第二十九話

「怪我人が怪我人を抱えてくるなんて、無茶も程々にしないといけないよ」

「全員が怪我人だったからな、やむを得なかった」

 医務室の長椅子で脚を休めるレオンに、ラトニクスは「それを無茶っていうんだよ」と眉を吊り上げる。二人の意向で、青白い顔をしたセロが真っ先に治療台に横たえられた。セロの手当てを見守りつつ、レオンは傍らに座るアルヴァを見つめる。ブラウスの腹部は真っ赤に染まっており、上から押さえているタオルもじんわりと汚れ始めていた。鼻につく生臭さと鉄錆を混ぜたような臭いに、レオンの意識がぐらぐらと揺さぶられる。ぼんやりとしていたアルヴァの肩が、こつりとレオンの肩に当たり、そのままもたれかかってきた。

「アルヴァ?」

 項垂れた赤毛の頭を伺うと、彼女は椅子に座ったまま気を失っていた。レオンははっとして、彼女の首筋に触れる。僅かに感じ取れる脈拍が、レオンにはありがたかった。

 真っ赤な赤毛に彩られた、白磁の頬。

 微かに聞こえてくる吐息に、レオンは耳を澄ませる。脚は相変わらず痛みを訴えていたが、彼はもうしばらくこのままでいたいような気がしていた。触れ合った肩から伝わる体温が心地よく、レオンの瞼が重たくなってくる。ゆっくりとした瞬きを繰り返しながら、彼はアルヴァの横顔を眺めていた。長く揃った赤い睫毛と、少し腫れぼったい瞼。血の気が引いた傍らの部下。

 アルヴァは、私のことをどう思っているのだろうか。少しは、良い上司だと思ってくれているのだろうか。それとも……。

 ぐずぐすと泣いてばかりの、けれども強い意志とひた向きさを持った部下に思いを馳せる。セロの左腕に巻かれていく包帯の白が、やがて暗くなり彼の目に映らなくなっていった。


 レオン隊長?

 ふと、名前を呼ばれたような気がして、彼は目を開ける。見慣れない天井とベッドに違和感を覚え、レオンは起き上がりかける。そこで、右脚に鈍い痛みが走った。

 っ……そうか、私は昨日……。

 痛みから再びベッドに沈んだ彼は、そこが医務室のベッドであると気づき、頭を動かす。小ぢんまりとした医務室の個室には、ベッドのほかには空っぽの小棚しかなく、周りを見てもあるのは壁だけだ。

 セロとアルヴァは、無事だろうか。

 昨晩無事に医務室まで辿り着いたとはいえ、その後どうなったかをレオンは知らない。右脚を庇いつつそっと上体を起こしたところで、彼は急な眩暈とともにベッドから転げ落ちた。幸い右脚を床にぶつけることはなかったが、上手く動けない。彼がそのまま動けずにいると、個室のドアが開けられた。

「こらこら、何してるんだい? 目が覚めたからって、いきなり動いたら駄目だよ。血液が不足しているだろうからね」

「すまない、ラトニクス。セロとアルヴァは無事だろうか」

 医務室の主に支えられ、レオンは再び柔らかな白い床に横たわる。彼に布団をかけ直しつつ、ラトニクスは「大丈夫だよ」と答えた。

「安静にしている必要はあるけれど、命に別状はないよ。今の君と同じさ」

「そうか。それは、何よりだ」

 次いでレオンが昨日の出来事について尋ねると、糸吊りの死体とレオンの剣は回収され、死体はヴァルシュが再び動き出さないか様子を伺っているところだという。薬品のにおいを纏った彼は、レオンの藍色の髪に手を伸ばした。

