勇者求む


「いつまで振るつもりだ」


 不意に後ろからなじんだ声がした。ずいぶんと集中していたため,そこに人がいることに声をかけられるまで気がつかなかった。

 暗がりのせいで表情をはっきり読み取ることは出来なかったが,年にしてはしっかりとした歯が月の光を浴びて白く光っていた。


「様になってきたな。ただ,わしが敵だったら命を取られていたぞ。いついかなる時も気を抜かないように」


 厳しいな,と思ったけど確かにその通りだ。敵は戦う前に声をかけてはくれない。常にアンテナを張って周りの空気感や敵の雰囲気を敏感に察知しなければならない。もし今敵がやってきていたなら,ぼくは間違いなく命を落としていたということなのだ。

 ライアンは本気で説教をしに来たわけではないらしく,近づいてぽんと肩を一度叩いて「お疲れさん」と言った。


「食事の用意が出来たみたいだ。しっかりと鍛錬をしたのならば,食べて休むのも修行の一つだ。今日の所はよく頑張った。剣が見違えるように上達したじゃないか」


 ライアンの温かい言葉に涙がこぼれそうになる。たった一日必死で頑張ったくらいで目に見えて成長するというのは少々できすぎな気もするが,それもゲームやアニメの飽きの来ないところだ。何より,自分が必死になって取り組んだという経験は,肉体的な成長よりももっと大切なことを与えてくれたという気がした。

 こぼれ落ちそうになる涙を拭っていると,お腹が鳴った。ライアンは大きく笑って「飯だめし~」とご機嫌そうに歩いていく。砂を撒いたようにきらきらと散らばる星の光を受けながら,ぼくはライアンの少し後ろを付いていくようにして宿へと戻った。



 女将さんが持ってきてくれた栄養たっぷりの食事を食べてから,大浴場で一日の汗を流した。毎日なんとなく食べていた食事や風呂も,充実した生活をしていると一層気持ちよく感じられた。一段落して部屋でゆっくりしているとすぐに眠気がやってきた。ここちよい疲労感に包まれながら毛布にくるまっていると,次に目を開けたときには気持ちのよい朝が来ていた。

 受付でお礼を言って出発の準備を整えていると,昨日と同じ受付の人に声をかけられた。


「荷馬車もないようですけど,これからどちらへ? このあたりは徒歩で歩くには不便で,一番近くの町でも歩いたら一日ではつきませんけど」


 そうなのか。一日歩いてもどこにも着かないなんて,それはいくらなんでも厳しいのではないだろうか。特に目当ても行き先も決まっていない。それに,この世界はぼくにとって不案内な場所だ。ライアンしか頼れる人がいないが,次はどういうプランなのだろう。きっとぼくを成長させてくれるイベントがあるに違いない。

 そんな期待を込めてライアンを見つめると,彼は大きく首を左右に振った。何も計画はなかったのかよ,とツッコみたくなったが,声には出さなかった。こういうときにはどうしようか。何か導きのような者がないと事は前に進んでいかない。

 特に行く当ての決まっていない僕たちの様子を察したのか,受付のお姉さんが談笑スペースに設けてあるボードを指差してから言った。


「もしあてがなければ,あれなんてどうですか? 依頼ボードといって定期的に依頼が張り出されるんですけど,昨日も誰か新しい紙を貼っていましたよ」


 お姉さんの指さす方向に目をやると,大きなボードに貼り付けられた紙の一枚に,大きな見出しで「冒険者求む」とでかでかと見出しをつけたものが目に入った。

 これだ,とライアンの顔を見ると,彼も「それを求めていた」と言わんばかりに胸を張って大きくうなずいた。

 ありがとうございます,と大きくお姉さんに頭を下げた。「お気を付けて」というお姉さんの言葉を背中に受けながら,ライアンの手を引いてボードの元へと駆け出した。




 勇者求む。でかでかとそれだけ書かれた紙を見て,心躍る気持ちが徐々に萎んでいった。余白の多い一枚の神の前で立ち尽くす。頭の中では様々な疑問が浮かび上がっては渦のようにぐるぐると周った。勇者と言っても,元勇者でよいのか。もっと言えば,勇者と言われてはいないが,これから地球を救おうという高い志を持った子どもが取り柄もない少年の参加は許されているのか。いつどこへ向かえば良いのか。必要な情報が何一つ記されていなかった。

 ライアンと共に依頼ボードの前に立ち尽くしていると,あの,と遠慮がちで静かな声をした少年に話しかけられた。


「あなたたちは勇者ですか? ぼくは勇者ではないのですが,ぼくにも何か出来ることはあるのでしょうか? 時間には間に合ってますか?」


 背格好がそれほど変わらない少年がいつの間にか横に立ってこちらに顔を向けている。目が隠れるほど長い前髪が,くたくたになった緑色のニット帽で押さえつけられていて表情がほとんどつかめない。ニット帽と同じくらい使い古された淡いブルーのマフラーは口元を隠すように巻かれているため,ぼそぼそと話す声を聞き取るのがやっとだ。よく見るとズボンやセーターも同じ質のもので出来ている。丁寧に作り込まれているような気がするが,あまり上等な者ではなさそうだ。手作りで編んだものだろうか。腰にはぼくと同じ形をした剣を携えているが,それが立派な作りをしている分だけ彼の身なりが貧相な者に見えてくる。

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