第十七話

 中庭の外れ、倉庫の近くに煉瓦造りの小さな塔がある。日差しを受けて円筒の影を伸ばすその塔は、罪人を一時的に捕らえておくための牢屋だった。天井が低い三階建ての塔を訪れたレオンは、一つだけ人が入っている牢屋の前に足を進める。簡素だが清潔なベッドとトイレが供えられた、小さな牢屋だ。

「昨日ぶりだが、朝食を持ってきたぞ」

 牢屋の下部分、ごく小さい扉の鍵を開け、レオンはパンの籠とボトルを中に入れる。ベッドに埋まっていた深緑の頭が、ごそごそと動き出した。

「あんたは飯をくれるんだな。昨日きたちっこい男は、晩飯をくれなかったぞ」

 すん、とパンの匂いを嗅ぎ、男はもしゃもしゃとそれを咀嚼する。ベッドに腰かけて朝食を取る男に、レオンは言葉を投げかけた。

「その小さい男から、お前は何も言わないと聞いたが。死体を必要としていた理由を教えてくれないだろうか」

 男はレオンに軽傷を負わせはしたが、彼が見る限りでは殺人を犯してはいない。もしどこかでそういったことをしていた場合は別だが、レオンたちに襲い掛かっただけであれば、厳重注意のみでいずれ釈放することができる。レオンとしては、できるだけ早くこの男を自由の身にしたい気持ちがあった。

「何も言わなかったわけじゃねぇぞ。俺はただ、自分の墓地からいなくなった死体を探すついでに、最近うじゃうじゃ出てくる糸吊りの死体について調べようと思っただけだ」

「街に出てくる糸吊りの死体は、お前とは関係ないのか?」

 たびたび出没する屍について尋ねると、男は長細いパンを強引に食い千切る。男は空腹だった。

「あるわけないだろ。何の必要があって死人をたたき起こさなきゃならねぇ。死人には花を手向け、墓に埋葬するのがいいに決まっている」

 これでも一応墓守なんだぞ、俺は。

 頬にかかった深緑の髪が、パンの咀嚼にあわせて震える。墓守を名乗る男に、レオンは口元に手を添えた。

「ふむ。墓から死体がいなくなったと言っていたな。では一体、どこの墓守なんだ?」

「疑ってるな? 街中じゃねぇよ。 街から少し離れた森の中だ。辺鄙な土地だけどな」

 気になるんなら、東の森に行けばいい。俺の名前はヴァルシュ・フェルナンドだ。家捜しすれば、名前入りの保証書ぐらい出てくるだろうさ。

 パンをすべて平らげ、男は空の籠を小さな牢屋の受け渡し口の前に置く。レオンが口を開くより先に、男は再びベッドに潜り込んでしまった。


「墓守、ねぇ。生者に刃物を向ける墓守なんて物騒極まりないけど」

 まぁいいわ。それなら丁度うちの隊の管轄だから、ついでに見てくるように言っておくから。

 レオンの話を聞いたモニレアは、快く頼みごとを了承した。彼女はレオンより少し年上の、若い小隊長の一人だ。請求書をよくため込む悪い癖があるが、隊一ではないかと評判の弓の使い手でもある。現在は、彼女にあてがわれた小隊長室の机にかじりつき、次々に隊の請求書をこしらえているところだった。件の溜め込みである。