「とにかく、今はしっかり休みなよ。後で昼食を持ってきてあげるから」

 レオンの長い髪を、ラトニクスは手櫛でそっと整える。彼が出ていこうとしたちょうどそのとき、再び個室のドアが開かれた。

 肩につきそうな赤毛に、黄色い眼差し。丈の短い白いワンピース。

 あっ、と短い声をもらした患者を前に、ラトニクスは驚いて数秒固まった。女性患者用に支給されている白いワンピースは、アルヴァの膝小僧を隠せておらず、引き締まった白い足を惜しげもなく晒している。裸足にワンピース姿の彼女は、普段の姿より幾分幼く見えた。

「えっと、その……おはよう、ございます」

「あぁ、具合はどうだ。アルヴァ」

「……いや、ちょっと待って。普通に起きてきちゃ駄目だよ、アルヴァ。君は特に出血が酷かったんだから、部屋で寝てなさい」

 ほらほらとせかす様に彼女を部屋から押し戻すラトニクスに、アルヴァはちょっとだけ待ってほしいと切実に言葉を重ねる。「少しだけだよ」とため息をついた医務室の主に礼を言うと、彼女はレオンの枕元にすっとしゃがみ込んだ。

 ごめんなさい、昨日は我儘を言ってしまって。

 すん、と眉尻を下げて告げられた言葉に、レオンは閉口する。彼女は、わざわざそれを言うためにベッドから抜け出してきたのだ。しょんぼりとした様子の目尻に、レオンはすっと手を伸ばす。その手はアルヴァの頬に触れ、繰り返し潰れた手豆の痕が彼女の頬にこそばゆく引っかかった。

「私の方こそすまなかった。あのとき、お前がいてくれなければ、セロを連れて帰ることはできなかっただろう」

 だから、謝らないでくれ。

 次いでよしよしと頭を撫でられ、アルヴァがきゅっ、と目を瞑る。その手が離れると、ラトニクスが彼女を元の部屋へと連れ去ってしまった。一人残された彼は、手持ち無沙汰になった手を握る。少し冷えてきた褐色の指先に、赤い髪が一本残っていた。


「で、あんたはいつになったらあの子にちゃんと話をするのよ」

「それは、その……いつと言われましても……」

 ベッドの上で昼食を取っていたレオンの元に姿を見せたのは、小隊長のモニレアだった。別の部屋から拝借してきた椅子に腰かける彼女は、レオンの昼食についていたさくらんぼを摘まんで食べてしまう。さくらんぼのヘタと種だけを返却し、モニレアはすん、と鼻を鳴らした。

「今回の件、ようやく一段落したんでしょ? あんたたち三人はしばらく療養しなきゃならないだろうし、復帰する前にケリつけちゃいなさいよ」

「……まだ、そこまで言える勇気がないのですが」

「アルヴァが入隊してきて、もうすぐ一年経つっていうのに……そんなことだと、いつ進展があるかわかったもんじゃないわ」

 取られちゃうんじゃないかって、気が気じゃないわよ。と言いつつ、モニレアは息を吐く。パンを咀嚼していたレオンは、落ち着かない様子でモニレアの様子を伺った。

「アルヴァは……私のことを苦手だと、思うのですが」

 私は、いつも彼女を泣かせてしまう。昨日は、守ってやることもできなかった。

 レオンの視線が、まだ手をつけていない昼食に落ちる。胃の上あたりに刺さるような痛みを覚え、彼はぐっと唇を噛んだ。

「考えすぎよ、大丈夫。あの子を泣かしてるの、レオンだけじゃないんだから」

 モニレアは柔らかく微笑むと、暗い表情をしたレオンの顔を覗き込む。鳶色の双眼が傷ついているのを、彼女は見ないふりをした。

「それにしても、今日は冷えるわね。脚、響いたりしない?」

「……多少は痛みますが、そこまでではないです」

 雑談と昨日の後処理の話をし、モニレアは立ち上がる。個室を出て行きざまに、彼女はふとレオンの方を振り返った。

 一応、健闘を祈っておくわ。

 ぱたりと閉められたドアを、レオンはじっと見つめる。思い出されるのは、先ほど訪れた赤い黄昏のことだった。

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