいのだろうか。
オルトスに言われたことを思い返しつつ、彼女はゆっくりと廊下を歩く。自室に辿り着くと、その扉の前に金髪の女性が佇んでいた。
「アルヴァ! 良かった、元気そうね」
抱きつかんばかりの勢いで詰め寄られ、アルヴァが黄色い両目をぱちくりとさせる。金髪をふわりと揺らしたのは、隣室のファルロッテだった。「体調を悪くしていたらどうしようって、心配したんだから」と彼女はアルヴァの手をそっと掴む。小さな両手が、小刻みに震えていた。
「ファルロッテ?」
アルヴァは彼女の顔をよく見ようとしたが、アルヴァから見えるのは彼女の金髪の頭だけだ。微かに聞こえた声に、そっと耳を澄ませる。潤んだ青い両目が、黄昏の瞳を見上げていた。
帰ってこなかったらどうしようって、ずっと心配だったの。
「医務室に行ってもラトニクスさんが会わせてくれないし、酷い怪我だったらどうしようって……」
ぎゅっ、と手を握ったファルロッテに、アルヴァは口を噤む。自分が医務室にいた間に、彼女がそんなに心配してくれていたとは思っていなかったのだ。ややあって、アルヴァは空いた方の手でそっと彼女の頭を撫でた。
「ご心配をおかけしました、もう大丈夫です」
「本当に? 無理しちゃ駄目だよ?」
ほんのりと赤らんだそばかすの頬に、ほろりと涙が伝う。そっと片腕に縋りついた小さな友人の背に、アルヴァは優しくもう片方の手を回した。
「――以上が、今回の件の報告になります」
数日ぶりに、レオンは団長室を訪れた。中央の椅子に鎮座する団長の後ろには大きな窓があり、冬の貴重な木漏れ日が眩しい。今日は珍しい晴れの日だった。
普段は座ることはない椅子に、レオンは腰掛けている。杖をついて入室した彼にと、団長が部屋の奥から持ってきてくれたものだ。木製の大きな机を挟んで、レオンは団長と同じ目線で座っていた。
「そうか。今回の件は、これにて解決と見て良いだろう。お前の脚が早く治ればいいが。セロたちの具合はどうだ」
「はい、セロの具合はあまりよくありませんが、二週間もすれば少しは良くなるかと。アルヴァに至っては、既に日常生活に支障がない範囲に回復していると聞きました」
団長はレオンの報告書に判を押すと、机の脇によける。随分丈夫な娘だな、と彼はレオンの前で朗らかに笑った。
アルヴァが他の者より丈夫なのは、奴隷として暮らした月日が原因なのだろうか。
ふと、レオンは彼女の経歴に思考を巡らせる。元々丈夫な方ではあるのだろうが、痛みに鈍く、更に驚異的な回復力をみせたアルヴァの丈夫さは異様だった。
「しかし、無事に解決したとはいえ、全員重傷というのはよろしくない。お前もまだまだ、至らぬ点があるということだ」
手短な叱責に、レオンは「申し訳ありません」と深く頭を下げる。夜間ということ、そして何より既に負傷者が多く出ていたため少数で作戦を決行したが、もっと人員を割いても良かったのかも知れないと彼は満月の夜を省みた。だが何が正解なのかは、実行してみなければわからないものだ。あの晩のもしもについて考えを巡らせるのは、ほどほどにした方がいいだろうと、彼は呼吸を整えた。
団長室を後にした彼は、階段を下り兵舎の端に向かう。長い廊下の突き当たりは医務室であり、レオンはそこの主に用があった。軋んですぐに大きな音を立ててしまう古いドアを、レオンはそっとノックして引き開ける。医務室の主は、奥の椅子に腰掛け綿球をこさえているところだった。
「あぁ、レオンか。脚が痛むのかい?」
「それもあるが、少し聞きたいことがあってな」
ラトニクスはピンセットで摘まんだ綿を、指先でくるくるとまるめていく。作業の手を止めないまま、彼はレオンを長椅子に座るよう促した。レオンが杖を置くと、ラトニクスは彼の顔色と脚部に視線を向ける。何か診察が始まりそうな気配を察知したレオンが、彼より先に口を開いた。
「仕事ではなく個人的な興味で聞くことなのだが……アルヴァの傷の治りは、随分早いんじゃないか」
「そうだね。治りの良くないセロと比べると特に。普通ならまだ縫った傷口が塞がり始めるぐらいだろうけど、アルヴァは殆ど傷口が塞がって治り始めているよ。お陰で糸を抜くのが大変だった」
白く丸められた綿の球体が、机の上に一つ、また一つと増えていく。それがきりの良い数になったところで、ラトニクスは戸棚の方へと向かった。レオンに背を向けたまま、何やら棚の中を漁っている。その背中に、レオンは質問を投げかけた。
「アルヴァのような丈夫さは、後天的に体得できるものだろうか」
もし可能なら、それは――。
レオンが言いかけた言葉は、行き場をなくして静かに落ちていく。振り返ったラトニクスは、折りたたまれたごく小さな紙袋を指先に摘まんでいた。
「さてね。僕は医者だけど、そこのところは専門外だ。気になるのかい?」
コップに水を注いで戻ってきたラトニクスは、レオンに先ほどの小さな紙袋を手渡す。それは白い粉薬で、痛み止めの作用があった。
「痛み止めだよ。苦いから気をつけて」
レオンがそれを飲み干すのを見届け、医務室の主は目を細める。静かな瞳が、レオンを前にふっとほほ笑んだ。
「苦いだろう、それ」
「……もう少し何とからないのか、この薬は」
飲み干した彼が表情を歪めたのを目にし、ラトニクスは愉快気に喉を鳴らす。粉薬を入れていた小さな紙袋が、かさりと長椅子の上に置かれた。
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