「そうしていただけると助かります。男の身元がはっきりすれば、牢屋から出すことも出来るかもしれません」

 それでは、とレオンが半歩下がりかけたそのとき、モニレアがふと窓の外に目を向ける。外では荷物を運ぶ数人の騎士たちと、赤毛の目立つ頭があった。

「そういえば、彼女とはうまくいってるの?」

「……彼女、とは」

「アルヴァよ、アルヴァ。レオンのお気に入りなんでしょう? あの子目立つから、うちの隊の子たちも知っているわ」

「それは、その……確かに彼女は良い部下ですが「そういう意味じゃないわよ。個人的によ、個人的に」」

 レオンが豆鉄砲を食らったような顔をしたため、モニレアはくすくすと押さえた笑い声をこぼす。少し赤みがかった褐色の頬を、モニレアは満足げに見上げていた。

「可愛い子よね。すぐ泣いちゃって、腫れぼったい目をしているのが残念だけど」

「……私では、アルヴァに笑ってもらうことができません。いつも、些細なことで泣かせてしまう」

 鳶色の双眼が暗い影を落とし、彼は指先に力を込める。自分が側にいるときの彼女を、彼は思い出す。脳裏に浮かぶアルヴァは、瞼を腫らしてほろほろと泣くばかりだ。

 どうすれば、アルヴァを泣かせずにすむのだろうか。どうすれば、セロにしていたように親しげに笑ってくれるのだろうか。

「あの子は多分、他の誰かがあんたと同じことをしても泣くわよ。それはしょうがないわ、あの子が泣き虫なのは。それよりも、何か笑顔になってくれそうなことを探したらどう?」

 肩にかかる髪を払いのけ、モニレアは仕上がった請求書を机の脇に除ける。そしてまた、新たな羊皮紙につらつらと文字を書き始めた。

 アルヴァを喜ばせることが、私に出来るだろうか。

 褐色の騎士が思いを馳せた相手は、中庭でせっせと雑務に取り組んでいる。ちょこんと後ろで結ばれた赤毛が、遠く中庭の隅で揺れていた。


 街から戻ったレオンの脚は、そのまま中庭に向かう。兵舎を出たときには真上にあった太陽は、少し傾いて木々の影を長く伸ばしている。中庭の隅で薪を束ねている後ろ姿は、よく見知った者だ。彼が赤毛の後ろ姿に声をかけると、アルヴァの両肩がびくりと揺れた。

「あっ、隊長。追加のお仕事ですか」

「いや、そうではない。借りていた物を返そうと思ってな」

 レオンが手渡したのは、少しくたびれた様子のハンカチだった。昨日、レオンの傷口に巻かれていたそれは酷く血を吸っていたが、彼が丁寧に洗ったことで元の白さを取り戻している。「捨ててくださっても良かったのに」と慌てて立ち上がった彼女に、レオンはもう一つ別の物を手渡した。

 ヤスリで丁寧に磨かれた木目に、細い線で掘られた花の軌跡。

「これは……?」

「髪を結ぶようになっただろう? それで、その……よければ受け取ってほしいのだが」

 それは手のひらに収まる程度の、小さな木櫛だった。レオンは気恥ずかしげに視線を泳がせ、彼女にそれを手渡す。アルヴァの白い手のひらに、木の深い色味がよく映えた。黄色い瞳がしげしげと櫛を眺め、指先が花の彫刻をつっ、と撫でる。初冬の風が、二人の髪をそっと揺らした。

「ありがとうございます。櫛というのは、こんなに素敵な小物なのですね」

 大事にします。とはにかんだ様子に、彼は鼓動が速くなるのを感じる。同時に生じた鈍い痛みに、レオンは目を閉じた。

 普通の街娘なら当たり前に持っているものだが、彼女にはまだ……。

 アルヴァにとっては、こんな櫛ですら手にし難い物なのかもしれないと、レオンは瞳を瞬かせる。幼い頃に使ったきりであろう、まだ縁遠い小さな櫛。それが早く、彼女の当たり前になってほしかった。

 ハンカチでそっと櫛を包むアルヴァは、いつもより幼く見える。白いハンカチで包まれた櫛は、そっとポケットにしまわれた。

「アルヴァは、街で市場を見たり、こういった物を買ったりはしないのか?」

「果物や野菜などはよく買うのですが……ほかのものは、使い方がよくわからなくて」

 闘技場の奴隷として幼少期に攫われた彼女は、普通の暮らしに必要な物について無知だ。わからないから手を出さないでいたのだろうと、レオンは息をつく。彼女はもう、必要最低限の物だけで暮らす必要はないはずだった。

「お前さえよければ、今度一緒に市場を見に行かないか。わからない物は私が説明しよう」

 かつて、私にそうしてくれた人のように。

 古傷に手を添えるような、控えめな提案だった。レオンの言葉に、アルヴァはぽや、とした表情をしたが、少ししておずおずと言葉を紡ぎ始めた。

「お願いしても、よろしいのでしょうか」

「勿論だ。私がそうしたいのだから、お前が行きたいなら遠慮することはない」

 それでは――。

 自身を見下ろす赤毛の部下の口元に、レオンは確かな笑みを見つけた。

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