第十八話

 肌寒い空気がピンと張る朝、翡翠の目をした青年は稽古の相手をやすやすと弾き飛ばした。軽く息をついたオルトスは、相手を見もせずに木剣を地面に突き刺す。新米たちが入隊してもうじき一年が経とうとしているが、未だオルトスの実力に食らいつける者は出ていない。同期との稽古で連勝を重ねた彼は、稽古を見守っているレオンに視線を向けた。

「そろそろ、あんたと手合わせがしたいんだが」

 冷め切った様子の双眼が、レオンに注視する。彼の相貌は入ってきたときから変わらない。横柄で澄ました顔をする、整った顔の騎士だった。レオンとしてはもう少し、他人に気を使えるようになってくれることを期待している。鼻筋の通った顔がじっと見上げてくるのを、レオンは無碍にはできなかった。

「お前がそうしたいというならそうしよう。ただし、朝の稽古が終わってからだ」

 その答えに満足したオルトスは、「わかった」とだけ返事をし、後ろで待っていたファルロッテに木剣を手渡す。深く呼吸をすれば、澄んだ冬の空気がレオンの肺の奥にまで行き渡った。

 稽古を終えた後、他の者たちはみなそれぞれの分担の仕事を片づけに向かう。ばらばらと人が減った後、その場に残ったのはオルトスとレオン、そしてアルヴァの三人だった。

「何でお前がいる」

「見ていては、いけませんか?」

 上手い人を見て勉強をするのは良いことだと、隊長もおっしゃいましたから。見学させてください。

 邪魔をせずに見ているだけだと言うアルヴァに、オルトスは「それならいい」と余所を向いた。厚い雲が覆う曇天に、ちらちらとかすかな雪が舞う。アルヴァが少し離れたのを見届け、レオンは落ちていた木剣を拾い上げた。

「それでは始めよう、お前から来るといい」

 彼がそう言った次の瞬間、オルトスは迷うことなくレオンの胴めがけて剣を振るう。レオンは少し下がりつつ、それを剣身で受け流した。彼の勢いは失われず矢継ぎ早に攻撃を重ねるが、それらはすべて受け流されてしまう。息を乱したオルトスから少し離れると、レオンは冷たい空気を吸い込んだ。

「お前の剣の冴えは確かに良い。だが実戦となれば、もっと逼迫した勢いが必要になるぞ」

 彼の身のこなしや剣の振り方には、無駄な動きがほとんどない。それは長年の鍛錬の賜であり、数年で手に入るものではなかった。だがそこに足りない要素があることを、レオンは知っている。それは剣の腕というよりは、経験に近いものだ。

 やや精彩さを欠いた一振りを、レオンの右腕が打ち据える。オルトスが体勢を整えるより早く、彼は右肩でもって部下を強く突き飛ばす。背中から地面に落ちたオルトスの手から、からりと木剣が離れた。レオンは地面に転がった部下が立ち上がるのを待ったが、オルトスが再び立ち上がる様子はない。

「どうした、オルトス。どこかぶつけたか?」

 木剣を一旦手放し、レオンは倒れた部下に駆け寄る。様子を見ていたアルヴァもそっと彼に駆け寄り、背中に手を回して慎重に抱き起こした。

「気を失っているようです、隊長」

「ふむ、当たりどころが良くなかったか……」

 それにしても、これだけで気を失ってしまうのか。アルヴァと同じようにしたのがまずかったか。

 稽古の際、散々突き飛ばしたり蹴り飛ばしたりしてきたアルヴァが気絶したことは、今のところない。転んで擦り傷や打ち身こそ作るが、それだけだ。だが他の部下にも同じようにしてはいけないのかもしれないと、レオンは思考を巡らせる。アルヴァが抱え起こした青年が目を覚ます様子はなかった。

「医務室に運びましょうか?」

「そう、だな……お前に任せても構わないか?」

「はい、隊長は剣の方をお願いいたします」

 アルヴァがひょいとオルトスを抱き抱え、医務室の方に向かっていく。抱き抱えられた当人が目を覚まさないことが幸いだった。オルトスが知れば、余計なことはするなと嫌がることは想像に難くないと、レオンは息を吐く。

 あんなに軽々と持ち上げられるということは、オルトスが華奢なのだろうか。それともアルヴァの膂力が強いのだろうか。

 そんなことを思いつつ、レオンは木剣を倉庫へ戻しに向かった。


 冬場にはありがたい日差しが、住宅街の小道を明るく照らしている。人通りがないその道は、平穏な午後の街並みだった。物陰から現れた土塊色の女を除けば。

 奇声と共に飛びかかってきた糸吊りの死体を、レオンは長剣で押し返す。転びかけた女はぐっと上体を持ち直し、赤や金で装飾された爪を振りかざして接近してくる。勢いよく突進してきたそれをさっと交わし、彼は素早く女の脚を蹴り飛ばした。

