第六話

 まだ朝の空気が残る中庭で、レオンは新米たちの練習試合を見ていた。彼の視線の先では、彼以上の背丈をした赤毛の新米騎士があたふたと動き回っている。

「そんな振り方では胴ががら空きになってしまうだろう、アルヴァ。それではいつまで経っても勝てないぞ」

 稽古用の木製の剣で試合をしているのは、すらりと背が高い赤毛の彼女と、冷めた面持ちのオルトスである。茶髪に白肌をした青年は、澄ました様子で大きな赤毛の脚を引っかけ、転倒した赤毛の頭を剣でつつく。アルヴァはすぐさま起き上がると、再び打撃しかできない木剣で青年に挑んだ。その剣筋は迷いがなく単純で、容易く青年の剣に捌かれてしまう。彼女の土と泥で汚れた頬には、草の汁が辿々しい染みを作っていた。

 今、アルヴァの剣を軽くいなしている彼との実力差は一目瞭然で、もう数え切れないほど、アルヴァは木製の剣で脇腹を叩かれたり、足払いで転ばされたりしている。そのとき、オルトスの横薙ぎがアルヴァの腹部を強打した。何度目かの転倒に、レオンが眉間の皺を一層深める。アルヴァがすぐに起き上がって挑もうとするのに対し、オルトスはため息交じりに剣を手放した。

「相手を代えてくれないか、レオン小隊長。日没相手じゃ練習にならない」

 振りかけた剣を途中で地に下ろし、アルヴァがレオンの方を振り返る。夕焼けのように濃い赤色の短髪が、汗で頬に貼りついていた。その眼差しは朝焼けの輝きに似て黄色く、頬に付着した薄緑の染みによってより明るく映える。眉尻を下げた彼女は、上官であるレオンの指示をじっと待っていた。

「……わかった、相手を代えよう。だがオルトス、お前はもう少し言葉に気を遣え」

 茶髪の青年は相変わらずつんとした様子で、「日没が愚図なのが悪いだけだろ」と長身のアルヴァを下から睨みつける。自分より小さな相手に睨まれ、彼女はあわあわと何か口走る。それはたどたどしい謝罪の言葉だった。彼女から稽古用の剣を奪い取ると、オルトスは別の新米、エリウッドに練習用の剣を押しつける。彼の視界には、すでにアルヴァは映っていなかった。

 しょんぼりしたアルヴァが、少し裾が短い長ズボンの土埃を払っている。散々転んだり叩かれたりした彼女は、全体的に土埃で汚れていた。木製の剣とはいえ、あれだけ強打すれば怪我の一つや二つしているかもしれない。

 アルヴァは、大丈夫だろうか。

 小隊長は赤毛の彼女が気がかりだったが、目の前で始まったオルトスたちの練習試合から目を離すわけにはいかず、視界の端にちらついたアルヴァから視線を外す。それは、朝日が日中の日差しに変わりかける昼前のことだった。


 机上の書類を確認し、上の者に渡すべきものと、こちらで片づけるものに仕分けする。レオンがより分けているほとんどが、街を警備した者たちの報告書だ。警備を行う騎士たちの報告をまとめるのは、七人いる小隊長の仕事である。彼は小隊長の中ではかなり若い騎士だった。

 それにしても、アルヴァの腕前をもう少し何とかしなければ。ただでさえ気が弱いというのに、あんな様子では……。

 午前中の稽古のことを思い出し、ため息が零れる。彼が思い出すのは、草の汁で頬を汚したあの背丈の大きい彼女のことだった。

 新米同士の練習試合で、唯一どの相手にも勝てずにいるのがアルヴァだ。春に入隊した新米たちの中で一番剣の扱いがおぼつかない上、気が弱くすぐに泣き出してしまう、赤毛の新米騎士。

 小隊長用にあてがわれた部屋の窓からは、中庭の景色が見えた。木々の葉が赤や黄色に紅葉しきり、早いものではもう既に枯れ葉を落としている。ふと、妙に風で蠢く枝葉の塊に気づき、彼は目を細める。それは真っ赤に紅葉した枝葉ではなく、件の新米騎士の頭だった。中庭の隅で、せっせと斧を振るっている。薪割りを始めとした雑務は、新米たちの仕事だ。小気味良く斧を振り下ろす様子を遠目に捉え、レオンはふっと気を緩めた。

 あの様子なら、大した怪我はしていないのだろう。前に腕を打撲したときといい、つくづく丈夫な奴だ。

 机上の書類を見終わり、彼はぐっと背中の筋肉を動かす。束ねた書類をくたびれた封筒にしまい込んでいたそのとき、小隊長室の蝶番がキィキィと音を高い音を立てた。

「おいレオン、そろそろ飯行こうぜ、飯」

 廊下側からひょっこりと侵入してきたのは、幾分小柄な空色の頭髪だった。整った顔立ちと長い睫からは想像し難い、なかなかに雑な入室の仕方である。

「そんな風に入ってくるのはお前ぐらいだろうが、一応ノックぐらいはしてくれ。私以外に誰か居たらどうするんだ」

「紙を捌く音しかしねぇのに、どうしてお前以外の奴が居るんだよ」

 セロは後ろ手に扉を閉め、机の端に腰掛ける。「早く行こうぜ」と振り向く小さな頭に、レオンはふっと息をついた。

「机に乗るのはよしてくれないか、セロ」

「なんだよ。いっこしかねぇ椅子にはお前が座ってんだから、ここぐらいしか座るところはねぇだろ?」

「座らないという選択肢はないのか……」

 軽い諦めの気持ちを覚え、レオンは書類の束を机の上に裏返す。レオンが首の骨を鳴らすのを、セロはのんびりと見ていた。彼の身の丈はレオンより頭一つ小さく、若草色をしたシャツ越しでもわかる薄い胸板は成長期前の子供のそれに似ていた。木製の机の端で脚をプラプラさせつつ、セロはレオンの身支度を待っている。骨ばった指の腹が、トトツ、トトと机を鳴らした。

