第十話
「何故、俺が日没と組まなければならない」
邪魔だ。とばかりに見上げられ、アルヴァはぴゃっとセロの後ろに回った。小さく骨張ったセロの両肩に、指の長い大きな手がそっと添えられる。不機嫌なオルトスから逃れようとしての行動だったが、彼女が隠れるには、その先輩はあまりにも小柄だった。
「うっせぇ、どうせ
セロを始め、三人の右腕には暗い緋色をした腕章が巻かれている。盾の前に稲穂があしらわれた素朴な紋章は、騎士団の紋章だった。
お前も隠れなくて良いぞ。と背後の後輩に声をかけ、セロは再びふてぶてしい方の後輩に向き直る。氷のように涼やかな両眼が、茶髪の後輩を見上げていた。
「手前の腕前は知ってる、剣の振り方に関してはな。だが実戦ともなりゃ話は別だ。まぁ、そんなことはそう起こらねぇだろうが」
「あんたの言うことはよくわからない。それに――」
そんな小さな刃物で何ができる。
眉間に皺を刻んだオルトスの腰には、真新しい一振りの長剣が下がっていた。それは新米に支給される安価な装備で、セロの後ろでおろおろしている赤毛の彼女も同じ物を身につけている。対し、空色をした彼の腰には、長剣ではなく二振りの短剣が下がっていた。
「俺はこっちの方がやりやすいからこうしてんだ。っとに手前は……とにかく行くぞ。あんまりグズグズもしてらんねぇからな」
オルトスの不服な眼差しを無視し、セロはアルヴァに声をかける。兵舎の扉を抜け、街の巡回に向かうのだ。
真昼の市街地は人通りが多く、天候の良さも相まって店の外にまで商品がはみ出ていた。秋空の青の元に、ざわざわと賑わう商人と客の声。人混みの間をすり抜けていく子供を避けつつ、新米二人はセロの後を追いかける。だが、セロの頭が度々人混みの隙間に消えてしまい、オルトスは眉間の皺をより一層酷くした。
「日没、あのチビはどこに消えた」
「セロさんは斜め前に見えます。追いつきましょう」
人混みから頭一つ抜け出ている彼女は、オルトスよりも人混みの全体像がよく見える。足早に少し先のセロを目指すアルヴァに、オルトスは危うく取り残されそうになった。人混みで塞がれかけた隙間をかいくぐり、彼はうなじにかかる真っ赤な赤毛を見上げる。首筋に流れる赤の間から、色褪せた木目のような古傷がちらついた。
あと数歩でセロに追いつくというところで、アルヴァの瞳孔が僅かにひくつく。周囲の人間にも構わず、その赤毛は前に跳び出した。
「セロさん、すいません!」
「うおっ!?」
丈夫な双肩で人を押し退けると同時に、彼女は前方のセロをひっ掴む。強引に後ろに回されたセロが体勢を整えたときには、状況が一変していた。
赤銅色の肌をした、貧相な身なりの男。
アルヴァに掴みかかっているその男は靴を履いておらず、裾が裂けたワイシャツやズボンには煤がついている。目の焦点が定まっていない男を振り払い、彼女は躊躇なく男の顎を強打した。的確なアッパーによろけた男が立ち上がったそのとき、鈍い銀色の短剣が男の首を掻き斬る。こつりと落ちた首からは、一滴の出血もなかった。
「セロさん、この方は……?」
出血がありませんが。と、落ちた頭を両手で拾い上げた新米は、探求心に満ちた両目で頭をひっくり返す。綺麗に落とされた断面を観察する新米に、彼は「胴の側にでも置いとけ」と息をついた。
「糸吊りの
糸吊りの死体とは、その名の通り死体である。だがその人間の死後、魔導に携わるものが術をかけると、理性のほとんどない生ける屍となってしまう。それが糸吊りの死体という者だ。
突然の出来事にざわついた通りがかりの人々は、これ以上危険なことはないと安堵し、元の通り雑踏に戻っていく。ふと、アルヴァは道の隅でうずくまる茶色い頭髪が気になった。
「オルトス……? 気分が悪いのですか」
苦しげに丸まった青年の背中をアルヴァがそっとさする。すぐ側には、もげた死体の頭と胴体が横たわり、腐ったキャベツを集めたような臭いがしていた。
「大丈夫かよ。まぁ、こういうのにはまだ慣れてねぇもんな、お前。無理すんなよ」
具合の悪い新米と、それを介抱する新米。セロは元気な方の新米を一瞥し、彼女が平素通りであることを確認した。
こいつ、泣き虫な割りに肝が据わってんのか?さっき、生首を持ち上げてたよな……。
人間の遺体……それも頭がもげたやつだ……を見て気分が悪くなる新米は、別に珍しくはない。今のオルトスのようにえづいたり嘔吐する場合もあるし、そこまでいかずとも目を背けたり、眉間に皺を寄せたりする新米が大半だ。少なくとも、セロが見てきた限りでは。
ようやく立ち直ったオルトスは、慌てた様子でアルヴァを追い払っている。顔色は良くなかったが、とりあえずは立ち上がった。
「っ……少し、驚いただけだ。俺に構うな」
雑に追い払われたアルヴァは、オルトスの調子に安堵した様子で、セロに「この
「そうだな……まぁ、とりあえず持って帰ったほうが良いだろ。何か包んだ方がいいだろうな」
周囲の店を視界に捉え、セロは近くの果物屋の店主に声をかける。小太りな店主は、快く余っていた果物用の布袋をわけくれた。
「商店街に? それは随分妙な話だ」