 糸吊りの死体が思い切り転倒した瞬間、起き上がりかけたそれの上に、物陰から飛び出した小柄な男がさっと飛び乗る。セロが暴れる死体の腕を無理矢理縄で縛り上げたところで、レオンは息をついて剣を鞘に納めた。

「っとに、おとなしくしろよ……! 爪が尖って危ねぇんだから」

 噛みつこうとしてくるそれをかわし、セロは糸吊りの死体の胴を縄で縛りつける。そして、走って逃げないようにと、脚にもゆとりをもたせた縄を結わえた。

「で、こいつ本当に持って帰んのかよ」

「これを牢屋にいる男に調べさせようと思っている。男の話が本当なら、彼は協力者になってくれるかもしれない」

 自らを墓守と名乗った男のことを、レオンは信用している。牢屋で聞いた話が嘘だとは、彼には考えがたかった。モニレア小隊長の部下が確認してくれている、墓守の家のことがわかればなおいいだろうと、レオンはあの深緑の髪をした男のことを思い出す。

 あの男が墓守ならば、死体に関しては私たちより詳しいだろう。

「お前に斬りかかってきた野郎だぞ? まぁ、お前が気にしてねぇなら俺はいいんだが。とりあえずこれは牢屋行きだな」

 あのおとなしくしてる野郎より、こっちの方が物騒だろ。

 縛り上げた糸吊りの死体の縄を持ち、「帰ろうぜ」とセロはレオンを振り返る。抵抗する女の死体を抑制しつつ、二人は兵舎に向かった。


「生け捕りなんてよくやるな、お前等。そう成る前の死体を縛り上げようと思った俺とは、大違いだ」

 糸吊りの死体を牢屋の一角に押し入れた後、二人は男のいる牢屋に昼食のパンを持って出向いた。昼食のパンを、男はすんすんと嗅いでから食べ始める。バケットを頬張る男に、レオンはこう尋ねた、

「お前は、私たちに襲いかかった以外の罪を犯していないか?」

「何にもしてねぇよ。あれだって、ようやっと見つけた俺んとこの死体を横取りされたんで、ちょっと腹が立っちまっただけだ」

「どんな腹の立ち方だよ……」

 気が短い奴だと呆れるセロを余所に、男はバケットをどんどん小さくしていく。そのときちょうど、塔の下から誰かがあがってくる靴音が響いた。小さく控えめな足音は、こつこつとレオンたちがいる階に近づいてくる。階段を上ってきたのは、栗色の髪を肩にかけた女性だった。

「ここにいたのね、ちょうど良かった。あったわよ、名前つきの保証書」

 モニレアから手渡されたそれに、レオンはさっと目を通す。それは土地の保有者を示す書類で、東の森にある墓地は、ヴァルシュ・フェルナンドのものとするといった内容の硬い文章と、役所の印が押されていた。レオンが深々と頭を下げて礼を言うと、モニレアは「この借りはあの子の話で勘弁して上げるわ」と笑って頭を上げさせる。彼女が去った後、レオンは牢屋の男に向き直った。

「これで、お前がヴァルシュ・フェルナンドであることが保証された。そこで、だ。糸吊りの死体が異常発生している謎を、一緒に解いてくれないだろうか?」

 刹那、ヴァルシュは危うくバケットを落としかけ、目をしばたかせる。それがあまりにも間抜けだったために、セロが耐えきれずに息を吹き出した。

「お前、俺に手伝えって言うのか? 俺が言うのも何だが、こんな奴信用していいのかよ」

「お前は名前を明かし、自分の身分を保証するものまで示した。その上ほかの罪の証拠もないのであれば、これ以上お前を疑う必要はないし、牢に閉じ込めておくこともないだろう」

 それより、今は死体に詳しい者に協力を仰ぎたい。

 引き受けてくれるか。と尋ねるレオンの声色は、低く真っ直ぐだ。じっと返答を待つ褐色の騎士に、ヴァルシュは大きく息をついた。

「それじゃあ、まずあの婆さんの遺体を調べさせてくれ。俺の墓地から移動したっつーことは、あれも糸吊りの死体になってた可能性がある。あと、ほかにもあるんだろ? 糸吊りの死体だった奴が」

 それも、もしかすると俺の墓地からいなくなった遺体かもしれねぇし、何か手掛かりの一つぐらい出てきてくれるといいんだが。

 彼はそういうと、幾分小さくなっていたバケットの残りを口に放り込む。そして大きく伸びをした。

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