 小隊長室を出た二人の行き先は、兵舎内にある食堂だ。食堂といってもそこに料理人はおらず、つまるところ共同の大きな台所といった具合の場所である。中庭を囲う外廊下を通りかかると、奥にちらつく赤い頭と、乾いた木が小気味良く裂ける音が響いた。薪割りの音だ。

「なぁ、あの赤いのも誘ってかないか。飯ぐらい食うだろ」

 不意に右腕を引かれ、レオンはセロを振り返る。彼を見上げる青い眼差しは、暗がりの窓に似ていた。レオンは「それは構わないが」と承諾を示した後、セロに理由を尋ねた。

「あいつ、朝の稽古でまた負けたんだろ。あんまり気落ちしてねぇといいが」

 もし落ち込んでたら、ちょっとぐらい励ましとこうと思ってよ。俺の杞憂ならそれでいい。

 そう言うと、その水色は高い指笛を吹いた。高空に抜ける、鳥のさえずりにも似た耳に心地よい合図。少しの間を置いて、中庭の奥にある馬小屋の裏手からひょっこりと件の赤毛が姿を現した。セロが彼女の方にかけていくのを眺めつつ、レオンは口元をふっと綻ばせた。

 この隊に、セロが居てくれて良かった。

 セロがアルヴァと言葉を交わしている様子を遠目に眺め、彼は二人の身長差を目測した。セロの背丈はアルヴァの胸辺りまでしかなく、頭二つ分は優に差がある。親しげに並んで歩く、小さな騎士と大きな新米。セロに連れられてきたアルヴァは、廊下で待っていたレオンに気づくと小さく会釈した。黄色い双眼に差した陰りは、彼女を実際より小さく感じさせる。自身を見下ろす少女の首がきゅっと縮んだのを目にし、レオンは部下から視線をはずした。


 食堂でセロが作ったのは、ジャガイモと人参がごろごろとつまったオムレツのような料理だった。食堂に常備してあるのは日持ちする野菜や木の実の類、兵舎の脇で飼育している雌鳥の卵、安価な葡萄酒だけである。彼は料理をすること自体を楽しんでおり、後の二人が手伝ったのは野菜の皮むき程度だった。

「ったく、態度が悪りぃのは相変わらずだな。そんなの気にすんなよ」

 あいつは良いとこの坊ちゃんだからな、小さいときから剣の手習いぐらいしてたんだろ。

 卵の衣に埋もれた人参を頬張りつつ、セロは眉間に皺を寄せる。彼の隣で具沢山なオムレツを食べるアルヴァは、頼りなげな眼差しをテーブルに落とした。

「お気遣いありがとうございます。ですが、その……オルトスの言うことはもっともだと思うんです。私のような拙い剣筋では、きっと退屈なのでしょう」

 アルヴァがしょんぼりと背中を丸めたため、彼女は先ほどより一層小さく見える。向かいに座ったレオンは何か言い掛けたが、それを声に出すより前に口を噤んだ。

 お前はもう少し、基本的な動きを身につけられると良いのだが。

 言い掛けた言葉を、昼食ごと飲み込む。自分の言葉で彼女がより落ち込んでしまうのではないかと、彼はかけるべき言葉を模索していた。けれども自信を持って向けられる言葉がどうしても見つからず、レオンは代わりにセロの方へ目を向ける。視線に気づいた彼の友人は、空色の眼差しでその視線をきっと跳ね返した。

 馬鹿、俺の方見てどうすんだ。

 深い皺を眉間に刻んだまま、しかしセロはそれを口に出すことはなく昼食を咀嚼している。紡ぐべき言葉に迷ったまま、レオンは俯きがちな新米を見据えた。

「オルトスに言われたことは気にしなくていい。それより、朝の稽古で怪我をしなかったか。随分叩かれただろう」

「それは大丈夫です。そんなに強く叩かれたわけではありませんから」

 稽古で散々ひっぱたかれたことを気にする様子もなく、彼女はオムレツとよく似た黄色の両目を瞬かせる。次いでアルヴァは、小さく何か思い出したときの声を転がした。そのか細く短い発音に、隣のセロが彼女を見上げる。

「どうした、赤いの。何か忘れ物でも思い出したか?」

「いえ、その……薪割りの後に頼まれていたことを、思い出して」

 そろそろ行かなければと、赤毛の新米は皿に残っていたオムレツを平らげる。二人に「ごちそうさまでした」と頭を下げた後、アルヴァは食器を持って洗い場の方に引っ込んでいった。

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