第55話 矢々葉絃千が倒れた後

数時間前。


「よろしくお願いしまーす。」

現場に響く彼の声。

表情は、元気な笑顔を見せているが、私には、いつもより、どこか作り物のような、人工的な笑顔に見えた。



今日は、企画の第2弾として、これからこの特集を連載として、続行するかを検討する大事な撮影。

スタッフさんからも、いつもの何倍もの熱量を感じる。



「今日も、気合い入れて頑張るんで!」

カメラマンの茂木さん達に、笑顔を振り撒く彼はやはり、いつもと感じが違った。



それでも、撮影は順調に進んでいった。


「はい。チェック入ります。」

そう言われて、私達モデルは一旦休憩が出来る。


今日は屋外で、一般人の通行の妨げにならないようにと、機材や小物は出来るだけコンパクトになっている。


だからか、腰を下ろせるのは、簡易的な椅子が1つしかなかった。



私の前に、彼の写真チェックをして、彼が先に休憩に入れる。

そのあと、私も休憩だ。


椅子、椅子座ろっかな?


そう思って、目をやると、ぐったりと、体を椅子に預けている彼の姿が目に入った。

正直、ビックリした。

現場に椅子が1つしかないことはよくある。



彼と一緒の現場でも何度か遭遇した。

ただ、私の知る彼は、椅子が1つの時、決まって、

「ほら、ここ座っとけ。今日も遅くまでかかりそうだから。」

「よかったら、椅子余ってるんで、使われませんか?」

と、相手のモデルさんを気遣い、椅子に座って休むよう勧める。

今まで、決して、彼が腰を下ろす所を見たことがなかった。



やっぱり、今日、変だ。




私は、彼に駆け寄る。

「いとせ君。おつかれー。」


すると、彼は、しゃんと、背筋を伸ばし、笑顔を見せた。


「おつかれ。」

嫌だ。多分、彼はムリをしている。

それを感じさせまいと、愛想笑いで取り繕っているんだ。


出来れば、私の前では、本当の彼の姿に戻って欲しい。

私だけのまえでは、弱音だって吐いて欲しい。

これ、独占欲なのかな?

でも、ほんとに、頼って欲しい。

だって、あんなに辛そうな顔してだんだもん。

汗、いっぱいかいてるよ。

大丈夫?


目元も...メイクで分かりずらかったけど、最近、ちゃんと寝てるの?

くま酷いよ。




色々、私のこと気にしてくれるけど、先に自分のこと、心配してよ。



私は、心の中で、言葉にできないことを呟く。




「学校行事の次の日なのに、疲れてないのか?」

そう聞いてくる彼に、私は少しでも元気になって欲しかった。




「昨日の仕事は、さすがに途中で寝ちゃった。」


こん。

私は、自分の頭を叩きながら、てへ。と、舌を少し出した。



普段は、恥ずかしくて、こんなことしない。今日だけの、サービスなんだからね。





彼は、私のその仕草に、少し笑ってくれた。


その後、おでこをくっ付けようとして、避けられる。

やっぱり、体調悪いのかな?




ぐるぐると、色々考えてしまう。




なのに、そんな彼は、自分を元気と偽る。


座っていた椅子から立ちあがり、私に席を譲る。


「いいよー。今日は、そんなに疲れてないよ?」

彼にそのまま、座っていて欲しくて、断る。だけど、彼は、「レディーファースト」

と、椅子に座るようにいってくる。


自分が座りたいくせに。



もう。



そう思ったけど、頑なな、彼の好意を無駄にしないために、結局、私は、椅子に座った。



「ありがとう。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る