第二十四話

 夕方の商店街には、食材を買い求める女性や飲みに出かける若者が多い。人通りの多い大通りを抜け、レオンが辿り着いたのは一軒の酒場だった。扉を開けると同時に、カラコロと扉に着いたベルが軽快な音を立てる。カウンターでグラスを磨いていた店主が、レオンの姿を見て瞬きをした。

「おや、珍しいお客さんが来たもんだ。久しぶりじゃないか」

 ご無沙汰しております。とレオンが答えると、店主は「お前さんはいつだってご無沙汰じゃないか」と目尻に皺を作る。まだ時間が早いためか、店内にはほかの客は見当たらなかった。カウンター席に腰を下ろしたレオンは、ひとまず飲み物を頼む。酒のボトルを開けつつ、店主はレオンの方を振り返った。

「で、今日は何の用事だ? お前さんが一人で来るってことは、何か聞きたいことがあるんだろう?」

 温い麦酒を差し出し、店主は息をつく。レオンが件の魔導師について尋ねると、店主は戸棚からハムの原木を引っ張り出してきた。

「あぁ、レイモンドのことだろう? なかなか良い若造だったのに、残念だったなぁ」

「彼はこの店に来たことがあったのですか」

「おぅ、お前さんよりかはよく来ていたな。何でも旅の一座に恋人がいるとかで、夏のころにしか会えないのを寂しがっていたっけな」

 店主は切り落としたハムを皿に盛り、レオンの前に差し出す。ちびちびと喉を潤す彼の様子に、店主は「もっと景気よく飲んだらどうだい」と笑った。

「あいつは若かったが、なかなか腕の良い魔導師らしくてな。ここに来ていたときでも、度々色んな奴に相談事を持ち掛けられていたよ」

 ハムを咀嚼しつつ、レオンは店主の言葉に耳を傾ける。生前の話を聞くに、レイモンドという魔導師が他人を呪うようなことをするとは考え難かった。そもそも何故、彼は糸吊りの死体になったのか。思考を巡らせては見たものの、レオンには良い仮説が浮かばなかった。

「ところで、お前さんはどうなんだ。良い人はいないのかい?」

 店主の質問を曖昧なままかわし、彼は麦酒を飲み干した。支払いを済ませた彼に、店主は「また仕事以外でも飲みに来てくれよ」と声を投げかける。外に出ると、既に空は濃く青みがかり、星が瞬いていた。


「レオン隊長、それは所謂声援の手紙ファンレターというものでは」

 聞き込みの末行きついたのは、ソフィレアという踊り子の存在だった。団員の一人が言うには、国から国へと芸を披露しながら回っている一座の踊り子に、ソフィレアという女性がいるという。その手のものが好きな人なら皆知っているというその踊り子は、ここ数年、毎年春から夏のころにこの公国に来ていた。

「まだ年若い小柄な娘なんですけど、踊りの技術はたいしたもので。毎年成長を楽しみに見に行ってるんですよ」

 食堂で話をしてくれた団員も、彼女の踊りに魅了された一人だった。葡萄酒を飲みつつ、その団員は「この封筒の持ち主は、恐らくソフィレアが公国を出てしまう前に手紙を渡したかったのでは」と推測する。確かに、書かれている一文からもその説は可能性が高い。先ほどの店主の話からして、この踊り子が魔導師の恋人とみて間違いないだろうと、レオンは考えた。

「ちょうど背丈はセロぐらいだったかな。ちっちゃくて可愛い子なんです。足首に鈴をつけていて、髪は銀に近い青色で――」

 少し酔った様子の団員が、踊り子について語り出す。その話を一緒に聞いていたセロは不服そうな顔をしており、レオンは平常を装って話を聞いていた。

「ったく……遠回しに俺がちいせぇって言われてるのが何か腹立つな」

「別に、それは悪いことではないだろう。それにしても、踊り子か……」

 話を聞き終えた二人は、厨房の方に向かい夕食を作る。毎回、主になって作るのはセロの方だ。ジャガイモの皮を剥いていたレオンは、ふと食堂に入ってくる赤毛の頭を見つけた。声をかけると、彼女はちょこちょこと小走りで二人の元にやってくる。アルヴァは片手にパンの詰まった小さめの籠を持っていた。

「夕食は、それだけなのか?」

「はい。作るのはあまり得意ではないので……」

「そんならついでに食ってけよ。代わりに、ちょっとパンをくれりゃあ助かるんだが」

 レオン、芋もう一個追加な。

 食材の追加を指示し、セロは鍋に水を入れる。薪に火種を投げ込むと、ぱちぱちと乾いた木が弾ける音が聞こえ始めた。レオンが皮剥きを終えると、彼はジャガイモを鍋に入れて茹で、次いで小さなニンジンを細切りにする。茹でたジャガイモでセロが作ったのは、材料の少ないポテトサラダだった。そこから更に短冊切りのニンジンのバター焼きをこさえ、食堂の平皿に乗せる。作業を殆ど手伝えなかったアルヴァは、隅の椅子でそわそわとしていた。

「ほい、出来たぞ。熱いうちに食うといい」

「ありがとうございます、セロさんはお料理が上手なのですね」

「よせよ、褒めてもなんも出ねぇぞ」

 頬に気恥ずかしさを浮かべた彼は、努めて澄ました顔をしようと努力していた。アルヴァの向かいにセロとレオンが座り、食事を取り始める。話が先ほどの踊り子の話になると、アルヴァが「あっ」と短い声を漏らした。

「どうした、何か関係あることを思い出したのか?」

「いいえ、その……セロさんがソフィレアさんの格好をすれば、糸吊りの死体をおびき出せるんじゃないかと、思って」

 刹那、レオンが食べかけのパンを喉に詰まらせ、胸板を拳で叩いた。噎せこんだレオンが息を整えると、アルヴァは「すいません」と眉尻を下げる。セロは半ば呆れた眼差しをレオンに向け、次いで正面にいる後輩を見上げた。

「お前な、俺が女装してどうすんだ。似てんのは背丈と……まぁ、髪の色が多少似てるぐらいなんだぞ?」

「それはそうなのですが、相手は既に屍です。そこまで鮮明な判別はできないと、前に書物で読みました。それに、セロさんの顔立ちならうまくいくのではと……」

 セロの顔立ちは言動とは違い端正で、肢体も骨ばってはいるがほっそりとしており線が細い。さらりとした短い空色の髪をもう少し丁寧に整えれば、若い娘のようにすることは難しくないとアルヴァは思っていた。

「……個人的に気にはなるが、それは最終手段にしよう」

 未だ笑いを噛み殺しきれていないレオンを、セロは明るい双眼できっと睨みつける。レオンは彼に謝りつつ、「ヴァルシュに、糸吊りの死体の視野について確認してみるか」と言って彼をより怒らせた。

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