第二十二話

「何か御用でしたか、モニレア隊長」

「えぇ、大した用事じゃないんだけど。書類をいくつか持ってきたの」

 レオンが書類を受け取ると、モニレアはじっと彼の顔を見つめる。真っすぐな眼差しに射抜かれ、彼は落ち着かない様子で書類を机に置いた。

「何か、ほかに用事が……?」

「あの子と、何か進展はあったのかしらと思って」

「その……あの子、というのは「もう、アルヴァに決まっているでしょ? とぼけないの」」

 モニレアがふっと笑うと、レオンは戸惑った面持ちで視線を泳がせる。レオンの脳裏に浮かんだのは、先日市場でうさぎの置物を手にしていたアルヴァの黄色い眼差しだった。

 ――、そんなに、色々見ても良いのですか?

 初々しい様子で市場を眺めていたアルヴァは、幼い少女のようだった。その幼さの裏にあるものを思い出し、レオンの表情が少し強張る。モニレアの視線に気づき、彼は息をついた。

「……そんな目で見られても、別に何もありません」

「そんなことじゃ、いつまで経ってもアルヴァと仲良くなれないわよ」

 モニレアが大きなため息をつき、肩にかかった髪を払いのける。次いで、彼女はレオンに詰め寄った。

「あの子のこと、気に入ってるんでしょ? どうしてもっと積極的にいかないの」

「それは、その……」

 レオンが明後日の方向に視線を逸らすと、モニレアは眉間に皺を寄せる。浮かない表情になった褐色の騎士に、彼女は凛とした声でこう言った。

 そんな臆病になってどうするの、剣の稽古だったら叱られるわよ。

 頑張りなさいよ。という言葉を残し、彼女は小隊長室を出て行く。レオンはしばらく、椅子に座ることもなく一人立ちつくしていた。


「少し、体重が減っているね。ちゃんと食べているかい?」

 脇腹に手をあてがう医務室の主に、セロは「ちゃんと食ってるぞ」と面倒くさそうに答えた。彼は上半身をさらけ出した状態で、ズボンだけの姿のまま長椅子に腰掛けている。骨が浮いた脇腹が、呼吸に合わせて上下した。

「っとに、毎月毎月面倒な検査だな。そんなにこまめにやらなくてもいいだろ? ラトは心配性だな」

「駄目だよ。前よりましになったとはいっても、君はまだまだ重量不足だ。もっと体重を増やしてくれないと」

 焦げ茶色の古傷が走る薄い胸板と、骨ばった華奢な腕。

 彼の体つきは細く頼りなげで、服を着ているときよりずっと小さく見える。ラト、と呼ばれた医者が背中を触っていたそのとき、医務室のドアがコツコツと音を立てた。医務室の主が返事をすると、大きな箱を抱えた赤毛の新米が室内にそっと入ってきた。

「ラトニクスさん、備品の補充を持って参りました」

 どこへ置けばいいでしょう。と箱越しに尋ねる彼女を、ラトニクスは奥の部屋に案内する。包帯や綿、薬が入った箱を手放したアルヴァは、ふと長椅子に腰掛けるセロに気がついた。セロに見上げられ、彼女の束ねられた赤毛がさわさわと揺れる。徐々に伸びてきた赤毛は、彼女の項に小さな影を落としていた。

「どこか、お怪我でもされたのですか?」

「いや、怪我はしてねぇ。ラトに呼ばれて来てるだけだ。心配ねぇよ」

 軽い調子で笑ったセロの様子に、アルヴァもつられて安堵の笑みを浮かべる。長閑な様子に流されそうになった医務室の主は、軽く咳払いをした。

「心配ないとは言い難いんじゃないかな。アルヴァ、君から見て彼は健康かい?」

 医者からの問いかけに、彼女は細っこいセロの体に視線を滑らせる。全体から細部へと移った視線は、つ、と彼の胸の傷で止まった。色褪せた古傷は、古地図を走る川のようだ。痛かったのではと細められた両目は、棘の刺さった手のひらを庇うときのような、破れた布を繕うときに似ていた。

「セロさんは、もう少しご飯をたくさん食べられた方が良いのではないでしょうか」

「ほら、やっぱり。もう少しちゃんと食べなよ。怪我をしたときの傷の治りだって、あまり良くないんだから」

 ちぇ、と息を吐いた彼は「まぁ程々に食うさ」と諦めの声を漏らす。ごそごそとシャツを羽織りながら、セロは大きくあくびをした。白いシャツにしまわれていく、平たく薄い胴体。それが半分ほど隠れた辺りで、彼はふとアルヴァに声をかけた。

