第二十七話

 満月の夜、作戦は決行された。

「気をつけてね、アルヴァ。隊長たちと一緒に、ちゃんと帰ってきてくれなきゃ駄目だよ」

 兵舎の入り口で彼らを見送るファルロッテは、不安げな様子で友人を見上げていた。今夜の任務実行については、他の者には知らされていない。だが彼女はセロの衣装を選び、先ほど化粧まで担当した新米だった。「頑張ってきます」とはにかんだアルヴァの表情に、ファルロッテは未だ眉尻を下げたままだ。名残惜しそうなファルロッテを兵舎の入り口に残し、アルヴァはレオンとセロと共に人気のない夜中の街に足音を響かせる。一行を見送ったファルロッテが、静かに兵舎の中に戻っていった。

「しかし冷えるな、こんな格好でよく年中いられるもんだ。踊り子ってのは」

「まぁ、彼女たちがその格好をしているのは舞台の上だけだからな。こんな風にその格好で街を出歩くわけではないだろう」

 しゃらしゃらと可憐な音を立てる足音を先頭に、二人の騎士がすぐ後ろをついて行く。セロが持ったカンテラの灯りが、歩く度不安定に揺れた。夜風の冷たさに、セロが首を縮込ませる。人通りのない道を歩いていると、細い路地の影が濃い暗闇となって揺らめく。カンテラの灯りを見るように意識しつつ、レオンはそれらの暗闇から目を逸らした。

 多少マシになったとはいえ、やはり暗がりは好きになれない。

 レオンはぐっと背筋を伸ばし、首を横に振る。少し開けた通りに出ると、アルヴァがはっと息を飲む音が空気に溶けた。

 大通りの中程に、黒く蠢く影が見える。

 その塊は低く風が吹きすさぶときのような音を発しながら、よたよたとこちらに向かって進んでくる。しかしその歩みは右へ左へと迷いがちで、レオンたちが見えているわけではない。セロが足首の鈴を鳴らすと、その塊は音に反応して大きく口を開ける。音に引き寄せられてくるそれは、まさしく三人が倒すべきものだった。

 裾が傷みきった魔導衣に、腐り落ちた生肉のような異臭。溶けた鷲鼻の死体。

「おぉ……ソ……ぁ……」

「おっ、この音に聞き覚えがあるんだな。お前のソフィレアじゃなくて悪りぃが、大人しく墓場に帰ってもらうぜ」

 すがりつかんばかりにセロへと詰め寄った糸吊りの死体を、レオンの剣が薙ぎにかかる。次の瞬間、死体はうなり声と共に炎を吐き出した。

「レオン隊長ッ!」

 咄嗟に下がったおかげで何とか燃えずに済んだ彼は、さっとセロを後ろに庇う。死体が求めているのは、踊り子の姿をしたセロだ。武器を何一つ持っていない彼を後ろに庇い、レオンは糸吊りの死体に斬りかかった。死体は剣を右腕で受け止め、思い切り彼を振り払う。

「ぉ……オォ!」

 掲げた腕には指が二本しかなく、そこにほの明るい光が集中する。死体がそれを解き放とうとした刹那、アルヴァの蹴りが死体の肩を強打した。体勢が崩れ、集まった光は薄れて霧散する。セロの元に向かわんとするそれを、レオンが再び斬りつけた。

「っ、セロ、もう少し離れてくれ!」

「悪りぃ、怪我すんなよ!」

 切りつけた死体の腹部はぱっくりと裂けたが、そこから血が流れる様子はない。何事もなかったかのように向かってくる死体は、レオンの剣を掴むとそのまま力任せにひったくった。剣を投げ捨てると同時に、死体は再びぶつぶつと何かを唸り始める。刹那、強風が吹き荒れ、彼の脚を切り裂いた。その風は側にいたアルヴァの胴にも鋭い切り傷をもたらし、両者の動きを止めてしまう。レオンが顔を上げると、死体の姿はどこにもなかった。

 思ったより、深く斬られたな……っ……。

 右脚の傷がぐっと熱を持ち、痛みに顔をしかめる。彼は傷口を手で押さえたが、そんなことで出血が治まるはずもなかった。傷を放置し、よろけつつ剣を回収しに向かう。そのとき、後ろから緊迫した声が聞こえた。

「隊長、セロさんがいません!」

 レオンははっとして後ろを振り返ったが、そこにセロの姿はない。あるのは、地面に置かれたカンテラと、セロの足首についていた鈴だけだった。

「連れて行かれたか……!」

 ぐっと眉間に皺を刻み、彼はカンテラを手に取る。そして、その灯りで駆け寄ってきた部下を照らした。

 赤く染まった脇腹、濡れそぼったブラウスの裂け目。

 アルヴァは平然としていたものの、傷口からの出血が酷い。レオンが何か言うより先に、彼女はレオンの足下を注視した。

「脚の方は大丈夫ですか、隊長」

「っ……大丈夫とは言い難いが、お前の方が重傷だろう。お前は兵舎に戻れ。セロは私が連れ戻す」

 負傷した部下を、これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない。

 レオンは彼女が兵舎に向かうのを見届けようとしたが、アルヴァは動かない。視線が交わると、彼女は静かに首を振った。

「負傷が理由なら、隊長も同じはずです。どうか連れて行ってください」

「……今の状況では、お前がいると足手まといになる。わかったら、早く兵舎に戻れ!」

 語調を強めると、彼女はぴゅっ、と小さな悲鳴を上げ、身をすくませる。潤んだ眼差しが、カンテラの光を反射した。レオンの鋭い双眼が、背の高い部下を見上げる。ほろほろと滴をこぼす彼女から、レオンは目を背けた。灯りを持つ彼の手が微かに震え、炎が揺らめいた。

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