越谷ソルシティホール東側3番扉

 ガシャン。


 館内の全ての電気が落ちた。

 観客たちのざわつき。停電を疑う呟き。

 その全てを、自動小銃の銃声が引き裂いた。

 あちこちから悲鳴が上がる。

 舞台の上の照明だけが再び点灯した。


「動かないで頂きたい」


 ゲリラが着るような戦闘服に身を包みロシア製の自動小銃を携えた髭面の男が、マイクを通して流暢な日本語でそう言った。


「な、なんだお前は!」

 興奮した中年が立ち上がり、大声を出した。

「非常識にもほどがある! 戦争ごっこならよそで」

 タタッ‼︎

 乾いた銃声。血飛沫。どうっ、と重いものが倒れる音。

 再び悲鳴が上がった。

「動かないで頂きたいと言った。それとお静かに。我々の指示に従うならば、我々はあなたがたに危害は加えません」

 館内は静まり返る。

「我々は南カダス解放戦線。日本政府に不当に逮捕された同志の解放を求める為、あなた方には人質になって頂きます。政府が要求を飲み、我々の同志8人が無事解放されたのが確認できれば、あなた方も何事もなくお帰り頂きます」


(ウソだ)


 神崎ひかげはそう思った。

 

 私がこいつらなら、計画の最終段階で、突入して来た警官隊ごと観客もろともこのホールを爆破する。混乱の中、救急隊員と警官に変装して堂々と逃走する。この人数なら全ての死体の確認には三週間は掛かる。

 さっきの違和感はこれだったのか。

 ひかげは自らの暗殺者としての勘を信じ切れなかった自分に歯噛みした。


 ロシア製AK系のアサルトライフルは鳥撃ち銃と揶揄される程に跳ね上がりが強い。その銃でさっきの中年を葬ったあの射撃精度。少なくとも壇上の男はかなり経験を積んだ戦士と思えた。

 南カダス解放戦線。

 カダス共和国の南側を居住地とするエスペラント語族の解放と独立を訴える武装勢力で、18年続くカダス内戦の元凶だ。

 そう言えば越谷市の市長は現職外務省長官の弟。圧力を掛ける人質としてはうって付けと言うわけだ。

 どうする。何人だ。他の兵はどの程度の練度だ。武装は。政府警察の対応は。

 自分一人この包囲を破り、逃げるのは容易い。

 だが。


「逃げよう。神崎さん」


 島谷が神崎の手を引き、椅子の影にしゃがませる。

「ここにいちゃいけない。奴らは信用できない。館内が暗い今がチャンスだ。この機会を逃しちゃいけない」

「でも」

「出口には見張りがいるだろう。大丈夫。僕はこう見えて空手をやってる。三段だ。インターハイにも出てる。一対一なら負けないよ」


 いい判断だ。だけど見積もりが楽観的過ぎる、とひかげは思った。


「椅子の背もたれを後ろ側に二列乗り越える。なるべく姿勢は低く。そのあとは左手奧の出口に向かおう。あそこは階段の影になっていて、出入りしてもホール側に光が漏れない」


 島谷はひかげの手を右手に持ち替えた。

 島谷の手は、震えていた。


***


 二階席への階段の影に、二人は身を潜めていた。


 ひかげは、今日は武器となるものは何も持っていない。

 武器になりそうなものと言えば、せいぜい小さなバッグの肩紐と、ワンピースを腰で絞っている細い革のベルトぐらいのものだ。


 舞台では、リーダーの男の演説が始まっていて、カダス共和国の成り立ちや内戦の背景、カダス政府の横暴さ、南カダス解放戦線の正当性などがとつとつと語られ続けている。


 階段の腰の高さの壁のすぐ裏は、緩やかな下りのスロープになっていて、その先が出口の扉なのだが、そこにはやはり小銃で武装した外国人の見張りがいた。


 ふうっ、と島谷が深呼吸をした。


 ひかげが止める暇もなく、島谷は一息に壁を乗り越えるとその向こうに消えた。


 ドカッ、バキッ……ドサッ。


 慌ててひかげが追いかけると、ラフなスタイルの外国人テロリストは白目を剥いて倒れていて、島谷が必死にそれを引きずって外に出ようとしていた。

 危うく彼女は称賛の口笛を吹く所だった。

 島谷はやはり仕事ができる。判断も充分に早くその内容も概ね妥当だ。空手の有段者だというのもブラフではないようだった。


「神崎さん、扉を開けといて。こいつを運び出す」

「これからどうするの?」

「非常口だ。流石に外をぐるりと包囲はしてないだろう」


 危ない、とひかげは思った。

 非常口は溶接して閉鎖するか、警察の侵入を警戒してトラップを仕掛けるか。

 外に出たって安全じゃない。

 施設周囲の見張りと兼ねて屋上にスナイパーが配置されていることもありうる。というか、自分ならそうする。


「行こう」


 島谷はひかげに手を差し伸べた。


「……うん」


 ひかげはその手を取った。

 戦場を誰かと駆けるのは、失った相棒を除けば、これが初めてだった。

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