「なぁ、これから一緒に飯食わねぇか? 一人で飯ってのも作り甲斐がねぇんだよな」

 お前には、でかいオムレツを作ってやっからさ。

 セロの言葉に、アルヴァの瞳がぱちぱちと瞬く。その瞳は割ったばかりの新鮮な黄身の色だ。レオンも誘っていこうという提案に、彼女はさくさくと頷いた。シャツのボタンを閉じながら繰り広げられる、夕ご飯の話。それを小耳に挟みつつ、ラトニクスはまだ遠い春の日差しを思い起こしていた。

「ラトニクス、すまないが怪我人を看てくれないか」

 急に開いた医務室のドアを、三人が振り返る。レオンに支えられて入ってきたのは、片足を負傷した中堅の騎士だった。空いた長椅子に座った男の脚は出血が治まっておらず、ズボンの裾を暗く染めている。ラトニクスが裾を裂くと、鋭利なもので斬られた傷口がぱっくりと開いていた。

「結構深い傷だね。アルヴァ、そこの棚から包帯を取ってくれるかい?」

 傷口を濡らしたタオルで拭き、止血のために強く圧迫する。ラトニクスが処置をしている間に、アルヴァが棚から包帯をおろしてきた。治療を受けている男はレオンの方を向くと、眉間にくっと皺を寄せた。

「……申し訳ありません、レオン隊長。この脚でなければ全力で捜索に向かうのですが」

「いや、その脚でよく戻ってきてくれた。捜索に向かった者たちが、発見してくれるといいのだが」

 二人のやりとりに、アルヴァとセロが顔を見合わせる。セロに「何かあったのか」と尋ねられ、怪我人は口を開いた。

「街を巡回中に、妙な糸吊りの死体が出たんだ。魔導衣ローブを纏っていたから、多分元々は魔導師だったんじゃないかと思うんだが……」

「そいつに脚をやられたのか。で、その分だと、倒しきれずに逃げられたんだな?」

「あの死体、生きてたころの魔法を使えるみたいでな。唸り声と同時に突風が吹き込んできて、その隙に逃げられたんだ」

 俯いた男の言葉に、セロは首を捻った。糸吊りとなった、魔導師の死体。魔法を使ってくるとなると、普通の糸吊りの死体とは訳が違う。やっかいなのが出てきたもんだと息を吐いたセロは、脚に包帯を巻かれている男に再度言葉を投げかけた。

「その死体、他になんか妙なところはなかったか? もしかすると、最近うじゃうじゃわいてる糸吊りの死体どもと関係あるかも知れねぇ」

 魔法を使う以外は何も……と言い掛け、男はふと言葉を止める。ややあって、彼はぽつりとこう言った。

「そういえば、あの死体……何か人の名前を叫んでいたみたいだったな。確か、ソフィ……ソフィ何とかって言ってたと思うんだが」

 ソフィ、という響きはこの国の場合、女性の名前に多い。恋人や娘の名前だろうかと、レオンが呟く。しかしその答えは誰にもわからなかった。


「魔導師の遺体……?」

「あぁ。冬の終わり頃だったか、魔導師の遺体が墓地うちに運ばれてきたことがあったんだ。そのときに一緒に埋めた杖と、これがよく似てる気がするんだよな」

 だからちょっと確かめてくる。

 馬を借りて良いかと尋ねるヴァルシュに、レオンは自分も行くと言いかけた。だが、山積みになった書類のことを思い出し、言葉を引っ込める。そして代わりに、別の言葉を口にした。

「護衛は不要かも知れないが、うちの隊の者を一人連れて行ってくれ。ここのところ、あちこちに死体が出るからな」

「お前のところの騎士というと、あの赤いのか?」

 ヴァルシュがひび割れた杖を掲げ、あの背が高くて顔が良い奴。と言葉をつけ足す。その言葉に、レオンは泣いていないときのアルヴァの顔を思い出そうとした。

 黄昏色の両目に、赤い髪の部下。

 彼の脳裏に浮かんでくるのは瞼を腫らした彼女の顔ばかりで、平常の腫れていない瞼のアルヴァを思い出すことはできない。ヴァルシュに覗き込まれ、レオンは慌てて言葉を紡いだ。

「赤いのがいいのか?」

「いいってわけじゃねぇけど。俺はあんたの部下を二人しか知らないからな。あの青いちっこいのだけは勘弁してくれよ。飯の恨みがあるからな」

 でも、赤いのは確かに良いな。おっかねぇが、見ればなかなか目の綺麗な別嬪だった。

 護衛を顔で選んでどうする。と思わず言いかけたレオンは、代わりに大きなため息をついた。冗談だと笑ったヴァルシュは、部屋のベッドに杖を置いて椅子に座り直す。そして机につつ、と指先を走らせた。

「心配しなくても、取ったりしねぇよ。まぁ、あの赤いのは取られるような奴でもないか」

「……それは、どういう意味だ」

 どういう意味だろうな。と目を細めた墓守は、明日の朝墓地に向かうとレオンに告げる。窓の外には、細かな雪が降っていた。

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