「だろ。ああいう手合いが動きまわんのは、だいたい夜更けか夜明け前だろうと思うんだが」
術者からはぐれちまったにしても妙だと、セロは隊長室の椅子に腰掛ける。外した腕章を弄ぶ彼の様子を見つつ、レオンは書き上げた報告書を再度確認していた。
「オルトスの野郎、あんまりああいうのには慣れてねぇみたいだった。それよりも、赤いのが平気そうだったのが意外だったが」
鶏肉を持った料理人みてぇな平素っぷりだったぞ。と、先ほどの騒動を振り返る。レオンが報告書にボタッとインクを落とし、小さく声を上げた。
「おっ前、そんなことで動揺すんなよ。
「それは、そう、だが……」
浅黒い彼は大きくため息をつき、新しい羊皮紙に同じ報告を書き始める。レオンの脳裏にちらついたのは、馬小屋でせっせとブラシをかけていたあの新米だった。ことあるごとに謝罪を口にする、気の小さい頑張り屋の彼女。あの素朴さに、人を殺めた罪の痕があるとは考えにくかった。
この小公国に、兵役は存在しない。職を探す者が結果的にたどり着くか、武勇を好む者が自ら募集に応じて騎士団にやってきているか。ほかの理由がない訳ではないが、殆どはそういった理由で騎士団に入る。
彼女は、何故騎士団に入隊したのだろうか。
報告書を書き写しつつ考えたが、レオンに納得のいく考えは思い浮かばなかった。
よく晴れた湖面のような空の元、新米たちの朝稽古は行われる。その日、アルヴァを壁際にまで追いやったのは、頬のそばかすが目につく色白の新米騎士だった。白に近いブロンドの髪をおさげにした彼女は、のっぽの新米より遥かに小さい。セロと良い勝負だろうと、レオンは彼女を見る度に思っている。
「良い試合だった、ファルロッテ。その調子でもっと前に出ることを意識するといい」
レオンの励ましに、おさげの新米は「ありがとうございます」とぴこぴこ礼をする。そして、試合の相手であったアルヴァにも軽く一礼した。今日の稽古は勝ち抜き式になっており、新米同士の試合に勝つことができた者から抜け、中庭の向こうにいるほかの隊員と試合をする。初っ端にオルトスが抜け、その後一人、また一人とほかの隊員に試合を挑みに行き、先ほどのファルロッテが抜け、レオンの前には赤毛の新米がぽつねんと残ってしまった。
眉尻をすん、と下げた彼女は、クリーム色のブラウスの袖を指先で握りしめている。ごめんなさい。そう口にした彼女の言葉を遮るように、レオンはそばかすの新米騎士が残していった木剣を手に取った。
「謝る必要はない。お前が相手だったからこそ、ファルロッテがいつもより強めに剣を振れた。彼女も自信がついたことだろう」
お前が残るだろうと思ってこの形式にしたのだと、レオンは鳶色の両目をふっと緩ませる。夕方に時折、追加で稽古をつけてはいるものの、レオンにもアルヴァにもほかの仕事や用事があるのだ。だが今日は、ほかの新米たちの相手を手練れの騎士たちがしている。中庭の隅で、堂々と個人訓練ができる状態だった。
「では、前の稽古の続きだ。準備はできているな?」
「……はい。よろしくお願いします」
古傷だらけの木剣を握り直し、夕暮れの赤が揺れる。大ぶりなアルヴァの一撃を、レオンは鍔で着実に防いだ。果敢に挑んでくるアルヴァの胴はがら空きだった。レオンはすかさずその胴を蹴り飛ばすが、蹴りだけでは彼女の体制が崩れることはない。ややのけぞった彼女が素早くしゃがみこんだ刹那、レオンの鳩尾に重い一撃が食い込んだ。
「っ……! 今のは良い動きだった。胴が隙だらけになるのだけは、気をつけてくれ」
噎せそうになった呼吸を無理やり飲み込んで、彼は力強いアッパーを決めた新米を見上げる。手で受け止めはしたが、アルヴァの一撃は重い。返事をした彼女が再び向かってくるのに、そう時間はかからなかった。
「もっと脇を閉めろ、刺されてしまうぞ」
「こう、ですか……!」
斜め下から振り上げられた木剣をレオンが防いだ刹那、二つの木剣の間から小気味良い、しかし嫌な音がした。両者が小さく声を上げたと同時に、アルヴァの木剣が半ばからみすぼらしく折れてしまう。見れば、レオンが手にしている方も、折れてこそいないがひび割れていた。
「すみません、隊長。また、壊してしまいました……」
ちゃんと作り直します。とため息をついた彼女に「今回は寿命だ」と言葉を返す。とたとたと予備を取りに向かう、すらりとした後ろ姿。その首元に走る古傷が、ついとレオンの目に映った。
「その、後ろの傷はどうした? ずいぶん古いようだが」
「後ろ? ……あぁ、これですか。昔、ちょっと斬られたことがあって」
木剣を片手に倉庫から帰ったアルヴァは、隊長の問いにさくさくと返答する。物騒な言葉を口にしたとは思えない、平凡な調子だ。目を丸くした彼が何か言うより先に、赤毛の騎士は使い古された木剣を手渡した。
「もう随分前の痕ですし、ちゃんと塞がっていますから」
「そう、か……いや、そういうことでは、なくてだな……」
「違うのですか?」
さぁ続きを、と言わんばかりに構えたアルヴァを前に、隊長は多少まごついた。
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