第56話 矢々葉絃千が倒れた後②
その後、いよいよ撮影は大詰めを向かえた。
ラストは、一番アングルの良い、ショッピングセンターの中庭。
私は、首もとがvネックで鎖骨が少し見えるふんわりとしたくすみピンク色のフリル袖。
裾がゆるく広がった白いスカートで、夕日が映える噴水前のカメラスポットに近づく。
「最後は、自然な可愛いメイクね。おちょぼリップで女性らしさを際立たせちゃうよ。」
と、メイクさんがメイクを直してくれる。
その時、茂木さんに一声かけ、どこかへ行く彼の姿が目に入った。
どこ行くんだろ。
もう、撮影始まるのに...。
「はい。バッチリ。」
メイクさんから、OKの声をもらうと、私は、すぐに茂木さんに駆け寄った。
「茂木さーん!いとせ君は?」
「あぁ。トイレだってよ。夕日が沈む前に戻ってこいよ、って言ったんだ。」
日が沈んだら、元も子もないからな。
茂木さんは、何でもないかのように言う。
けれど、少し心配だ。
「じゃ...、私も...。」
御手洗いに行ってこようかな?
と、言いかけた時、彼はこちらに戻ってきた。
「すいません。セーフですか?」
おちゃらけながら、スタッフの輪に混ざる。
「おう。ぜんぜん問題ない。まだ、アングル調節が終わってねーからな。」
やっぱり、顔色が悪い気がする。
皆には分からないレベルなのかもしれないけど...。
「じゃー、ラスト、本番いきます。3、2、...。」
茂木さんの合図で、撮影が始まる。
この場面。
デートが終わることに少し寂しさを感じる彼女。
それを...平気だ。また来ればいい。と、言う彼が手を繋いでいちゃつきながら帰るシーン。
『今日は、楽しかったね。』
『ああ。』
『でも、もう、終わっちゃうよ。なんか、もったいないね。』
ずーっと、この時間が続いていればいいのに...。
『また、また、来ればいいだろ?付き合ってるんだから。』
『じゃ、約束の指切り!』
私は、彼の前に小指を差し出す。
リハーサル通りでは、ここで、指切りだ。
だけど、なぜか体が勝手に動く。
彼の手首を自分の方に引き寄せ、思いっきり、背伸びして、彼と目線を合わせる。
そして、唇を頬に近づけた。
予定外の行動に戸惑う彼。
体調悪いの隠して、平気な顔するバツだよ。
本当は、しんどいんじゃないの?
でも、よかったね。
もうすぐ、撮影も終わるよ。
私は、少し寂しいけれど、君が、少しでも休めるのなら、元気になるのなら、今日くらいは、大人しく帰ってあげる。
だから、最後、最後に少しだけ、君と一緒に...。
これも、私の我が儘かな?
「好きだよ。ずっと、一緒にいようね。いとせ。」
私は、じーっと、彼の顔を見ながら言った。
「あ、ありがと。さくら。」
この時、彼は、やはり、体調が悪いのか、腕で隠した顔は、真っ赤だった。
「はい。カット!」
いやー!!リハより、何倍もクオリティーが上がったよ。
さすが、桜ちゃん!!
と、スタッフさん達が近づいてくる。
よかった。
そう思ったら、目の前の彼は、ヨロヨロと、一、二歩歩くと、前のめりに倒れてきた。
「いとせ君!」
私は、こちらに歩いてくるスタッフさんを押し退けて、彼のもとに飛び込んだ。
何とか、地面から彼の頭を守ることが出来た。
ただ、彼は、私の胸の中で、荒い呼吸を繰り返す。
「いとせ君!!」
私は、彼の頭を膝に乗せ、おでこに手を当てる。
すごく、熱かった。
やっぱり、体調が悪いのムリしてたんだ。
汗もすごい。
「ゲホ、ゲホ、ゲホ。」
彼は、ぐったりしながらも、体をくの字に曲げ、激しく咳を繰り返す。
早く治まって欲しくて、背中をさする。
「いとせ君!!」
周りのスタッフさんが慌て、連絡を取り合う。
こんな体なのに、普通を装って、今日、1日、耐えていたんだろう。
普段は、「テキトーにやるから。」
と、さも自分は関係ないと言う素振りを見せるが、そんなこと言いつつも、真面目に努力をして、一切手を抜かないのが彼の良いところだ。
毎日を適当に生きる人が、倒れるまで仕事をするはずがないじゃん。
私は、そう思いながら、車の手配が出来るまで、彼の頭を優しく、撫でていた。
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