第9話 矢々葉絃千(ややはいとせ)
白いオフショルに、膝丈の、ミディスカートの彼女は、こちらに気づくと、駆け寄ってきた。短い髪だからか、ふわふわと、よく揺れる。
「いとせくーん!
久しぶりだね!
今日は、一緒にデート企画出来るって聞いて、楽しみにしてたんだよ?」
彼女の得意技である、上目遣い。さらに、小首をかしげる。
そんな、彼女、こと、井勢谷桜は、何のためらいもなく手を振って、近づいてくる。
「おう!久しぶり。」
俺は、そう、返事をするのであった。
ここは、東京のある撮影スタジオ。
「では、今日お世話になる方です。まずは、カメラマンの茂木涼太さん。」
「こんちわ。良い写真、バンバン撮らしてもらうんで、よろしく。」
そう言って、さっきの無精髭を生やしたおじさんは挨拶した。
「次に、アシスタントに入ります......です。」
「よろしくお願いします。」
スタッフが、今日の撮影に携わる関係者を順に紹介していく。
「次に、今日お世話になる女優の井勢谷桜さんでーす。よろしくお願いしまーす。」
桜の名前が呼ばれた。
「井勢谷桜です。よろしくお願いします。」
彼女は、優しく微笑みながら、お辞儀をする。
「次に、前にピンチヒッターでお世話になって、そこからどんどん売れっ子になっていく、モデルの矢々葉絃千(ややはいとせ)くんでーす。よろしくお願いしまーす。」
「矢々葉絃千です。今日は、よろしくお願いします。」
そして、俺は、紹介されるがままに、頭を下げた。
そう。
混乱している人も、いるかもしれないが、俺はモデルをやっている。
と言うか、やらされているのだ。
実の母親に。
ここで、矢々葉絃千が誕生した経緯を説明しようと思う。
その前に、俺の母親の説明が先だな。
俺の母親は2人いる。
1人は、産みの親、もう1人は、育ての親。
で、俺が説明したいのは、産みの親のほう。
母の名前は、井勢谷麻莉(いせたにまり)。
日本で、この名前を聞けば、1人しか思い当たらない。
そんな、誰もが知る超人気カリスマ女優。井勢谷麻莉。
彼女は、幼少期から女優としての才能を発揮し続け、高校生にして、早くも、ハリウッドスターになった超天才的女優である。
容姿、スタイル、演技力、何をやらせても申し分ない。
女優という幅を越え、声優、アナウンサー、ありとあらゆる仕事をこなし、老若男女問わず、世間から認められている。
そして、MCやバラエティーなどでの立ち回りも上手く、ディレクターなどの業界関係者からの支持も厚い。
この前の主演をつとめた映画は、自身が持つ、歴代最高の興行収入を大幅に更新。
先日、始まったばかりのドラマは、いつものように、最高視聴率、90%を越えてみせた。
衰えることを知らない、右肩上がりの、超エリート級女優である。
そんな彼女が、俺の産みの親である。
ここで、あれ?と思った人。
それは、正解だ。
週刊誌でも、ネットで検索しても、彼女に息子は存在してないじゃないか、と。
結婚して、娘が2人いるとは、書いてあるが、どこにも息子は載っていない。
デタラメ言うのも、大概にしろと。
俺が、井勢谷麻莉の遺伝子を分けた息子であることは、この世界でも、片手に入る人しか知らない。
なぜなら、
俺は、彼女と不倫相手の間に生まれた隠し子であるからだ。
だから、世間一般においそれと俺の姿を晒すことは、彼女のこれからを汚してしまう。
少し大げさかもしれないが、今の日本のテレビ業界は、井勢谷麻莉で成り立っているようなものだ。
彼女の不倫を、隠し子を世間がどう評価するか、考えたくもないが...まあ、そう言うことだ。
だから、この年まで、極力目立つことは、控えてきたし、元々、裏方作業のほうが、自分の性格にも合っていたから、自分が隠し子で、世間から疎まれる存在であることに何も抵抗は感じなかった。
そんな俺が、ここでモデルをやらされる羽目になったのは1年前の、1本の電話が始まりだった。
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